
田辺保『ケルトの森・ブロセリアンド』(青土社 1998年)
田辺保の霊的フランスを巡る旅についての著作を取り上げるのはこれで終わります。本作は、ますます文学色を強め、「アーサー王物語」や「ペルスヴァル」など中世騎士物語に特化した内容となっています。第五章のアリエノール・ダキテーヌを讃える文章に、田辺らしからぬポルノチックな雰囲気が立ちこめているのが驚き。
著者はあちこちで、北の国の海ぎわの周縁の地に追いやられ、日没の光景の中を生きたケルトの民の無念さに思いを馳せたり、ケルトの社会や宗教がキリスト教と出会って変質していったことを嘆いたりしています。しかし古層のケルト文化が今もブルターニュには息づいており、またギリシア・ローマの嫡流であり、ローマ・カトリックの正統を継ぐかのように見られてきたフランス文明には、意外に多くの異種の要素が溶けこんでいることに気づいた、とも書いていました。
そして、『ブリタニア王列伝』のなかで、サクソン民族と戦ったブリトンの首長アーサーを、ブリタニアの王の歴史に組み込んだのは、正統性を剥奪され追い詰められた古ケルト民族の怨念をすくい取ろうとした一面があるとし、また「聖杯物語」においても、キリスト教の聖杯の物語として誕生し、時とともに霊的完成をめざす修道のアレゴリーと化していくなかに、どこかにケルトの祭司ドリュイドの儀式で血を受けた杯の面影を残していることを指摘しています。
「聖杯物語」については、ワーグナーの楽劇で知った程度で、まともに読んだことがなかったので、いろいろ教えられることがありましたが、ペルスヴァルの生い立ちを知って、今年初めに読んだシャトレイノーの『Le château de verre(ガラスの城)』の主人公が、ペルスヴァルをモデルにしていることが分かりました。「聖杯物語」については次のような言及がありました。
①クレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァル、または聖杯物語』には、ペルスヴァルが漁夫王の城で晩餐に招かれたとき、傍らを聖杯行列が通り過ぎ、ペルスヴァルがもし漁夫王にその聖杯について尋ねていたら、漁夫王の傷が癒され国土も荒廃から立ち直れたという有名な場面がある。この聖杯行列にはケルトの集団的無意識から発してくる呪術的な妖気が漂っており、読者の魂の小暗い影に潜む潜在的なものと照応しているので、光り輝く聖杯の通過に対して誰もが魂に疼きを覚えてきたのである。「世の初めから隠されたもの」(ルネ・ジラールの表現)がここで不意に光を発して現われたのではないだろうか。
②クレチアンの『ペルスヴァル』の物語は、キリスト教の中心的秘義を、ひとりの若者が自分自身の過失からもたらされた重大な結果を通じて次第に悟っていく「自己形成の物語」の趣きを呈している。さらに、ドイツのヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』になると、礼節と精神面の両方において成育していく過程を重要視していて、騎士の修道は世俗的欲望の充足を超越した純潔の目標に到達することであるという宗教的・道徳的要素がいっそう色濃くなっている。
「付論」で、後期に聖杯伝説の探求に取り組んだシモーヌ・ヴェイユについても触れていました。
③ヴェイユは「Compassion(共苦)」という概念に執心していて、ペルスヴァルが漁夫王に尋ねなければならない言葉は、聖杯についてでなく、「あなたの苦しみは何なのですか」でなければならないと主張し、さらに次のように書いている。「不幸な人・・・たまたま不幸のために、他の者には追随できないしるしを身に帯びるにいたったのだと知ることである。そのためには、ただ不幸な人の上にいちずな思いをこめた目を向けることができれば、それで十分であり、またそれがどうしても必要なことである」(p241)。
アーサー王をめぐる記述としては、以下のようなものがありました。
①6世紀のウェールズの聖人伝の中に、アーサーという隊長の名前が出てくるのが初めで、実際に、土着の小領主の軍人がいたらしい。9世紀の『ブリトン人の歴史』の中にも、サクソン人に対抗して武勇を誇った戦闘隊長として記されている。そして次第にウェールズ南部のブリトン人集団の中で伝説が発生してくるが、これは「感情」の波動から形を成してきたものにちがいない。そして12世紀初めには、アーサー王の事績は、イタリア北部にまで伝わっている。
②オックスフォード大学の学僧ジェフリー・オブ・モンマスが、12世紀に、アーサー王の存在と実績を初めて歴史文書『ブリタニア列王伝』としてまとめ上げた。これは、ブリトン人の過去をアーサーの光被をもって輝かすことによりノルマン=ブルターニュ公国の連帯を固め、アングロ=サクソンのイングランドとは別系の伝統の上にこの国の礎が築かれるべきことを指し示そうとしたのである。
③アーサーはサクソン軍を打ち破り、ピクト人、スコット人を次々と従え、さらに北ヨーロッパのアイルランド、アイスランド、ノールウェーを征服して世界にその名を轟かせ、その宮廷は全ヨーロッパの優雅と礼節の範となった。こうして、ウェールズの野人は、中世騎士道の粋をきわめたみやびの主と変えられ、キリスト教世界を代表する高貴な王者のひとりに仕立てられたのである。
④現実の権力世界から見れば、アーサー王は、どこまでも文学的、詩的、神話的な性格を帯びた空想上の存在ではあったが、ブルターニュの民の心性においては仰ぎ見ずにいられぬ王であり、彼らの魂の内部にあっては何よりも鞏固な実像であったのだ。
この本の中でいちばん興味を刺激されのは、トレオラントゥの村にある教会です。1942年に、村の主任司祭として赴任したアンリ・ジャールが、この教会を自分の思うままに造り替えたといいますが、キリストの生涯よりもアーサー王物語や聖杯物語に題材をとった絵やステンドグラスで教会を飾り、「門は、内部にある」といった神秘主義的な言葉を彫りつけたりしています。ジャールには、ゲルマン風の怪奇趣味、おどろおどろしい表現主義ないし超現実主義的な傾向があり、アンドレ・ブルトンなど神秘に惹かれる人を魅了してきたということです。
ほかに、いくつか想像力を刺激されるようなエピソードがありました。妖精ヴィヴィアーヌがバン王の忘れ形見の幼な子を抱いてい沈んだコンペルの湖の中には、森があり、美しい館が立ち並び、おいしい魚の泳ぐ川が幾筋も流れていたという描写、ユダが座っていたという「危険な席」に、偽善者のモイゼという男が座ると、たちまち地中にに呑み込まれてしまったという話。さらにパンポンの森にある巨石群につけられた「ヴィヴィアーヌの家」「巨人の墓」「子妖精の家」「修道僧の庭」「悪魔ゴビノーの小屋」「妖精の岩」といった名称や、北部ブルターニュの海岸の岩につけられた「ナポレオンの帽子」「聖イヴ岩」「日時計岩」「魔女岩」「死人の頭岩」「象岩」「鯨岩」「兎岩」「さいころ岩」「椅子岩」「傘岩」「歩哨岩」「槍抜き岩」など、その命名の面白さ。