:杉山二郎『仏像』


杉山二郎『仏像―仏教美術の源流』(柏書房 1984年)

                                   
 引き続いて杉山二郎を読んでいます。前回読んだ大仏の前史にあたる話で、仏教美術がどこで生まれたかについて書かれています。「仏像」というタイトルは誤解を招きやすいので、副題の方の「仏教美術の源流」にすべきだったと思います。

 これまで読んだのと重複する話も多かったですが、仏教美術の発生からの流れを系統だって追っているので、まとまって分かりやすく感じました。仏像が登場するまでにほとんど三分の一費やしているのはゴジラ一作目でなかなかゴジラが登場しないようなじりじり感を煽りたてられました。

 時代も遠く、残存する仏像の数も少なく、資料も少ないなかなので、かなり大胆な推測で書かれていますが、それがさらに面白さを倍化させています。大きなポイントは仏像が西アジアの圧力で生まれたというところです。


 話の流れを追ってみますと、
原始仏教では偶像崇拝を禁じていた。
②シャキャムニの死後、遺骨の配分をめぐって争いが起こり、その結果、遺骨が8人の王者に配分された。
③紀元前3世紀ごろ、アレキサンドロス大王のインド侵入の刺激により、インドで石材利用の建造物、彫塑が発達してきた。
④シャキャムニの遺骨を安置するために墓廟として土饅頭型の塔婆を造ったが、一般信者に理解させるために、入口の門檣や玉垣の一部にシャキャムニ一代記の主要場面や前生の物語が造形化され始めた。これは、西アジアですでにアッシリア時代(紀元前9世紀ごろ)から王宮の壁面を利用して帝王の日常生活や狩猟、儀礼、謁見などが浮彫りで表現されてきたことが伝播したことによる。
⑤その一代記においても、当初は、弟子や信者、帝王の姿は克明に表現されているのに、人間の姿をしたシャキャムニ本体は描かれておらず、不在ないしは象徴物(法輪・塔婆・菩提樹・仏足・台座など)が表示されているに過ぎなかった。
⑥神々を人間の形姿で具体的に造形化して捉えるギリシア系、西アジア植民者たちからの影響で、それまで観想や想念のなかでしか宗祖を捉えられないもどかしさを感じていた仏教者たちが仏像を造り始めるようになった。立像でも座像でも、初めのうちは他の人物像と身長や衣服などで区別することはなかったが、時とともに、シャキャムニが他の人物よりも目立つ存在として一際大きく表現され、最終的に単独像となった。
⑦紀元前1世紀のころから後1世紀の中ごろまでの仏像には光背がない。もともとインドの宗教では光の理念は希薄だったのだ。これも西北インドにおいて、神格化された王者が頭のまわりに光輪をつける像が造られたことの影響が見られる。
⑧右手を上げ掌を外に向ける施无畏(せむい)印の形も、インドには元来、このような習慣はなく、紀元前2000年にまでさかのぼる西アジア起源の誓約の形であった。これは今日の競技や裁判の際の宣誓にもその片鱗が残っている。
⑨紀元後2世紀ぐらいになると菩薩が出現するが、イランのゾロアスター教の豊饒吉祥の女神アナーヒターから色濃く影響を受けているようだ。その像の姿が貴族、王族の像と近似しているのは、仏教が権力者に隷属し始めた徴候ではないか。
⑩インドの美意識による仏像の開華は中インドのマトゥラーに始まり、グプタ朝サールナートで見事な花を咲かせ結実する。そして中央アジアから唐代の中国に入り、やがて日本の白鳳期末の彫刻に影響を与えたのだ。


 他に面白い断片情報としては、
キリスト教と仏教の聖像を比較すると、カトリックでは像を金色に塗ったものはなく、またキリスト教では大仏や丈六仏のような巨大な聖像を作ることはないこと(フロイスによる)。
②シャキャムニが、腰に瓢箪をぶら下げて腰舟にして水に浮く術や、肩から火焔を吹き上げてみせる火遁術、地から水を噴出させる水遁術、また空中を飛翔するインド大魔術そこのけの幻術を使ってみせたらしいこと。
③インドのマウリヤ王家はイラン人であり仏教もイラン人の運動であると主張する学者(スプーナー)もいたほどだが、マウリヤ王朝の宮殿を造ったペルシア人の職人たちがアフラ・マズダの信仰を抱いていたのは事実で、マウリヤ王朝ほどペルシアの影響の著しかった時代はない。これに反してギリシアの影響は少ない(中村元『インド古代史』による)。
④仏足跡に関する南方熊楠の文章が面白いのでそのまま引用すると、「足跡石はタイロル氏もいえるごとく、天然また人工に成れる岩石上の凹窪の形、多少人間あるいは動物の足跡に類せるものにして、往々過去の世紀に生存せし動物の化石的遺蹟もあるべし」。『大仏以後』には続けて次の部分も引用されていた。「人の足跡は、その陰影および映像と等しく、居常身体に付き纏いて離るることまれなるものなれば、蒙昧の諸民これを陰影映像同様に、人の霊魂の寄托するところと思惟せし」。
ガンダーラ地方では、シャキャムニのそばに、電撃杵をもつ裸形荒髪の護衛を伴うことが多くみられるが、これは明らかに西方のゼウスである。これが執金剛神となるのである。
⑥クーマラ・スワミーが、中世のキリスト教神学者たちの著作や神秘譚と、ヴェーダ文献との間の驚くべき類似性を指摘している。多くの文章がサンスクリット語文章のそのままの翻訳であるほどという(山本智教による)。


 ちと長くなりすぎましたか。