:PONSON DU TERRAIL『ROCAMBOLE―TURQUOISE LA PÉCHERESSE』(Éditions Garnier 1978)(ポンソン・デュ・テライユ『ロカンボール―罪深い女テュルクワーズ』)


 生田耕作先生旧蔵の一冊。

 久しぶりにとても分かり易いフランス語で、ぶ厚い本(377ページ)の割りに速く読み終えました。と見栄を張っても、なに、ところどころ分からないところがあったのも事実。しかしこういう展開の華々しい読み物は少々分からないところを読み飛ばしても問題はない。なかなか快適な読書でした。

 鹿島茂さんがどこかでロカンボールをフランス語の勉強のために読んだと書いていましたが、これをフランス語購読の教本にしたら読むのも楽しくなるのではと思いました。濃厚な文章をじっくり読むのもよいですが、軽い文章を速く大量に読むというのも読書のもうひとつの楽しみ方なので、そちらを先にやるべきだと思います。私も大学時代こういう本で勉強していたら、もう少しはましだったかもしれません。


 Brionを読むときは、2〜3ページ読んでは概要をメモしていましたが、今回は、登場人物と各章ごとの場面メモをつけるだけにしたので、その分読むスピードが上がったように思います。

 この本は新聞小説(ロマン・フュイトン)なので、手に汗握るところで次回へという興味を刺激する書き方をしており、1回ごとに演劇的な場面転換をするので、場面ごとのメモが役に立ちました。
 またシリーズの3作目のようで、前作から引き続いての登場人物が多数出てくるため若干混乱しました。それで登場人物も出てくるたびにメモをしました。この登場人物メモは創元推理文庫などが読者への便宜のために、巻頭に掲載しているものですが、これは実は訳者が自分のために作っていたものを読者用に供したに違いありません。


 一読して、読んだことがあるような気がしたのは、アルセーヌ・ルパンと似ていて、貴族や金持ちの上流社会を舞台にしているからです。怪盗ルパン物語の原型はロカンボールのようです。この本では、ロカンボールは師匠の悪人ウィリアム卿の言いなりに悪事を働く子分のようで、ウィリアム卿のほうがルパンに近いかもしれません。

 この悪人ウィリアム卿は怪人二十面相のようなキャラクターで、まだ遡って他にモデルがあるのか知りませんが、とても面白い人物です。
 またロカンボールとウィリアム卿のコンビは、ワトソンとホームズ(ボケと突っ込み)のような性格づけがあり、いつもロカンボールが投げかける疑問にウィリアム卿が即座に答え、ロカンボールが感心する場面が頻出します。この関係は他の登場人物ロシア貴族のアルトフと彼が崇拝する元高級娼婦バカラの関係にも言えます。


 推理的な要素も若干ありますが、物語を牽引するのは、陰謀、謀略です。女性の愛をめぐっての賭け、忍び込み、決闘、千里眼、おびき出し、見聞きは出来るが死んだようになる薬のワインへの混入、毒殺、解毒剤のすり換え、証人の刺殺、変装、信用を得るための仲間内での芝居、誘拐、川中の袋詰めからの脱出、人喰い土人への引渡し、舌切りの刑など。

 物語の技法として、この頃すでに、現在も使われているいろんな手法が出てきます。
1)時間的に前後するふたつの場面が並行して語られ、それがある瞬間にひとつの場面に合体するところ。例えばⅩⅣ章、ⅩⅥ章、ⅩⅦ章、ⅩⅩ章のストーリー群と、ⅩⅧ章、ⅩⅨ章のストーリーがⅩⅩⅠ章で合流する。

2)物語の途中で、作者が直接読者に呼びかける手法。例えば「物語を先へ進める前に、伯爵家から出て来た人物の話に戻ろう」など。

3)偶然の出会いが効果的に使われていること。例えばロシア貴族アルトフと元高級娼婦バカラが馬車で回遊していると、ロカンボールととすれ違う場面。

4)煩悶する人物の心理を克明に描くところ。とても扇情的、これでもかと煽る。大衆小説ならではのノリである。例えばレオンがテュルクワーズと駆け落ちしようと、深夜、煩悶のうちに妻を棄て子どもを抱いて逃げようとし、迷ったあげくに絶望して橋から身を投げようとするシーンなど。


 物語を面白く進めるために極端なシチュエーションを設定していることや、話が好都合に運び過ぎることなど、子どもだましの感じを受けますが、江戸川乱歩の子ども向き物語を読んでいるようなどこかのんびりとした味わいがあります。

 この一冊の本の中で、すでに同じ型の反復があちこちに見られます。
1)やたらと手紙を口述筆記させるところ(現代なら携帯電話をかけるところでしょうが)。
2)化粧部屋に隠れて密会の現場を待ち伏せする場面が多い。
3)貴婦人に愛を告白するシーンが多い、しかも同じパターン。誰か別の女性のことだと思わせておいて最後にそれはあなただと明かす。めでたしめでたしの大団円でもこの手が使われます。
4)意識不明から目覚めたところで、目覚めたことを知らない人がする会話を聞いてしまう。同じパターンで、薬を盛られ、見聞きは出来るが体が動かず喋りもできない状態で、ある場面に立ちあわさせられる。


 貴婦人と彼女に忠誠を誓う男が中心に活躍するところは、中世騎士物語の影響でしょうか。貴族と淑女が多数入り乱れて恋愛模様を繰り広げるところ、そこに陰謀や策謀が渦巻くところ、現代ならハーレクイーンロマンスに入ってもおかしくない物語だと思います。

 19世紀半ば世界の交流の活発化を反映してか、スウェーデン人、インド人や、コロンビアの海賊、ロシア人、ワラキア人など、いろんな国の人が入り混じって展開します。

 こんなに面白い話なのに、日本語の翻訳があまりありません(ネットで見たら、大正時代に一つだけあるようですが)。なぜなんでしょう。

 作者のテライユについては、ものすごい多作家だったと松村喜雄の『怪盗対名探偵』で紹介されていますが(ロカンボールシリーズはFayard刊で46巻)、日本で言えば牧逸馬のような存在でしょうか。