:平井照敏『新・俳句入門』


                                   
平井照敏『新・俳句入門』(思潮社 1982年)

                                   
 平井照敏の本はこれまでも何冊か読みました。昔の読書ノートを見ると、この本で読んだのと同じようなことが書いてありましたが、すっかり忘れてしまっていたので、今回も新たな発見と驚きがありました。

 著者は、もともと現代詩を書いていて、凝縮された言葉や、言外に隠された沈黙の部分の持つ力に関心が向き、次第に俳句に傾斜していった人ですが、その問題意識を冒頭の「俳句とは何か」で見事に展開しています。これを読んで、阿部筲人『俳句』で疑問に思い、物足らずに思っていたことが埋め合わされた気がします。

 その要旨を簡単に説明しますと、俳句は研ぎ澄まされた形が特徴であり、書かれなかった部分に精髄があるものとして、俳句における象徴や暗示の果たす役割の重要性に注意を向けます。そして俳句の世界では想像力ということがあまり言われることがないことに疑問を呈し、想像力は単なる空想とは違い、正確で厳密な作品形成の根本的な力であると主張しています。次にイメージによる象徴的超越思考こそが美に触れうる唯一の方法であるとした中国の荘子の美学や中国絵画の気韻生動論を援用して、かつての中国や日本では、写生というものが低次な方法と考えられていたことを指摘しています。

 写生のみを金科玉条にしている一派に痛罵を与える論調ですが、しかし写生自体を否定しているわけではなく、そこはバランスが取れていて、子規の写生論も気韻生動に至るひとつの方法として評価しています。


 この本は、そういう問題意識の上で、近代俳句史を辿り、代表的な俳人を一人ずつ取り上げて論評しています。全体を俯瞰するのは私の手に余るので、局部的に面白いと思った点を要約しておきます。
①現代俳句には、文芸化・詩化を求める力と、伝統・本質のうえに俳句を確立させようとする力の二つの大きな流れが交互に働いていて、それぞれ蕪村と芭蕉を象徴的に旗印としてかかげてきた(と見える)こと(p22)
②月さして一間の家でありにけり(村上鬼城)の「でありにけり」は単なる記述ではなく、十七音にするためのものでもない。素材を詩の世界に転化させ、透徹した詠嘆の調べをもたらす鍵となる言葉なのだ(p41)
③近代俳句史を画する「ホトトギス」離脱事件の秋桜子が次のように書いていること。「調和と均整をとうとぶ先生(虚子)の精神は、新を求めても決してデモンの跳梁には任せない。・・・事象の背後に流れる黒い力の実感を追求する現実直視の精神は、作家としては『夜の目』を必要とする」。(p73)
④三十四歳でいきなり新興俳句運動の渦中に入った三鬼には、伝統俳句の垢をつける余地がなく、いわば純粋培養の形で、近代的詩意識を存分に発露させることができたこと(p96)
中村汀女の句を例にとってローマ字に置き換え、母音では重くひびくaou、鋭くきこえるeiといった風に、子音と母音の使用数を見ながら、次のように書く。「作者が他のことばでなく、このことばを選んだということは、たとえ無意識的であっても、その音色をも選んでいることで、そこに作者の語感が大きくかかわってくるはずなのだ。」(p117)
⑥詩人は何かを表現するのでなく、言葉に導かれることによって、未知の真実を発見してゆくものであり、「何を、どう書くかを求めてというより、求めることを呼吸のような日常として、書く瞬間の訪れを待ちながら生きている・・・書くことは不意にことばの訪れとともに始まる」。(p145)
⑦そして最後に、「不明晰で不透明な翳があってはじめて、言語体は現存在の解きがたい謎をとどめて、現存在を固定から救うことができる」ものだから、「外部が明晰でありながら、本質の芯が謎をとどめている作品、非確定の作品」が今後期待されると書いている。(p231)


 今回あらためて凄いと思った俳人は、西東三鬼、野見山朱鳥、赤尾兜子の三人。
暗い沖へ手あげ爪立ち盆踊
広島や卵食ふ時口開く
蓮掘りが手もておのれの脚を抜く
緑蔭に三人の老婆わらへりき(以上西東三鬼)

つひに吾れも枯野のとほき樹となるか
冬の暮灯(と)もさねば世に無きごとし
火の独楽を回して椿瀬を流れ
吾を生みし天に日月地に牡丹
わが影を金のふちどる泉かな
一枚の落葉となりて昏睡す
火の隙間より花の世を見たる悔
眠りては時を失ふ薄氷
霜鏡全天瑠璃をなせりけり(以上野見山朱鳥)

この月夜穀象暗しと這ひをらむ
横に出てなほおそろしやひがんばな
帰り花鶴折るうちに折り殺す
大雷雨鬱王と会うあさの夢(以上赤尾兜子


 他に目にとまった句は、
箒木に影といふものありにけり(虚子)
瑠璃沼に滝落ちきたり瑠璃となる(秋桜子)
藤垂れてこの世のものの老婆佇つ(鷹女)
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや(中村汀女
中空にとまらんとする落花かな(中村汀女
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ(飯田龍太
亀鳴くといへるこころをのぞきゐる(森澄雄
長生や口の中まで青薄(永田耕衣
ちがふ世の光がすべり芒原(鷲谷七菜子
水底は暗のさざなみ雪降れり(鷲谷七菜子
百合の終りはおのが重さの終りにて(加藤楸邨