:森豊の幻獣本三冊

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森豊『龍』(六興出版 1976年)
森豊『シルクロードの天馬』(六興出版 1979年)
森豊『シルクロードの怪神怪獣』(六興出版 1982年)


 これからしばらく幻獣に関する本を読んでみようと思います。まず皮切りは、森豊の「シルクロード史考察―正倉院からの発見」というシリーズに収められた三冊。同シリーズには『古代人と聖獣』という本もありますが未読。森豊は以前葡萄文様に関する本を読んだことがありました。(2014年12月1日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20141201/1417409646

 三冊とも構成がよく似ていて、初めに日本の事例を示したのち、中国、インド、中近東、西洋とたどって行って、最後に全体のまとめをするという形です。重複した記述もかなりありました。三冊に共通する主張を簡単にまとめると、龍や天馬、幻獣は、古代人が既存の動物からヒントを得て、局部の誇張や組み合わせによって超能力を付与し生み出したもの。日本、中国、インド、中近東、西洋それぞれに似たような幻獣が存在するのは、シルクロードを経由して相互に影響を与え合った結果で、とくに日本には、中国で変形が加えられて伝わってきている、というようなことでしょうか。

 私が幻獣に関心があるのは、ただひたすら人間の想像力の面白さ奇態さを味わいたいがためですが、その点では、龍にもいろんな種類があること、天馬の翼にも形がいろいろあることを知り、また『怪神怪獣』にはさまざまな面妖な生きものが出てきて、十分満足できました。当たり前の話ですが、人間は見たことのないものは描けないということで、幻獣というのも結局は、現実の獣の部品をいかに奇態な形で組み合わせるかにかかっているように思います。

 またこうしてみると、龍や天馬、獅子、麒麟など主要な幻獣は、だいたい外国から伝わってきたもので、世界を席巻するような日本オリジナルの幻獣がないのは、日本の地理的な位置や国民性のせいかと淋しくなってしまいます。遅ればせながら現代になって、ゴジラポケモンがでてきたことはありますが。


 「龍」については、「角は鹿に似たり、頭は駱駝に似たり、眼は鬼に似たり、項は蛇に似たり、腹は蜃(みずち)に似たり、鱗は鯉に似たり、爪は鷹に似たり、掌は虎に似たり、耳は牛に似たり(『爾雅翼』)」(p60)と紹介されていますが、他にも、蛇や鰐、トカゲ、タツノオトシゴとの関連や、鯰の髯からの借用などが指摘されていました。古代人は恐竜の化石を龍の骨と思い込んでいたようです。また、龍巻・旋風で砂や河水が渦巻きながら天空高く舞いあがる現象から、龍が昇天する形が連想されたのではないかとありましたが、もう一つ、山の上から川を見た人が、川筋を生き物のように見て、またそれが氾濫したりすることから生まれたのではとも思いました。

 龍は東西によって性格が異なっているようで、王朝が生れた時から龍というものが存在する中国では、天子と密接な聖なる獣であり、王朝は龍の文様を重要視し、祭器である銅器や衣服の装飾、墓所に龍を描いたという点が強調されています。インドでは水を支配する龍王が仏に教化されたものとして性格づけられ、西洋では悪の権化として主なる神によって退治されるドラゴンとして恐れられたと言います。そして古代日本では、中国系の五行説、十二支、四神による聖なる龍と、インド系の龍王の二つの龍の流れが見られると指摘しています。


 「天馬」は、どちらかというと馬そのもので、翼がついているだけですが、なかには翼のないまま飛雲の中を飛んでいたり、戦車を引いて空を走っていたりします。その背景には馬という存在に対する人間の崇敬というものがあり、翼によって不可思議な力、神性や聖性を付加したということだと著者は言います。西方に多いのは太陽神の戦車を引く天馬で、中国や朝鮮・日本などでは天馬単独が多いようです。

 インドでは、馬車を駆って大空を行く光輪を背負った太陽神スーリア、ペルシアでは、円盤を中央にして両側に翼のある人首鳥身の神アフラ・マズダ、西洋では、メドゥーサの死体から生まれた神馬ペガサス、馬の神ポセイドンとデメーテールの間にできた神馬アリーオーン、四頭の駿馬にひかれた戦車に乗った太陽神へーリオスなどがあげられていました。

