:ボルヘス『幻獣辞典』ほか

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス/マルガリータ・ゲレロ柳瀬尚紀訳『幻獣辞典』(晶文社 1983年)
荒俣宏編『妖怪・怪物』(平凡社 1989年)
Véronique Willemin/Joëlle Rodoreda『Les animaux fantastiques―Sculptures de Rêve』(Réunion des musées nationaux 1999年)(『幻想動物―夢想の彫刻』)
                                   

 幻獣シリーズを続けてきましたが、だんだん麻痺して普通の幻獣では驚かなくなってしまったので、この辺でいったん切りあげます。今回は、いろんな幻獣や妖怪の紹介がある三冊。

 ボルヘス『幻獣辞典』では、序文の一行目でいきなり「誰しも知るように、むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」という言葉(p13)、しばらくして「夢の動物学は創造主の動物学よりずっと貧しい」(p15)というようなフレーズが出てきて、しびれてしまいました。さらに本文冒頭に置かれた一篇、「勝利の塔」の階段に潜み階段を上る人間の影とともに盛衰する幻獣を語る「ア・バオ・ア・クー」で、完全にノックアウトされてしまいました。ボルヘスはこの本で本当は散文詩を書きたかったのに違いありません。無駄で冗長な説明を省いた見事に凝縮された文章です。一部を抜粋しても傷つけるだけなので、実際に本文にあたってくださいとしか言いようがありません。

 同様な衝撃は、底なしの宇宙論を展開した「バハムート」、鏡の世界は呪いをかけられているだけでそれが解ける日がくるという「鏡の動物誌」にもあり、時間とともに次々に変身する幻獣の「バルトアンデルス」、想像を絶する怪獣の「C・S・ルイスの想像した獣」、無限の時間を感じさせる「エロイとモーロック」にもありました。またボルヘス的な印象の濃い幻獣幻人としては、「合衆国の動物誌」のハイドビハインド、「ちんばのウーフニック」のウーフニック「過去を称える者たち」の東洋の一種族、「形而上学の二生物」のコンディヤックの感覚の立像とルドルフ・ヘルマン・ロッツェの仮説動物など。

 他の幻獣本に見られない特徴は、そうしたボルヘス的な存在が多数登場することと、また世界中の文献渉猟から、これまで聞いたことのない珍妙な幻獣の数々が紹介されていることです。名前だけ挙げれば、ヘブライの伝説的幻獣ベヒーモスイスラムの幻獣ブラク、チリの幻獣アリカントとチョンチョン、アメリカの幻獣グーファス鳥とギリーガルー、釈迦伝に出てくる百頭、ミルメコレオ、ニスナス、ペリュトン、スクォンク、タロス、まだまだあります。

 訳者の柳瀬尚紀については、これまで言葉遊びを面白がっているだけで幻想風味と無縁な人だと若干敬遠気味でしたが、なかなかきりっとしたいい訳をしているし、解説も面白く、見直しました。
 

 『妖怪・怪物』は平凡社の宣伝シリーズ「東洋文庫 ふしぎの国」の一冊。東洋文庫のラインアップのなかから、「妖怪・怪物」に関連した文章を抜粋したもの。文語体はまだしも、ところどころ漢文が出てくるので辟易、飛ばし読みしました。

 なかでは、『屍鬼二十五話』の四兄弟が骨の一片からライオンを再生する術を順番に披露し最後はライオンに食べられてしまう話、夫と兄の首を取り違えてつけてしまった後どちらを夫とするか決断する妻の話が紹介されていましたが、頓智が冴えて圧巻の出来栄え。学生の頃読んだことがありますが、何度読んでも面白い。次に『酉陽雑俎』『明治日本体験記』でしょうか。『東西遊記』も面白く読めました。『甲子夜話』の幻獣の羅列には少々食傷気味。


 『Les animaux fantastiques』は、ルーヴル美術館かクリュニー中世美術館かのショップで購入したもの。上記二冊がひろく文献を渉猟したものであるのに対し、彫刻作品や建物に貼りついている幻獣を写真で紹介しています。子ども向きの本なのでしょうか、絵本のような体裁で、見開きに写真頁と説明頁があり、説明文は大きな字で10行ずつぐらいの分量です。簡単な文章だったので、辞書なしであっという間に読めました。

 これまでにあまり見なかった変わったところでは、Actéon(鹿に変身させられたアクタイオン)、Capricorne(磨羯、上半身は羊下半身はイルカ)、Le Cochon jouant de l’orgue(オルガンを弾く豚)、L’Homme-grenouille(蛙男)、Un Monstre sans nom(名前不明の怪物)。

 掲載されている写真はいずれも魅力的で、現地へ行って現物を見たくなってしまいます。いくつかの幻獣を載せておきます。
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鹿に変身させられたアクタイオン     オルガンを弾く豚
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グロテスク               蛙男