何かの気配を感じさせる音楽 その⑦ 

 またしばらく音楽から遠ざかっておりました。「何かの気配を感じさせる音楽」のシリーズも、ロシアに始まり、フランス、ドイツと辿ってきて、そろそろネタも尽きてきましたので、今回の拾遺篇でいちおう最後にしたいと考えています。現代の作曲家と、上記以外の国の作曲家、それにこれまでで洩らしていた作品です。

 実はもともと気配の音楽らしきものに出会って意識しはじめたのは、番組の名前の記憶が曖昧ですが、子どものころ深夜に放送されていたアメリカのテレビ番組「世にも不思議な物語」の不安を煽るような音楽がきっかけでした。今から思うと、同じく子どもの頃、映画「ゴジラ」の迫りくる危機を感じさせる音楽にも慄いていましたが、あれも気配の音楽の一種だったわけです。その後忘れておりましたが、『ロシア音楽の祭典』のCDでまた思い出したのでした。

 気配の音楽の淵源がモーツァルトベートーヴェンあたりにあるとしても、盛んになったのはやはりロマン派音楽から印象主義音楽(象徴主義音楽と言いたい)にかけてでしょう。その延長線上に、現代の気配の音楽があります。二つの方向があって、ひとつは印象主義や後期ロマン派から12音技法などの現代音楽に向かう過渡期に、不安定な情緒を醸す音楽が出現したこと、もう一つは、やはり後期ロマン派の作曲技法の円熟の先にある映画音楽の世界で、ドラマ性を求めて気配の音楽が引き継がれたこと。いずれも不安の時代である現代にふさわしい表現になったのだと思います。


 現代音楽へと向かう音楽については、ドイツ音楽のところで取り上げたリヒャルト・シュトラウスマーラーやレーガーもそれに該当すると思います。ここではR・シュトラウスの作品で忘れていた「死と浄化」を追加で取り上げておきます。
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リヒャルト・シュトラウスメタモルフォーゼン/交響詩《死と浄化》』(Grammophon POCG-1270)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 第二次大戦終了直前に作曲されたという「メタモルフォーゼン」よりも、50年以上も前に作曲した「死と浄化」のほうが、不安定な情緒に満ちているというのが不思議です。冒頭からもやもやとした感じが続き、夜明けのような雰囲気のなかで、ティンパニの鼓動があり、ハープの調べに乗って何かが目覚めようとします(https://youtu.be/REpeca_dznc)。途中美しいヴァイオリンの独奏の後、5:20ごろに突然、風雲急を告げるような不気味な曲想が現われます。

 マーラーが指揮者だった時代に、ウィーンフィルでチェロを弾いていたというフランツ・シュミットにも、気配が感じられる部分があります。
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FRANZ SCHMIDT『The String Quartets』(Nimbus NI 5467)
FRANZ SCHUBERT QUARTETT
 弦楽四重奏曲の第1番の第1楽章は耳に残る美しい楽章ですが、6分15秒あたりから曲想ががらりと変わり、弦が揺らぐような響きで不安定さを醸し出す部分があります(https://youtu.be/0LNEtXOMYvw)。

 これもマーラーにいち早く才能を見出されたコルンゴルドは、現代音楽と、映画音楽に向かう二つの性格を併せ持っていますが、前者の分野で思いつくのは、「交響的セレナード」でしょう。
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Eeich Wolfgang Korngold『Symphonic Serenade/Sextet』(CPO 555 138-2)
Hartmut Rohde指揮、NFM Leopoldinum Orchestra
 「交響的セレナード」の第1楽章では、4分過ぎから、低弦がお化けが出てくるような不気味な響きを一瞬だけ奏でます(https://youtu.be/xOY2dQTmfqU)。この作品は、マーラーの曲想を思い出させる部分が多く、第3楽章ではマーラーの緩徐楽章、第4楽章もマーラーのグロテスクなスケルツォに似ています。


 映画音楽へとつながる気配の音楽の系譜では、コルンゴルドやヴィーチェスラフ・ノヴァーク、フローラン・シュミットらが挙げられると思います。実際に、コルンゴルドは映画音楽作曲家としてハリウッドで大活躍しましたし、フローラン・シュミットも『サランボー』の映画音楽を作曲しているみたいです。まず、コルンゴルド
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ERICH WOLFGANG KORNGOLD『THE SEA HAWK』(Grammophon 471 347-2)
ANDRÉ PREVIN指揮、LONDON SYMPHONY ORCHESTRA
 このCDには「シー・ホーク」をはじめ、「キャプテン・ブラッド」など4つの映画音楽が収められていますが、「シー・ホーク」の2曲目「Reunion」の冒頭では、霧の出た海をたゆたうような不安定な気分がハープと弦によって奏でられます。何となくリムスキー・コルサコフの『サルタン皇帝の物語』の第2幕前奏曲「樽に乗って漂流する皇妃と皇子」を思い出させます(https://youtu.be/ter8kgExMWo)。

 ノヴァークは、ブルックナー交響曲の校訂をしたレオポルト・ノヴァークとは別人のチェコの作曲家で、音楽を聴けば瞭然、描写的で、この人もマーラーの後継者と思われます。コルンゴルドにも近い感じがします。
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ノヴァーク『管弦楽作品集 第1集』(NAXOS 8.574226)
マレク・シュティレツ指揮、モラヴィアフィルハーモニー管弦楽団
 「南ボヘミア組曲」の3曲目、「むかしむかし:フス教徒の行進曲」が、もっとも気配を感じさせる音楽となっています。冒頭から何かが芽生え、近寄ってくる気配が濃厚。ティンパニが不気味に響き、何かが着実にやって来る足音が聞こえてくるようです(https://youtu.be/H9jT58yPPEs)。その後も続き、徐々に高鳴って、最後まで緊張感が途切れることはありません。
 このCDに収録されているもう一つの曲、交響詩「トマンと森の精」も、冒頭から、洞窟から何か怪物が出てくるような雰囲気があります(https://youtu.be/ArF94sI2hBE)。その後もところどころ同様の不気味なところや何かが起こりそうな気配を感じる部分がありました。

