西沢文隆『庭園論Ⅰ』

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西沢文隆『西沢文隆小論集2 庭園論Ⅰ―人と庭と建築の間』(相模書房 1975年)


 庭についての本の続き。西洋から日本の庭の方に移行していきます。この本は、庭と建築の関係を空間の視点から論じているのが特徴で、西洋の空間にも目を配りつつ、日本の庭について考えています。建築の実務の分野の方で、一般には知られていない人ですが(私だけが知らないのかも)、学者よりも勉強家で、いろんな庭を調べていて、庭を構成する細かな部分にも通暁されています。これだけの知識が身についていたら、庭めぐりも楽しいものになるに違いありません。

 例えば、西洋建築で、内部と外部を仲介する仕組みに関してだけでも、ロジア、エクセドラ、パスタス、バルコン、ヴェランダ、テラス、ポルティコ、コロネード、アーケード、ギャラリーという区別、滝の落ち方について、向落、片落、伝落、離落、稜落、布落、絲落、重落、左右落、横落という微妙な表現、飛び石一つとってみても、雁行、千鳥、二連打、三連打、四連打、二三連打、三四連打、ひづみ、大曲り、短冊打と、なかなか奥が深い。結局、いろんな用語が出てきますが区別がよく分からないのが難点。著者自身も戸惑っている風なところがうかがえます。

 これまでになかった面白い指摘がいくつかありました。例により曲解を交えてまとめてみますと。
①日本の建築は広い空間を開閉自在な建具によって仕切ってゆくという特徴がある。寝殿造りでは、塗籠(ぬりごめ)という寝室を除いて一室空間であり、几帳、屏風、衝立で軽い仕切りをするだけだった。渡廊下も壁のない吹放し廊で庭と室内はつながっていた。武士の邸宅である主殿造りでは、ある程度塀で仕切られるようになり、室内は完全に外界から遮断されるようになった。書院造りになって、庭は棟ごとに仕切られ、棟ごとに占有される形となる。しかし特別な行事が行われる場合、室内の間仕切建具が取り払われるとまた一室空間となり、寝殿造りの状態に戻った。

②家のなかで靴を履くか脱ぐかの違いが、建築の構造に大きく影響している。西洋と中国ではともに靴を履くので、庭に自由に降り立つことができたが、西洋は冬の寒さに耐え抜くために開口部を小さくしたので、それほど自由ではなく、比較的温和な中国では室内と庭との連続度が大きかった。日本は室内で靴を脱ぐので、家のなか(椽)から庭を見たり、廊を歩きながら左右の庭を見るということが多かった。

③西洋の庭は館の高いテラスから眺望する庭であり、ヴェルサイユなど大きなスケールの庭は歩いて回れるようなものでなく、また風景式庭園も自然との距離が大きく、自然とじかに触れるという感覚はなかった。西洋の庭は、平面図や航空写真で特徴を表示することが可能だが、日本や中国の庭は、人間が庭と一体化するところに醍醐味があり、平面図で示しても意味がない。

④日本の廻遊式庭園の特徴は、いくつもの庭に分割され、一景一景まとまった庭が連続するところにある。連続の仕方にはストーリーがあって深山幽谷に迷い込んだかと思えば突然広闊な池の眺望に接するという具合。イスラームの庭は、壁で庭園を仕切っているが、人の移動にともなって新たな庭園が開けるという点で、日本の廻遊式に似ている。

枯山水の技法が発達した背景には、都市化の進展とともに水源が涸渇したこと、禅宗寺院の山際の立地には水が豊富でなかったこと、建築と庭のあり方が変化して人と庭とが一対一で差し向うようになったこと、禅宗とともに移入された中国の水墨画の自然の骨法を描くスタイルに刺激を受けたことがある。

⑥茶庭は、漫然と歩き庭の景を楽しむためにあるのでなく、外腰掛待合→寄付→外露地→中門→内露地→内腰待合→内露地→蹲踞→躙口→茶室と順次経るなかで、心を山中の澄み切った静謐な状態に置くようにし、茶室に入る心身の準備を完了させるために仕組まれたもの。山中の気分を出すために、木洩れ日が苔に斑を造る程度に樹々を透けさせ、清く掃き清めた地面に枝をゆすって落葉を二、三葉落とすといった心遣いまでする。また茶室に入った瞬間に一輪の朝顔の匂やかさを劇的に浮かび上がらせるために、露地の朝顔を全部もぎ取ることまでした。

⑦日本、中国において、風景のミニアチュール化ということが行なわれた。石そのものを観賞する盆石、自然の山嶽や市邑の風景を連想させる石を観賞する盆山、石そのものを観賞するのでなく風景を造り出す盆景、砂と石を使って盆の上に羽箒を使って山水を描く盆絵、木を小さく育て自然の気韻を味わう盆栽など。一方、ミニチュア化せず原寸大で写す縮景園というのもあり、商店、旅籠、番所などを完備する小都市を縮小したような尾張徳川の下屋敷外山荘の庭、小仏殿、官衙、商店が建ち並び市街を現前させている中国円明園の舎衛城がある。

 その他、ギャラリーはもともとエリザベス朝演劇で中庭で演じられるのを観客が二階から見たその吹放し廊をギャラリーと言い、観賞的意味のない場合はギャラリーとは言わないこと。ヴェランダは北欧的で日光に当たることを目的とし、ロジアは南欧的で日光を避け涼風を楽しむのを目的に造られたこと。日本の川は西欧人の目から見れば川ではなく瀧だということ。伏見山荘では旅人の姿をした人に庭を歩かせて山里の雰囲気を醸し楽しんだことなど。伏見山荘の話は、イギリスの風景式庭園の庵で、瞑想する隠者が雇われ住まわせられた話に似ています。

 また、本を読んでいていろんなことを考えてしまいました。
人間が住居を建てるために木や草を払えば、自然を庭園化しようという意志は働いていなくても、自然はすでに庭園化されている、という記述を読んで、虫が巣を作る場合は巣も自然のなかに含まれるのに、人間が関与したものはすべて人工物とみなされるのは不思議なような気がします。

 昔の人がいかに自然と親しんでいたかをあらためて感じさせられました。釣殿では、酒宴、詩歌の会、観月、観瀑、魚釣などをし、舟遊びするときの乗船場でもあったということや、さし昇る月に滝の水を光らせて楽しんだり、前栽に虫を放って満月を観賞しながらその声に聞き入って夏の涼を取ったり、月の出の時間にしたがって十六夜、立待、居待、寝待、有明と呼び変えて月を楽しんだりしたことなど。

 少し長くなってしまいました。