:幻獣本二冊『天翔るシンボルたち』と『グリフィンの飛翔』

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張競『天翔るシンボルたち―幻想動物の文化誌』(農文協 2002年)
林俊雄『グリフィンの飛翔―聖獣からみた文化交流』(雄山閣 2006年)


 この二冊は読んだ順番に並べただけで、幻獣本という以外は何の関連もありません。こじつければ題名に「翔」という字が入っているのが共通しているところでしょうか。張競の本は中国の幻獣一般について総覧し、林俊雄はグリフィン図像に限定してとくに古代西アジアを中心とする伝播を追っています。

 『天翔るシンボルたち』は石像や彫刻、絵画など豊富な図像資料にもとづいて形態の変遷を見ているところが類書になく貴重。写真図版が多く楽しい。とくにカラーページは美しい。何点かお気に入りの図像を無断で紹介します。
麒麟鎮護獣
人面犬人面魚
 図像を多く載せているのは、幻想動物を神か妖怪かという抽象的な観点で見るのではなく、奇怪な身体を持つ動物の図像的特徴や身体的象徴性に注目しようという著者の姿勢の現れです。鳳凰麒麟、龍などの姿が時代とともに変化していくのがよく分ります。

 ただ形態的特徴に関心を寄せながらも、「幻想動物であるだけに、制作者によってある程度自由に想像されたのであろう」(p66)とか「辟邪像はそれぞれに異なる・・・けがれをはらうことができるなら、造形的特徴に必ずしもこだわる必要はない」(p72)とかそっけないところもあり、造形の影響関係にとても神経を使っている『グリフィンの飛翔』との違いを感じさせられます。


 いくつかの重要な指摘は、
①動植物を分類するのに、中国古代では、外見の類似性や、人間にとっての効用、地域ごとの特性に着目してみたりしている。徐々に西洋の博物学の知識がもたらされたが、近代科学の分類法が入る以前は、実在の動物と幻想動物が一貫して混在している。
②龍は幻想動物の原型ともいえる古い存在であり当初は聖なる存在ではなかったが、陰陽五行思想の影響下に漢代以降は皇帝の象徴となり、龍の紋様は皇帝にしか許されない禁制のイコンとなった。違反した場合は死罪になったとのこと。
③諸動物の特徴を多く持つほど全能に近づくということから、鳳凰は、鶏、燕、魚、亀、龍の特徴をすべて併せ持つ存在となっていたが、晋代になって龍のイメージが分離し、鳥類の王者として認識されるにつれ鳥の形に近づき、似たような存在の鸞を吸収して現在のような姿になった。
④陰陽五行思想はもともと自然認識の科学の芽生えの要素を持っていたが、社会のあらゆる領域で拡大解釈されるようになると、科学思想の発展を阻害し、非合理を合理とする迷信をはびこらせることにもなった。
⑤ヨーロッパでは近代に入ってからも、一角獣は文学や芸術の領域でよく表象されているが、近代化を目指した中国では、科学の名のもとに幻想動物は後進性の象徴として文芸の領域から追放された。しかし市場経済の進展に伴い、幻想動物たちはまた注目を浴びるようになっている。



 『グリフィンの飛翔』には、よくこれだけ集めたと思われるほど、グリフィンの図像が添付されていて(おそらく500点以上)堪能しました。時代別地域別に厳密な考証をしておりたいへんな労作です。非常に専門的で細かいところが却って大局的な視点をぼんやりさせてしまい、平板な記述になってしまっているのが残念です。最後の「まとめにかえて」を拡大するような形で、もう少し分量を少なくしてもらった方が私のような者には読みやすい。

 いろんな問題点が提示され、それぞれについて回答が示されています。①グリフィンはいつどこで生まれたか。②グリフィンはどういう役割を果していたのか。③グリフィンの形の特徴と図像的モチーフにはどんなものがあるか。④世界の各地域へどう伝わり変化していったか。⑤類似の合成獣、神話の図像との比較。


