前回の『日本語に探る古代信仰』に引き続き、古語にまつわる話を読んでみました。同じ京都大学出身国文学の先生が書いたものとは思えないほど、格段に読みやすいのに驚きました。新聞に連載したエッセイをもとにしたと、「あとがき」にありましたが、全部で125のコラムからなっています。それぞれが独立していますが、何篇かずつは同じテーマでつながってもいます。
現代のわれわれが使っている言葉が古語ではずいぶん違う意味になっているということが、いろんな具体例をもとに、説明されていました。
①「はなし」という言葉が登場したのは、室町時代の末頃からで、面白く肩の凝らない雑談を意味していた。戦国武将は、軍陣の夜や城中のつれづれを慰めるために、「はなし」の専門的提供者を召し抱えていたという。江戸時代の前期には、中国漢字の「話」は「かたる」とのみ読まれていて、「はなし」が耳新しくあるべきというところから「噺」という日本製の漢字が発明された。
②室町時代、「やさしい」という言葉は、「すなおで穏和」「けなげで愛らしい」「控え目で優雅」「柔和で優美」などの意をあわせ持つ形容詞であり、『万葉集』以来、「恥ずかしい」という意味もあった。「やさしい」は、動詞「痩(や)す」が形容詞化したものといわれる。身も細るような恥ずかしさというのが原義であろう。
③「たのし」は裕福、「かなし」は貧乏の意味で使う例が、鎌倉、室町を経て江戸時代まで存続した。和歌の世界では、祝賀の歌を詠むばあいに「たのし」という言葉を使う伝統があり、『万葉集』に十数例用いられているが、すべて賀の宴歌である。「宴」が即「たのし」であった。
④『古事記』、『万葉集』を通じて純粋に色彩語と認められる言葉は、「青し」「赤し」「白し」「黒し」であり、黄色の概念は平安時代にならないと出てこない。当時、赤、紫、橙、黄は「赤し」、緑、青、藍は「青し」に属していた。視覚と嗅覚の共感覚を感じさせる語に「にほふ」があり、赤い色が表面に滲出するような感じをあらわす動詞であった。
⑤室町時代、「疲労」「不弁(便)」という言葉はともに貧乏を意味していた。「疲労」は窮乏にくたびれ果てた貧乏であるし、「不弁」は諸事思うにまかせぬ不如意を訴えた貧乏である。「不便」の反対の便利を表わすのには、「弁(便)当」という言葉が用いられた。食物携帯容器を便利さゆえに、「弁当」と呼びだしたのは、室町末からである。
その他にも、いろんな論点がありました。
①音韻変化に関する法則について:本居宣長は、「字余り」の句中には必ず単独の母音「あ」「い」「う」「お」のいずれかが含まれているという事実を発見した。例外として、「ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける」(『古今集』)の第三句の字余りには単独母音がないが、句末の助詞「と」を次の句へと送って、「日は暮れぬ とおもふは山の…」と第四句を字余りとすればこの法則は成り立つ。これは「とおもふは山の」が「ともふは山の」という風に、「お」が直前の音節の尾母音と融合して脱落すると考えればよい。「ナガアメ」→「ナガメ」というように、語頭に母音音節を有する語が他の語の後に結合する際、その母音音節が脱落したり、「ニアリ」→「ナリ」というように、直前の音節の母音が脱落して、その音節の子音と次の語の語頭の母音とが結合したりするのと同じ現象である。
②古語の変遷を特定させる苦労について:例えば、「話」と「放し」の同音異義語が、もとは同じ語源だという説があるが、それを認定するためには、変化の途中の異議派生の現場を抑えなくてはならない。また、例えば、「アギの渡り」という地名には「朕公(あぎ)の渡り」という起源説があるが、そこに「商(あき)の渡り」という別の起源説が隠れているというように、地名譚には、元あった起源説の意味が薄れてきて、あらたに別の解釈に基づく起源説と置き換わっている場合があり、正しい復元を行うには、隠れている元の起源語を発見することが必要であること。
③和語と漢語の関係について:和歌の原則は和語にあり、『万葉集』でも純粋な漢語をそのまま使っている例は、「餓鬼」「布施」「法師」「壇越(だにをち)」「婆羅門」あるいは「塔」「香」など、仏教関係の語を中心とする少数の例しかなく、またその後も正当な和歌・連歌においては、滑稽を意図して作られたもの以外に、漢語の使用はない。
貧乏神と怠け神がそれぞれ登場する似たような話がありましたので、紹介しておきます。
一つは、怠け者の夫婦が困窮のあまり夜逃げをして、明け方休憩していると、ぼうぼうの髪の毛にぼろぼろの着物を着た子どもが破れ団扇を持ってひょろりと出てきて、「おらは貧乏神だ、どこまでもついて行くぞ」と言ったので、これでは仕方がないと家に戻り、心を入れかえて一生懸命に働きだしたので、貧乏神の小僧は破れ団扇を放り出し、「こんなに働く家には居られない」と逃げだしたという話。
もう一つは、怠け神はもとは、豆のように小さく痩せた男であったが、取りついた人間から養分をたっぷり摂取するとむくむくと肥っていった。ところが、取りついた相手が心を入れかえて一生懸命働きだすと、今度は怠け神は日ごとに瘦せ細り、最後には元どおりの瘦せこけた豆男になって逃げ去るという話。
一生懸命働いていると、貧乏神も怠け神も逃げていく、つまりあきらめてはいけないということですね。
