JEAN LORRAIN『HÉLIE―GARÇON D’HOTEL』(ジャン・ロラン『エリ―ホテルの雇人』)

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JEAN LORRAIN『HÉLIE―GARÇON D’HOTEL』(PAUL OLLENDORFF 1914年?)


 この作品も、前回読んだ『MADAME MONPALOU(モンパルー夫人)』と同様、避暑地、温泉地の物語。最晩年の作品のようで、「Très russe(超ロシア的)」(1886年、後に「Villa Mauresque(ムーア風別荘)」と改題)に始まり、「Les Noronsoff(ノロンソフ家の人びと)」(1902年)、「Madame Monpalou」(1906年)、「Le Crime des riches(富豪たちの犯罪)」(1906年)と続くロランの避暑地小説の系譜の最後に位置する作品と思います。

 ホテルの皿洗い、サービス係から、カフェのボーイ、別荘の守衛、肉体労働からあげくは賭博場の客引きまで辛酸を舐め尽くしたエリという人物を狂言回しとして配し、その男から話を聞くという枠組みで、さまざまなエピソードが語られます。温泉や山のホテルでの金持ち連中の生態が、辻昌子の『ジャン・ロラン論』で指摘されていたとおり、彼らの召使、使用人の噂話をまじえて描かれています。

 ロランの興味の主眼は、奇態な人間模様を描くところにあったと思われます。カリカチュアのような風変わりな人物が登場します。乞食同然で、二日間何も食べてないと言いながら酒臭い息をしているエリ自体がそうですし、毎日厚化粧をし3回鬘を変えカジノに通う今は90歳の元人気女優、長い首が肩の上に変な具合に乗って人形のような動きをするワグナー狂の執事「白鳥の騎士」、卑猥な冗談を言いながらスカートの下に手を突っ込んだりまくり上げたりする猥褻の塊のような40代の男、ルーマニア語を喋る鸚鵡と花々に囲まれ一弦琴グズラを奏でる昔は美人だったと思わせる寡黙な女性。毎朝早く出かけ夕食前に帰って来る登山狂(『Madame Monpalou』では朝から晩まで走り回る自転車狂が出てきた)、普段ピストルを持っているが決闘を申し込まれて登山で怪我したと仮病を使う臆病な県会議員、それに毎日服を着替え競ったりするご婦人方の鍔迫り合いなど。

 簡単に内容を紹介しますと、大きくは4つに分かれていて、
①ひとつ目は、第一話者である「私」が昔からの知り合いエリとばったり出会ってバーへ入り、仲間の犯罪が失敗したのに巻き込まれ夏に稼いだ金を全部なくしたと聞いて、当座の生活費60フランを渡し、毎日2時間話を聞かせてくれれば1日100スー渡すから40フランになるまで続けてくれと頼む導入部。

②ふたつ目は、第二話者エリが語る、南仏ボーリューのロシアの将軍の別荘で召使兼庭師として雇われたときの話。ロシア語とドイツ語しか喋れない将軍がイタリアから来た土木作業員らと言葉が通じず乱闘になったり、将軍が愛人と結託して自分の庭の果物を盗んで庭師を解雇しようとし、あげくの果てに土木作業員の一人と愛人がくっついて別荘が乗っ取られ、同時にエリも解雇される顛末が語られます。

③次は、ベルギーとの国境フロワドモンの高級ホテルで部屋係として雇われたときのできごと。老人の客から頼まれた毎朝20分間のマッサージで積もり積もって60フラン稼いだという話や、大勢の召使を従えて泊まっている皇女が、自分の部屋を温室のようにパリから送られてくる花でいっぱいにして、出かけるときはいつも帽子とヴェールで顔を隠していたが、実はレスビアンだったという話など。

④最後に、イタリアとの国境アルプスのカルディエリの安ホテルで起こった事件。多くの客でごった返すホテルに、零落した貴族の母子がやってくる。息子は美男子で、ホテルに隣接した別荘にいるポーランドの金持ち貴族の娘との結婚が目的だとの噂だ。しかし、ホテルの客全員が注視するなか、息子はホテル一の美女と乗馬に出かけるようになり急速に親しくなった。美女と鍔迫り合いを演じていた県会議員夫人が嫉妬して美女と喧嘩になり、県会議員の夫が割り入って美女を突き飛ばし、そこへ息子が現われて議員に決闘を申し込む。美女は怒ってホテルを出て行き、議員は登山中の怪我を装って決闘は延期になるが…。シーズンも終わり豪雨が続くようになって、ホテルから客たちは次々に消えていった。

 日本の話題が2ヵ所出てきました。ひとつは日本がロシアを打ち負かしたという話(p13)。初版は1908年で、日露戦争が1904~05年なので、その頃フランスでも話題になっていたのでしょう。もうひとつは、日本の扇子と雨傘を部屋に飾っているという場面がありました(p238)。