:嶋岡晨の俳句の本二冊

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嶋岡晨『イメージ比喩―俳句創作百科』(飯塚書店 1996年)
嶋岡晨『詩のある俳句』(飯塚書店 1994年)

                                   
 短詩の次は、詩人の書いた俳句の本。イメージや比喩という詩の理論を援用して、詩人の目で俳句を見るとどうなるか期待して読みました。結論から言うと、とくに際立った見方が得られたということはありませんでしたが、いくつかの論点が目に留まりました。

 『イメージ比喩』では、結局、イメージや比喩を論じた章はごくわずかで、あとは春のイメージ、夏のイメージといった季節を軸にして章立てをしています。これは季語というものが情緒の核をなすものであり、一つのイメージだという著者の主張がもとになっているようです。いくつか面白い指摘がありました。
①虚子の客観写生というものは、実は虚子本人も言っているように「自然の大部分を抹殺して一部分を生かすもの」で、これは「実感のこもった、効果的イメージをもつ言葉」(p10)を選ぶという意味で、主観的な心情の提示だと解釈をしている点。
②二つの無関係な別々のイメージが、対置・配合されることによって、印象が強化され奥行きが深くなり、単なる写生を超えて、劇的な雰囲気や謎めいた詩的なものが生まれるということ。
③イメージは、「単に視覚的な像がそこに結ばれているというだけでなく、そこに作者の〈こころ〉がどう投入されているかによって効果をさまざまにする」(p27)と、作者の心を重視している点。
④イメージも比喩も、「一読、ひとに驚異をもたらすような〈新鮮さ〉が必要」(p180)としている。
⑤比喩にも、程度をあらわす「まで」や、否定をあらわす「ともならず」など、「ように」や「ごとく」とは違った潜在的な比喩があること。


 『詩のある俳句』では、昭和10年頃に詩人たちが俳句の雑誌を出していたことについての詳細な情報が得られ、村野四郎の自由律俳句や田中冬二、北園克衛、岡崎清一郎、安藤一郎、笹沢美明竹中郁の俳句などを知ることができました。他に、佐藤惣之助岩佐東一郎室生犀星丸山薫、城左門、高橋邦太郎らが句作に励んでいたようです。またこの頃の詩や俳句の動向には共通するものが感じられます。俳句の方でも水原秋桜子山口誓子、日野草城らの新興俳句運動が盛んだったり、詩の世界でも俳句とは別のところで短詩運動が起こっていて、この短詩運動は当時の民衆詩派的作品が単に散文を行変えしただけの言葉の垂れ流しに堕していたのに対抗して出てきた運動で、そられに共通する動きは一種のモダニズム志向と見ることができるのではないでしょうか。

 著者は俳句の中の詩的な要素を次のような点に認めているようです。「青蛙おのれもペンキぬりたてか」(芥川龍之介)の「ペンキぬりたて」に見られるような精神(エスプリ)の俊敏なはたらき、「鱈一本北方の空の縞持てり」(新谷ひろし)で一匹の魚から北方の空へとイメージが飛躍するようなイメージの広がり、「空をはさむ蟹死にをるや雲の峰」(河東碧梧桐)のような構図の大きさ、「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)の弱い歯と生命力ある万緑のコントラストの強さ、「霧の村石を投(ほう)らば父母散らん」(金子兜太)という多様な解釈をゆるす謎めいた〈曖昧の美学〉。


 やはり何度も読んで目にした句が味わい深いということがよく分かりました。有名句が多いですが、以下に印象に残った句を引用しておきます。
白牡丹といふといへども紅ほのか(高浜虚子)/p9
桐一葉日当りながら落ちにけり(高浜虚子)/p13
夏草に機罐車の車輪来て止る(山口誓子)/p14
大田螺夢の中まで闖入す(櫛原稀伊子)/p51
髑髏置くはるかの海の夕焼けに(野見山朱鳥)/p71
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ(加藤楸邨)/p75
毬逃げし次の間の闇おそろしく(桂田死酒)/p135
元日や三本足の犬走る(加藤郁乎)/p137
巻貝死すあまたの夢を巻きのこし(三橋鷹女)/p157
見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く(日野草城)/p158
夜の秋土鈴いづこの音ならむ(保坂敏子)/p197
以上、『イメージ比喩』より


曼殊沙華散るや赤きに耐へかねて(野見山朱鳥)/p20
つゆ電車亡くなりしひとののつてゐて(平井照敏)/p57
巨き鉤の影うごきおり霧の中(中村和弘)/p67
梁に紐垂れておりさくらの夜(中村苑子)/p76
流灯のほのほのねぢれ見えにけり(加藤三七子)/p106
餅焼いて新しき年裏返す(原裕)/p118
憂きことを海月に語る海鼠かな(黒柳召波)/p183
以上『詩のある俳句』より