 日本の天馬には二種類あり、正倉院の鳥獣花背八角鏡などの天馬は、5、6世紀に朝鮮から九州に渡ってきたもので、匈奴やスキタイの渦巻く雲形文様に似た翼が描かれ、はっきり翼と分からないのに対し、法隆寺の四天王獅狩文錦などの天馬は、7,8世紀に唐を通じてもたらされ、シルクロードからもたらされたと推測されるササン朝様式の雄大な鷲の翼や、鋭いカモメのような翼をはっきりと持っていると特徴づけられています。

 龍は、浦島伝説や海幸山幸物語などいろんな説話に登場する海神として、南方の海人族との関連が指摘されている一方、天馬はユーラシアの遊牧騎馬民族との関連が指摘されていました。龍と天馬では龍の方が先のようで、龍が牝馬と交わってできた龍馬から天馬へと変化していったようです。


 『シルクロードの怪神怪獣』には、へんてこりんな怪獣や怪人が目白押しです。三尾六足四つの首のある鯈(ゆう)魚、首は一つだが十の身体をもつ孟槐、人面虎歯羊身で目が腋の下にある怪獣、四翼六眼三足で身体は蛇のような鳥、胸に穴があいている貫匈国人、一腕一目一鼻孔の一臂人、ふくらはぎが無かったり腸がなかったりの人、獣首人身で目が縦についている生き物、人面で腕がなく両足は反り返って頭の上についている嘘という神、この後すぐ著者は「どんな形を想像すればよいのであろうか」と書いているのが可笑しい。ほかにも腋の下に千眼を持つ百眼魔王またの名を多目怪すなわち大むかで、百頭の龍が肩から出て腿までは人間でそれから下は大きな毒蛇がとぐろを巻き全身に羽が生えており髪を乱し眼から火を放つラユーポーン、三重の歯のある六つの頭と十二人の足を持つ怪物スキュレー・・・。

 これらの怪神怪獣たちについて、次のような分類がなされています。①目、首、牙、手、髪など人間の部分を変化強調するもの、②有翼や有角、半身半獣など人間に他の鳥獣の部分を合成したもの、③獣同士の合成空想の鳥獣、④雲や鶴に乗ったり雷を起こしたりなど、持ちものや自然の威力、超能力を示すもの。いずれもその動物の持つ特性に着眼してなされていますが、そこにはその動物に対する畏怖的崇拝があり、太古のトーテミズムの残像があると言います。ほとんどの怪獣は凶事を象徴し、吉祥をしめすものは数少ないとのことです。そして最後に、人類が何故このような奇態なものを造ったのかという自らの問いに対して、人びとがありきたりの通常世界のみでなく、神秘的な超現実の世界を、いつの時代でも精神の裏側の反面に持っているからであろうと記しています。


 本筋から離れたところでも、いろいろ驚きがありました。
紀元前2世紀から紀元ごろの日本では百余国が乱立している様子がうかがえ、3世紀から6世紀にかけては、3世紀末から4世紀にかけての空白期を除き、中国に10年おきぐらいに朝貢していたこと。この空白期に古代日本国家形成の謎があること(p31)。
孔子老子に礼について教えを受けに行ったことがあるとのこと。老子孔子が相対したことがあるというのも驚きですが、そのとき老子孔子に対して、「その人と骨と皆すでに朽ちたり、ただその言あるのみ」と痛烈に批判したというのも凄い(p89)。
秦の列裔が、口に丹・墨を含み、壁に噴きつけて龍獣を描くという、現代の画家のやりそうな手法を使っていたこと(p100)
以上『龍』

当然とは思うが、森豊と杉山二郎が出会っていたこと。「昭和43年10月・・・同館(東京国立博物館)の東洋考古室長杉山二郎氏と一夕歓談の好機があった」(p98)という記述がありました。
以上『シルクロードの天馬』

漢の荘帝が、虎や豹が獅子を見てひれ伏すかどうか実験したが、猛獣たちはたがいに目を閉じて頭をあげようともせず、次に熊を一緒にしたが、獅子の臭いをかぐと驚きあわてて逃げたこと(p69)。
カービシー国の大神王像の右足の下に宝が埋められてあるというので、ある王が発掘しようとした。神王の冠についている鸚鵡が羽ばたきすると大地が鳴動し慌てて逃げかえった。近くの石室にも宝が埋蔵してあって、ヤシャが獅子や、大蛇、猛獣、毒虫に変化して守る(p99)。まるで、「レイダース」や「ハムナプトラ」の一シーンのようです。
以上『シルクロードの怪神怪獣』