:山中哲夫『ヨーロッパ文学 花の詩史―詩にうたわれた花の意味』(大修館書店 1992年)


 『フランス幻想文学の総合研究』で書かれていた文章が気に入ったので、積読になっていた本を取り出して読んでみました。この本でも文章はたいへん読みやすく、気取りもおごりもなくて好感が持てました。

 この本は、花にまつわる詩をとおしてヨーロッパの文学史をたどる構成になっています。わたしは花の名前や木の名前にはかなり疎いほうですが、この本で取り上げられている花は基本的なものが多く、花にまつわる言い伝えや神話のエピソードが次から次へと出てきて、読んでいる間中快い気分になりました。

 文学史であっても、こうした切り口で見ると、非常に魅力的なものになります。富士川英郎に動物が出てくる詩を集めて評した『失われたファウナ』がありますが、他にも「山」や「海」や、あるいは「夜」とか「静けさ」とか、何かひとつのテーマから文学史全体を俯瞰したような本はないものでしょうか。ただそうした本を書くには、幅広い渉猟が必要でなかなか難しいものとは思いますが。

 著者は中世まで遡って広く詩を読んでおられるようで、また「ヨーロッパ文学」と謳っているように、フランスが中心ですが、イギリス、ドイツの詩にも言及があり、ヨーロッパ全体の比較文学史ともなっています。

 細かいところで感心する指摘はたくさんありましたが、逐一まとめるのは大変なので、後の引用にまかせるとして、大きなところで分かったことは、
1)花が人の心を惹きつけるのは、美しいだけでなく、性を象徴したものだから。
2)ひとつの花においても、時代精神が変わるとともに、その見方が大きく移ってゆくこと。
3)つれなき美女(la belle dame sans merci)は中世の宮廷恋愛文学に淵源があること。
4)ロンサールの泉の詩は、ペトラルカのヴォークリューズの泉に影響を受けていて、さらにたどると、ギリシア・ローマの牧歌的田園文学に行き着くこと。
5)同様に、「命短し恋せよ乙女」のテーマは、ロンサールやロレンツォ公に見られるが、これもギリシアの詩までたどれること。

 時代的には、近代の「エメラルドの目をした、天使のような吸血鬼のスフィンクスは/残酷な縮れた髪のその黄金のもとで夢想する(サマン「ある女」)/p314」や「おまえの目には亡霊や蛹がうじゃうじゃいて/緑の洞窟の奥深い、青緑によどんだ水のようだ(グールモン「悪しき祈り」)/p314」のような世紀末の頽廃美学も私の好むところですが、「一輪の花というより、音を立てて流れる奔流/やがて深淵にぶつかりのみ込まれてしまう水の流れ/水の流れ、いやむしろそれはひと夜の夢/夢!いや、ほんとうは夢の影(オーヴレー「スタンス」)/p156」のようなバロック時代の魅力にあらためて気づかされました。

 量が多くなりますが、印象深かった文章を引用しておきます。

花のはかなさがこの世のはかなさ・・に譬えられる一方で、春がめぐってくれば必ず芽を出し開花するそのすがたは、宇宙の永遠をも連想させる。このように花は一瞬と永劫を合わせもつ時間の精華でもある/pii

薔薇の変容。中世キリスト教の聖母の花としての「神秘の薔薇(ローザミスティカ)」や聖杯伝説の「聖杯(グラール)」、あるいは『薔薇物語』の寓意的な花のすがたを見せたかと思えば、ルネサンスではアナクレオン風のギリシアの薔薇やボッティチェリの開放的な花に変わり、バロックの頃には宗教戦争を反映して、炎と化して燃えあがる自虐的な殉教の花となり、また古典主義時代には紋切り型の装飾用の花に堕し、やがてロマン主義の夜明けとともに、野の花の息吹きを伝えつつ愛の花の女王として海の色を真っ赤に染める。あるいはまた、青い花の系譜をたどることも可能だろう。中世の古風な佇まいを見せる寂しい花アンコリー(おだまき)や、催眠と覚醒をもたらす愛の匂いの花スミレが、バロックの血を吐くような悲痛の花や陰気な墓場の花と化し、やがて懐かしい幸福の思い出の花、ルソーのツルニチ草を経て、ノヴァーリスの無名の神秘的宇宙の花へと変貌し、ロマン主義の最盛期にはネルヴァルの狂気の青い薔薇になり、世紀末の暗い海底の花である藤や葵から、今度は明るい山頂に咲くポール・フォール青い花、そして二十世紀のリルケのりんどうへと、さまざまに変転してゆく/piii