 フローラン・シュミットには、交響的練習曲「幽霊屋敷」というのがあり、マラルメのポー訳詩にインスピレーションを得て作曲したという触れ込みで勢い込んで聴きましたが、始まって3:00あたりで束の間、ハープの不安げな響きがよぎっただけで、期待外れ。同じCDの劇付随音楽「アントニークレオパトラ」のなかに、気配を感じさせる音楽がありました。
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フローラン・シュミット『アントニークレオパトラ他』(NAXOS 8.573521)
ジョアン・ファレッタ指揮、バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団
 「アントニークレオパトラ」第2組曲の3曲目「クレオパトラの墓」がそれです。冒頭から、木管のの短いフレーズのやり取りが進むなかで、低弦が不気味な雰囲気を盛り立てていきます(https://youtu.be/KHfhA2N4d9k)。この後も、2分30秒ぐらいから、また5分50秒ごろからも不気味な感じがありました。

 映画音楽の世界は、気配の音楽の宝庫と思われます。ヒッチコックなどサスペンス系の映画に顕著なような気がしますが、それはサスペンスという言葉自体が、これからどうなるかという不安定な状態に宙吊りにされるということで、まさに気配に通じる意味を持っているからです。映画音楽は、私のように残された時間も財力も視力もない者の手には余るので、どなたかにお任せしたいと思います。


 20世紀になっての音楽では、まず思い出すのは、もっとも有名な次の曲でしょう。
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ショスタコーヴィチ交響曲第5番』(PHILIPS PHCP-1704)
セミヨン・ビシュコフ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 第1楽章全体に何カ所も、もやもやした雰囲気のところがありますが、代表として、低弦の動きが不気味な冒頭の有名な部分を引用しておきます(https://youtu.be/9Wj1nSXaNIw)。
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SHOSTAKOVICH『violin concerto』(Grammophon 471 616-2)
ILYA GRINGOLTS(Vn)、ITZHAK PERLMAN指揮、the Israel philharmonic orchestra
 同じくショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章冒頭の緊張感と清冽さと重々しい雰囲気は交響曲第5番と似ているところがあります(https://youtu.be/cLHpeOQwz8w)。

 もう一人20世紀、かつイギリスの作曲家にホルストがいるのを忘れてはいけません。
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グスターヴ・ホルスト組曲《惑星》』(Grammophon POCG-50041)
ジェイムズ・レヴァイン指揮、シカゴ交響楽団
 一曲目の「火星」は、冒頭から一定の持続するリズムを刻みながら何かが近づいてくる感じが漲って、次第に音を大きくさせてきます(https://youtu.be/8ljFfoN8lgA)。その後、3分20秒頃から、うねるような旋律が不安をかき立てるなか、突然あの強烈なリズムが戻ってきます(https://youtu.be/nH9R5BcxcSM)。
 「土星」も冒頭から、2音の音形が同じリズムで進んで行くなか、うねるような低弦が現われるところに気配が感じられました(https://youtu.be/ddS-1hPuQ8w)。

 仏独露以外の作曲家では、ノルウェーグリーグの「ペール・ギュント」に気配の音楽がありました。
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グリーグペール・ギュント』第1組曲ほか(JPCD-1002)
渡邊曉雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団
 第1組曲の4曲目「山の魔王の宮殿にて」では、冒頭の何かに向って進んで行くような感じの繰り返しのリズムが不安感を煽り立て、同じようにファゴットの出てくるデュカスの「魔法使いの弟子」を思わせます(https://youtu.be/fbxOclH2cIA)。この後もどんどん高まって行きます。

 フランス・ドイツの作曲家の作品で、後で洩らしていたと気づいたのは、ベルリオーズの「イタリアのハロルド」と、リストの「悲しみのゴンドラ」の2曲です。
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ベルリオーズ交響曲「イタリアのハロルド」』(ERATO WPCS-28025)
ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・カピトール管弦楽団
 一曲目「山におけるハロルド」の冒頭、低弦が唸るように蠢いて、旋律にも不安定さがあり、不気味な雰囲気を醸し出しています(https://youtu.be/Iz_cdYJp_KY)。
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FRANZ LISZT『La Lugubre Gondole』(harmonia mundi HMG 501758)
Emmanuelle Bertrand(Vc)、Pascal Amoyel(Pf)
 このCDのジャケットも、前回のレーガーのCDと同様ベックリンの「死の島」で雰囲気があります。リストの「La Lugubre Gondole(悲しみのゴンドラ)」では、冒頭から不吉なピアノの大きな3つの音が響き、その繰り返しがチェロを挟んでたびたび顔を出すのが、不吉な気配を感じさせます(https://youtu.be/D6zZpbTUM5c)。曲の終わりにも同じ響きがもう一度顔を出します。


 結局、「気配」という言葉の定義もあいまいなまま、個人の感覚で適当に知っている曲を並べただけの話になってしまいました。他にも抜けている作曲家や作品は数多くあると思います。また全体を総覧して、いくつか気のついたこともあり、まとめのようなものを作ろうかとも思いましたが、不勉強かつ能力に余る中途半端なことは止めることにしました。音楽理論に則って正確な位置付けができる方に、気配の音楽の系譜をきちんと論じていただければと願っています。
(なお、引用音源については、各音源会社の許可は逐一取っておりませんが、90秒以内であれば引用と認められると勝手に解釈して添付しております。関係各位のご寛恕をお願いします)。