:フィリップ・ジュリアン杉本秀太郎訳『世紀末の夢―象徴派芸術』(白水社 1982年)


 フランス世紀末に関する大著です。美術を中心に文学にも目配りし、時代区分も世紀末を中心にロマン派以降シュルレアリスムまでも視野に入れ、またイギリス、ドイツ、ロシアなどの動きも並行して著述したスケールの大きな作品となっています。

 「本書は十九世紀のおわりの二十五年間にみられる空想ゆたかな芸術の一展望というものよりもむしろ、世にもめずらかな花々の一大開花をうながし、ときとしては驚異の奇花すら咲かせるにいたったもろもろの神話に関する一研究というものになるだろう。(p18)」と書いているように、世紀末芸術が取り上げたテーマや、思想、人物などキーワードを項目に立てて、縦横無尽に語っています。


 同じ著者の『1900年のプリンス―ロベール・ド・モンテスキュー伝』(今年の1月25日にこの日記で取り上げ)と同様、次のような特徴が際立っています。

 ひとつは、文章の分かりにくさです。フランス人特有の冗舌体で、詩的な気取りに満ちており、あまり論理的でなく飛躍が多い文章で、意味が読みとりにくいところが多々ありました。雄弁家が自らの声に酔っているような印象があります。しかし分からないなりに、ひとつの芸として読めば結構楽しめる感じはします。濃厚な甘いリキュールを飲まされたような、重たい酔いが延々と続く世界です。

 ふたつめは、上記とも関連しますが人名の大洪水です。知らない名前や、かろうじて聞いたことのある名などが頻出しますが、読者がその人について当然分かっているものとして話がどんどん進んでいくので、ついて行けなくなります。


 また、巻末にみずから抜粋編集した文集を置いているのも、『1900年のプリンス』と共通しています。

 混然とした著述の中で、かろうじて分かった限りで、いくつかのポイントを拾い上げると、次のような感じでしょうか。
1)ロマン派との比較の視点
2)マニエリスムとの類似の指摘
3)先導者としてボードレール、ラファエル前派とビアズリー
4)アール・ヌーヴォーの母胎としての位置づけ
5)シュルレアリスムへの道を拓いたこと
6)背景の思想として、神秘主義、ペシミスム、物質主義への反発
7)ジョコンダ(女性美)と男性像の表れ方
8)歴史と伝説、神話(スフィンクス、怪物)の題材
9)美的態度としての宗教、黒魔術
10)性的な要素、同性愛
11)ピエロ、仮面の役割
12)東方への憧れ
13)運動としての媒体(画廊、雑誌、舞台)の紹介


 恒例により、印象に残ったフレーズを抜粋しておきます。

英国が耽美的とするなら、フランスは頽廃的であった・・・英国がイメージを、フランスが詩のテーマを、世紀末に招来したとすれば、ドイツは教義を引き受けた・・・ロシア帝国では、耽美主義よりもはるかにずっと重要な地位を占めていたのは神秘主義である(p31)

私はデカダンスというこの緋色にかがやく言葉が好きだ・・・官能的な精神と悲しい肉体と東ローマ帝国の目くるめくような輝きがまざりあって出来ている言葉なのだ(ヴェルレーヌ)(p34)

スノッブという言葉も、だいたいこの時代に拡がった・・・スノッブと芸術家の結びつきは、十九世紀末に、趣味の貴族階級をつくり出した(p38)

ロマン主義の天使にあたるものは、サンボリスムでは霊の化身ということになる。・・・霊の化身たちのおびただしさは、信仰への回帰の結果というよりもむしろ、物質主義に対する激しい嫌悪の結果というべきである(p78)

夕闇 そして酔いどれ雲でいっぱいのあの空には/かならず闇が そして地下納骨所だらけの心にもまた闇が/そして脳髄に金箔を張りつめるのにわれわれが選んだ書物からもまた闇がしたたりおちる(ヴェルハーレン)(p101)

彼はげんに見えているものを想像している(マルセル・ブリオンがブレダンについて言った言葉)(p111)

ベナレスからブリュージュにいたるこの道筋は、ロマン派の踏み固めた道から逸れている。スペイン、ナポリ、ラインの岸辺が、世紀末に霊感を与えることはなかった。ロマン派好みのああいう国々は、あまりにも生気にあふれ、あまりにも絵画的でありすぎる。「霊の化身」が好んで求めたのは、「雰囲気」だった。ロマン派の旅は冒険に充ちていたが、サンボリストの旅は夢への船出であった。(p168)

水は破壊よりもはるかにむしろ忘却の象徴であり、表面は鏡、深い内側は死の王国である。(p193)


 この本には、たくさんの絵画が掲載されていますが、その中で印象に残ったものをあげると、
○オスベール「謎」(p92)
◎オスベール「幻想」(p92)
○オディオン・ルドン「幽霊の不吉な命令」(p112)
○レオン・フレデリック「みんな死んだ」(p113)
○フランソワ・キュプラ「勝ち誇るうじ虫」(p114)
○カリエール「ロダン展のためのリトグラフィ」(p134)
◎フェルディナン・ケラー「ベックリンの墓」(p154)
セガンティーニ「悪しき母」(p170)
◎ロッシュグロス「バビロン最後の日」(p186)
○ジャン・デルヴィル「治世の終わり」(p188)
○ホールマン・ハント「シャロットの姫」(p190)
○ジャン・デルヴィル「オルフェウス」(p205)
ベックリン「峡谷」(p206)
○ジャン・デルヴィル「スチュアート・メリル夫人」(p226)
○J.F.ヴァーグナー「夢」(p246)
○ジャン・デルヴィル「霊の化身たちの恋」(p264)
フレデリック「滝」(p276)
マックス・クリンガー「悪夢」(p277)


 最後に蛇足ですが、若干この本の編集について違和感があったので書いておきます。
ひとつは、この本にはまったく注がありません。「訳者あとがき」で言い訳を書いていますが、やはりこうした本では必要なものと思います。これに関しては訳者よりも編集者に責任があるように思います。

もうひとつは、慣用的な人名と違う表記がされていることです。何か特別な意思がこめられているものとは思いますが、読んでいて違和感がぬぐえません。例えば分かる範囲ですが、次のようなものです。( )内が慣用的な表記。メリエ(メリエス)、フォカ(フォカス)、クノップ(クノップフ)、ミューシャ(ミュシャ)、ラールソン(ラーセン)、ラカム(ラッカム)、ベルマー(ベルメール)、トンプソン(トムスン)。