近きものへの愛であるアガペを説くキリスト教では、夫婦愛が愛の最高の形である。それにたいして、南仏抒情詩人たちが讃美するエロスは、《遠きものへの憧れ》である。ここには異端の匂いがする。反キリスト教的情念がくすぶっている/p27

キリスト教図像学では、薔薇はキリストの血を受けとめた盃またはそこから滴り落ちた滴を意味した/p45

夏の陽を一杯に受けて銀色にきらめきながら流れる水のすがたに、彼(ロンサール)は女性の髪を連想した・・・事実、ルネサンス期の女性のファッションでは、流れ落ちる水をかたどった髪が流行した・・・フランスルネサンス詩で《黄金の縮緬(クレープ・ドール)》と表現されているものがこれである/p63

ストイックで倫理的な薔薇の時代は終わり・・・ルネサンスにふさわしい、官能的で開放的な薔薇の時代が到来する。そのモデルとなったのは、ギリシア・ローマの薔薇のイメージである/p71

バロックとは、ドールスに言わせれば、ファウストのひそみにならって悪魔に魂を売った、その契約書にしるされた《血の花押》である。より正確には《血の花押》が描くグロテスクな模様である・・・すなわち殉教の薔薇の花模様にほかならない。磔の殉教者は焔と化す。いわば光る薔薇、というよりむしろ“ヒステリックな薔薇”、“痙攣する薔薇”である。十七世紀イギリスの形而上派詩人ジョージ・ハーバードはいみじくもこう表現した―《焼け爛れる薔薇》/p131

まるで弱音器をつけて奏される弦の音色のような、トリスタン・レルミットの繊細なつぎのオード・・・「この暗い洞窟のほとり/こんなにも甘い空気の吸えるところ、/波は小石と、/光は影ともつれ合う。・・・」異様な静けさがあたりに漂っている。人気ないもの寂しさが身に迫る。うすらあかりがかすかに水を照らし出しているだけで、いきものの影も見えない水辺である。/p142

ぼくの日々は過ぎゆく一陣の風にすぎない(ロラン・ドルランクール「風」)/p145

夜への想いである。ヤング『夜想』、コリンス『夜への讃歌』、ハーヴェイ『墓石の中での瞑想』、グレイ『墓畔の哀歌』など、いわゆる「前ロマン派」と呼ばれる詩人たちの詩が愛好されるようになった・・・かくして花が夜と結びつく/p201

夜の静寂(しじま)に光を浴びてひっそりとひらく花。このような花が魂の比喩として使われるのは自然な成り行きだろう・・・「わたしは死ぬ、しかしわたしの魂は、花が息絶えるそのときに、/ひとつの悲しい音楽のような響きとなって気化していく(ラマルチーヌ「秋」)」/p234

死神や骸骨や蛆虫がひしめくボードレールの世界は、ひとが想像するより死の世界から遠い。むしろこれらは「生」の側からの叫びなのである。/p270

オフィーリアの衰弱した百合は、いわば神経症にかかって自ら身を投げた花であり、マラルメの場合は、ナルシシズムの鏡の水に白鳥のように閉じ込められ凍結した花である/p314

鳥が静かに飛んでゆくのは、このような薔薇の空間のなかである/p342