:俳句の本2冊

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小沢昭一『俳句武者修行』(朝日文庫 2005年)
坪内稔典『俳句のユーモア』(岩波現代文庫 2010年)


 俳句本のなかでも、江國滋小沢昭一のを読んでいると、目線が下の方にあって面白く、こよなくリラックスできます。坪内稔典の本も「三月の甘納豆のうふふふふ」という句の作者だし、毎日新聞のコラムで読むかぎり大雑把な人柄とお見受けしたので、俳句とユーモアを語るにふさわしい人かと、読んでみました。

 森繁久弥といい、江國滋といい、小沢昭一といい、包容力のあるどこかとぼけてお茶目な先輩たちが次々と亡くなっていくのはさびしいかぎり。小沢昭一はラジオの「小沢昭一的こころ」を営業から帰りの車の中でよく聞きました。この『俳句武者修行』は、ふだんは芸能仲間と素人句会を楽しく繰り広げている小沢昭一が、俳句の腕を磨こうと、いろんな結社の句会へ潜りこんで、他流試合をする様子を報告したものです。

 それが、鷹羽狩行、黒田杏子、藤田湘子、稲畑汀子金子兜太など本格的な俳人が主催する錚々たる句会で、何となく場違いな自分がうろたえる様を、例の調子で面白おかしく描写しています。


 そうしたなかで、俳句本を参照したり、師から指摘を受けたり、自ら体得していったりする俳句の心得のようなものがところどころに出てくるのがこの本の眼目。列挙すると次のようなものです。
①ちょっと巧(うま)ぶる句はいやですねえ(p53)
②俳句は意味じゃない。リズムをまず考えよう。(p60)
③句座の面々を見渡して採ってはもらえないだろうと引っこめる。これが邪心だ。他人さまがどうとろうと、自分の感懐を貫く。これに徹しないと、私のマンネリ、私の通俗は破れないのかもしれませんなぁ(p70)。上品も下品もない。自分らしく嘘をつかない句にしなければ!(p78)
④遊び心横溢の句(p93)。若い時は、大いに、ひたすら、俳句に遊んでよろしいじゃございませんか。・・・アッ、そうか、俺は若くはねえんだ。(p103)
⑤私は季語についついかかわりすぎて、季語をヘタになぞるだけになってしまうことが多いのです。(p132)
⑥俳句も〝冷やして″見直すといいらしい。(p154)
⑦ああだこうだとヒネルより、無邪気がいちばんなんですかな。(p170)
結局は、受けを狙うよりも、無心になって自分の思うがままの句を作ることがいちばん大事という結論のようです。


 引用されていた句の中で、とりわけ心に響いた句は、
春の日にそっとしてみる死んだふり(変哲―小沢昭一の俳号)(p79)
満月や大人になってもついてくる
少々は思案して跳ぶ蛙かな(以上、貨物船―詩人辻征夫の俳号)(p91)
とじまりは月うつくしといひしのち(中原道夫)(p144)
天国はもう秋ですかお父さん(どこかの子どもの句)(p170)


 坪内稔典さんは思ったより理屈っぽい人。この『俳句のユーモア』は、立派な理論書となっていて、冒頭の章では、俳句の発生前から説きおこし、江戸時代の貞門、談林の流れの上に芭蕉が登場し、子規が近代俳句として改革する歴史を辿っています。さらに次章では、俳句と短歌の比較を通して俳句の性格を浮き彫りにし、一方、俳句の片言性に着目して、民俗学までを援用しながら俳句の独自の立場を解説しています。そして第三章では、句会という俳句を外から形づくる要素にも目を配って、その歴史や意味を解き明かし、最後の章「ユーモアの詩」で、ようやくユーモアに辿り着くという次第。

 ユーモアに辿り着いたと思っても、結局、「写生」や「取り合わせ」や「切れ」といった俳句の技法の話が主で、肝心のユーモアについては、具体的な俳句の技法に沿ってはあまり論じられていないのが、この本の唯一の欠陥。


 しかし、この本の主張の根幹にあるのは、俳句にはユーモア的な要素が不可欠というものであり、いろんな場面にそれが書かれていました。なのでタイトルを裏切るものではありませんでした。
①俳句が出自からして、挨拶句であり、もともと言葉遊びの要素も含んだものであること。
②時代の生きた言葉、俗語に関心を持つのが俳句であること。
③俳句を文学として祭りあげたり、深遠なもの、宇宙につながるもの、禅的なものとして捉えることは危険であり、俳句の片言性を自覚することが大切。
④近代の誤りは、自我を重視し、内面からつきあげるものを俳句の源泉としたこと。そんなことよりも写生や題詠など外側から俳句を作ることで、新しい発見を得ることに意味があるのではないか。


 面白かった句は、
かきくけこ くはではいかで たちつてと(松永貞徳)/p3
三日月のころから待ちし今宵かな(小林一茶)/p5
骸骨の上を粧ひて花見かな(鬼貫)/p40
血の道や父と母との血の道やこの血は止まれ父のこの道/p120→これは俳句でなく呪文だが。
桐一葉日当たりながら落ちにけり(虚子)/p184
金亀子(こがねむし)擲(なげう)つ闇の深さかな(虚子)/p185
流れ行く大根の葉の早さかな(虚子)/p206