塚本邦雄絡み、香りの本二冊

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塚本邦雄『芳香領へ―香気への扉』(ポーラ文化研究所 1983年)
塚本邦雄編『香―日本の名随筆48』(作品社 1988年)


 塚本邦雄が香りについて書いた本と、塚本邦雄が香りに関する随筆を編集した本の二冊です。『芳香領へ』は、芳香の花、悪臭の花、香辛料となる植物それぞれについての百科事典的記述と、香りに関するごく限られた詩歌集(白秋作品、唐・宋詩若干、海潮音)、それと日本の香道、西洋の香料の歴史、嗅覚が重要な役割をする外国小説2篇についての随筆が収められていますが、いずれも塚本ワールドが全開しています。『日本の名随筆 香』では、詩人、作家の作品を中心に40篇ほどが取り上げられています。


 『芳香領へ』を読んでびっくりしたのは、植物に関する知識の深さです。植物学者かと思えるくらい専門的で、しかも身に着いた知識として感じられます。歌人なので特別に勉強されたんでしょうか。あるいは学生の頃、どこか専門学校で勉強したのか。商社に勤めたとネットで出ていましたが、何か関係のあるお仕事をしてたんでしょうか。それと関連して、「コート・ダジュールやアルル地方に行くと、石灰質の丘陵が、これらの花で鮮黄に輝き」(p52)、「フォロ・ロマーノの茂みなど、風が吹くと、葉擦れの度に鋭い香気があたりに漂う」(p141)、「幼果についての経験はハワイのマウイ島であったと記憶する」(p197)と、文中ところどころに、外国へ行った風な書き方がありましたが、仕事で行ったのか、それとも個人的な旅行でしょうか。時代から考えて、それほど海外旅行は活発ではなかったはずですが。

 いくつかの記述が印象に残りました。花が美しくても香らない草木があること。背の低い草花の香は膝を折って嗅ぐか剪花としなければ感得できないこと(当たり前だが重要)。嫌悪すべき臭気を持つ花が存在すること。漢方薬店と香料店、香辛料店は似たものを扱っているのに併営されることがないこと。西洋の菩提樹(フランス語ではtilleul)はインドの菩提樹とはまったく別の木であること。菖蒲と日本古来の花の美しい花菖蒲も別で、間違っている国文学者が少なくないこと(折口信夫の名を挙げている)。塩が普及してから塩味を美味と錯覚するようになり、味の堕落につながったこと。異境の珍花を金と暇にあかして見るのもいいが、身辺に親しい花の香を季節季節の象徴として心の糧とするのが有意義と断じているところ(塚本邦雄らしからぬ殊勝さが感じられる)。榠樝(かりん)酒の味の深さ、琥珀色の色調、杏仁酒の香気に触れた文章を読んで、飲みたくなってきました。

 下手な要約よりは、やはり塚本邦雄の文章を直接読んでいただくのがいいと思います(ただし新字体新かなに変えています)。
朝鮮朝顔や毒空木のように、その果実に、特に猛毒を含む植物は、一体何から自分を守ろうとしているのだろう。食われて、その種子を排泄されて、始めて伝播の目的が達せられるのに、弘めてくれる相手を殺して、何になるのだろう・・・もし、仮に、毒がすべて、人類に対してのみ発効し、他の動物には無害であるとすれば、天は地上一切の植物を有毒とし、ついでに魚類はことごとく河豚の親戚と化し、虫はすべて蝮・蠍の眷族に準ずべきであった/p16

屁糞蔓(へくそかずら)とは、あまりにも無惨である/p80

スタペリア・・・花には烈しい腐肉臭があり、金蝿や肉蠅がこれを聞きつけて集まる。金蝿はスタペリアの花冠に卵を、肉蝿は蛆を生みつける。蛆は腐肉の在所を求めて空しく這い回り、花粉まみれになって雌蕊の柱頭に到り、この「悪魔の花」の受精を助ける/p81

蒟蒻の暗紫色の仏炎苞は、腐肉に似た悪臭で名高い。その属名が畸形男根(アモルフォファルス)となっているのと相俟って、慄然たるものがある/p85

すべての舶来品、その入荷当初は稀少価値を誇る珍品であった。「漢字」から「唐楽」まで、人の心を奪い、畏怖と憧憬の的となった・・・接頭語に外来のシンボルのある事物は、渡来地の人々の胸をときめかせた・・・そのような発見と伝来と伝播は、次第次第に底をつき、残された問題は珍種の培養創作と、第四次元世界を原産地とする稀種の獲得のみではあるまいか/p188

実際には存在しない臭気を幻覚する時は、脳軟化症や精神分裂症の疑いがあるとされている。有り得ない芳香を鮮かに幻覚するのは果して、いかなる幸福な病であろうか/p237


 『日本の名随筆 香』で、とくにすばらしかったのは、上記『芳香領へ』にも所収の嗅覚小説を紹介した塚本邦雄「アダム臭イブ的香気」、哲学的ともいえる箴言を鏤めた北原白秋「香ひの狩猟者」の2篇。次によかったのは下記の諸篇です。光・触感・香りが感じられる吉田一穂の詩「五月」、匂いの微妙な感覚に触れた谷川俊太郎「匂い」、幼年期の海と魚の思い出がよみがえる岡野弘彦「潮の香とはまごうの花」、ガス中毒の屍体が薔薇色になるという中井英夫「香りの言葉」、いろんな漬物が出てきてご飯が食べたくなる鵜飼礼子「香の物」、香水の魅力と謎を語る友永淳子「香水、一瞬の生命の耀き」、言葉遣いが独特で妙に冗舌な大手拓次「『香水の表情』に就いて」、乾杏子を食べながらソロモン宮殿の夢を見る片山廣子「乾あんず」、香水や花の香りが溢れる森茉莉「香水の話・花市場」、希臘羅馬時代の香料の精華を語る加福均三「希臘及び羅馬と香料」、線香の煙に王朝の歌文字の線を幻視する篠田桃紅「香」、式子内親王の歌の余韻に思いを馳せる竹西寛子「空薫」、フランスの小説をたくさん読んでいるのに私が驚いた中平解「フランス文学と花」。

 女性の書いたものに味わい深いものが多いような気がしました。