 私なりに理解した概略を述べますと、
①紀元前4500年〜4000年ごろにメソポタミア合成獣が誕生。そのうちグリフィンが、前3500年〜3100年ごろ、メソポタミアに隣接するスーサに登場する。
②グリフィンは、神殿や宮殿の守護、神殿に奉納される神酒を守る魔除け、墳墓の死者の安寧を守る鎮護、神を乗せたり車を牽いたりする神の下僕、神の護衛として描かれた一方、悪獣としての一面もあり人間や神と闘っている図像もある。これは、神=英雄との闘いの結果、負けて神=英雄の下僕となるという神話を反映している。
③グリフィンの形は、基本的には獅子(ライオン)と鷲の組み合わせで、頭が獅子か鷲化で大きく二つに分けられる。最初は前足が鷲、後足が獅子だったのがメソポタミアで逆転し、エジプトではハヤブサかハゲタカの頭だったり、ペルシアでは角を生やし翼が捲れ上がり、前6世紀以降のギリシアでは背びれがあり翼は真直ぐ、アルタイではペルシアとギリシアの形態が融合するなど地域によって特徴が分かれる。13世紀以降ヨーロッパでは貴族や都市の紋章としてグリフィンが愛好されるが、すべて前足が鷲で後足がライオンの形となる。図像としては、ナツメヤシ(生命の木)の左右に対となって描かれたり、神殿への参道に対となって配置されたり、騎士に剣で胸を刺されていたり、2頭のグリフィンが別の獣を両側から襲いかかるという形など。添付されていた写真のいくつかを紹介しておきます。
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④グリフィンはスーサで誕生した後、エジプトとシリアの二系統に伝わった。新アッシリア帝国ギリシア世界に大きな文化的影響を与え「オリエント化様式の時代」をもたらした。ギリシア世界に開花した新しいタイプのグリフィンは、当時勃興しつつあった北方草原地帯のスキタイ系騎馬遊牧民に伝わる一方、アケメネス朝ペルシアのグリフィンも中央アジアに伝播し、スキタイ系遊牧民のサカはそれを独自なものに変容させた。中央アジアのアルタイはギリシア、ペルシアの双方のグリフィンを受け継ぎそれを東の方に伝える役割をした。中国からはアルタイ出土の合成獣とそっくりな怪獣が出土している。さらに南朝の有角獅子は日本にまで来ていて、島根県の御崎山古墳から出土した大刀の柄頭には、直接的には中国南朝の有角有翼獅子、はるか遡ればアケメネス朝ペルシアから伝わった文様が見られる。インドには、ヘレニズム期にバクトリアからグリフィンが入った痕跡が認められ、ガルーダやマカラの図像の成立にグリフィンが関与した可能性もある。
⑤グリフィンに近い合成獣としては、アッカド時代に獅子頭で身体が鷲の怪獣イムドゥグドゥあるいはアンズー、前足が獅子後足が猛禽の蛇ムシュフッシュ(蛇グリフィン)がある。身体が人間のものはグリフィン魔人で、これにも獅子魔人、鷲魔人の別があり、図像としては右手に松かさ状のもの左手に小バケツを持つ場合が多い。ほかに有翼獅子、スフィンクス、中国の天禄や辟邪が登場する。人間の顔と獅子の顔をあわせ持つ旧約聖書のケルビムについてもグリフィンとの共通性を見ている。写真はグリフィン魔人。
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 その他、本筋からはずれたいろんな知識として下記のようなものがありました。
①古代には西アジアにもライオンや象が棲息していたこと。
②貨幣が誕生したのは、前7世紀のリュディアだと一般に言われるが、金や銀の小塊にハンマーで文様を打刻する方法。ほぼ同じ頃に中国でも貨幣が登場していて、こちらは鋳造による。
アラビア語で「あなた」のことを「アンタanta」ということ。

 グリフィンと言えば、我が家にグリフィンの大きなお皿があります。昔イタリア旅行のときに、たしかアッシジの土産物店で買ったものです。手提げ袋に抱えて大事に持って帰った記憶があります。