:本間千枝子『バッカスが呼んでいる―ワイン浪漫紀行』

                                   
本間千枝子バッカスが呼んでいる―ワイン浪漫紀行』(文藝春秋 2002年)

                                   
 気楽に読める本をと思い手に取りました。飲食にまつわるエッセイをソファで寝ころびながら読むほど快適なものはありません。これに次ぐのは本(とくに古本)、音楽についての文章でしょうか。

 お酒や食べ物にまつわる話は、ときには薀蓄を露骨にまき散らすような文章に出会うとげんなりしてしまいます。いかにそのお酒の話に持っていくかという前段が肝心で、そこに何らかの内面的な必然性があれば自然とその話の流れに乗って運ばれていき嫌味が感じられないものです。

 その点で、本間千枝子さんの文章は安心で、以前雑誌「選択」にやはりお酒についての文章を連載されていた時、毎回楽しみにしておりました。

 この本も期待どおりで、心が休まるような優しい文章で、かつ芳醇な香りもします。女性の書き手ということもプラスになっているようです。いきなり高邁な理論を大上段に振りかざすこともなく、体験で得た素直な感想を語る目線の低さというものがつねに感じられます。

 いっぽうで、歴史や神話、物語、美術など、お酒にだけ留まらない幅広さを持っていることで、とくに著者の強みはしばらく生活したアメリカという国がもう一方の軸にしっかりとあることだと思います。自由の女神についての一文や、M・F・K・フィッシャーという人を紹介した文章、ジェファーソンやアーゴストン・ハラスツィという人を語る部分にそれがはっきりと出ています。


 知らないことをずいぶん教えられました。
キプロス島にコマンダリアという誇り高い酒精強化ワインがあること(p13)、M・F・K・フィッシャーとその恋人の話(p24)、自由の女神の生まれ故郷がほかでもないアルザスであること(p137)、アーゴストン・ハラスツィの波乱にとんだ生き方(p180)など。

 また、ディオニソスとキリストは重なる部分が多い(p17)という指摘はこれまでいくつかの本で読んだことを裏付けられましたし、イスラエルがどうやら独善的な民らしいということ(p53)は何となく感じていたことでした。

 引き続きこの本にもたびたび登場する辻静雄さんの本を読んでいますが、お二人の本に共通するのは、われわれ庶民の生活とはまったく別世界の、もうこの齢ではこれから経験することのできないような、高級で知的で贅沢な生活の一端を垣間見させてくれるということでしょう。これが読書の楽しみです。

 こういう本を読んでいるといつも感じるのは、ワインが無性に飲みたくなって困ることです。ワインを飲みながらのんびりと日向ぼっこをするような旅に出たいものです。