:梶浦正之『現代仏蘭西詩壇の検討』


                                   
梶浦正之『現代仏蘭西詩壇の検討』(肇書房 1944年)

                                   
 いくつか驚いたことがありますが、まず1944年という敗戦色が出てきている戦時下で、こんなのんびりした、しかも敵国の文化についての本が出版されていたこと。次に梶浦正之という著者について聞いたことがなかったが、19世紀末以降のフランス詩について幅広い知識を持っていること。アンリ・バルビュスやフランシス・カルコ、ジョルジュ・デュアメル、ピエール・ブノア、ジュール・ロマンといった小説家が詩人として登場し、すぐれた作品を残していること。フランス語の綴りがかなりでたらめなまま印刷されていること。

 この本の目指しているところは、サンボリスム以降の詩人たちとその作品をできるだけたくさん紹介しようというところにあるようです。目次に載っている詩人の数を数えたら総勢179名、詩作品は207にもなりました。それを14の派と補遺に分類しています。象徴派、浪漫派、高踏派、ユナニミスム、ナチュリスム、アンテグラリスム、南方詩派、幻想派、内観詩派、古典派、立体派、ダダイスム、超現実派、女流詩人といった具合で、それぞれの派ごとにいちおう解説はついていますが、いまいち分類の根拠が説明不足でよく分かりません。浪漫派というのはいわゆるロマン主義とは違って、象徴主義のなかでギリシア、ローマに戻ろうとした一派、古典派というのももちろん古典主義ではなくて、十七世紀フランス古典詩の語彙や律格を取り入れようとした一派。

 ところどころで、「アンドレ・ビイに従うと」とか「アンドレ・ビイは謂う」とかいった言葉が出て来るので、アンドレ・ビイの本が種本になっている模様。

 私の興味は象徴主義にありましたが、象徴派の詩人たち以外に、浪漫派に分類されているエルネスト・レイノーやシャルル・モラス、高踏派に分類されているルイ・ル・カルドンネル、ユナニスムに分類されているジュール・ロマンなどは象徴派以上に象徴主義的な詩を書いていたこともあり、浪漫派、高踏派、ユナニスム、ナチュリスム、幻想派あたりが、私の思っている象徴主義と重なるように思われます。

 知らない詩人がたくさん出てきました。詩作品の翻訳や人物紹介で読む限り面白そうな詩人(作品)は、フェルデナン・エロール(雪)、ジャン・ロワイエル(憂愁の夕)、テオ・ヴァルレ、エルネスト・レイノー(痩馬)、ルイ・ル・カルドンネル(心の領土、暗い約束の扉)、アルフレッド・ドロアン、レオン・ボケ(小舟流れて)、モリス・ル・ブロン(深淵の歓楽)、フェルナン・マザード(渇れたる泉)、トリスタン・ドレイム(小曲)、エドアール・ガザニオン(雪にうたれて)、ルネ・ビゼ(王子の誓)、マルセル・ミエ(点景)、ヴァンサン・ミュウゼリ(真清水)。

 やはりすばらしい作品を書いていると思ったのは、アンリ・ド・レニエ(秋)、ポール・フォール(雨)、ギュスターヴ・カーン(花宴)、ピエル・ジャン・ジューヴ(青い氷河に似た言葉)、ジュール・シュペルヴェイユ(雪と虫)、ジャン・モレアス(わが胸は、唄、春の唄)、シャルル・モラス(内部)、マチウ・ド・ノワイユ夫人(青春、まぼろし)、モリス・マアグル(薔薇色の脳漿)。

 文章が戦前特有の講談調になっているのが面白い。例えば、「壮大豊麗な史境を背景として健剛の表現を揮ったビクトル・ユウゴウ、悲哀の井泉を掘り下げて竟に凄惨の妖美を得たる所謂『悲哀の錬金道士』のシャルル・ボウドレイル、生死の花々を雄々しくも軽快なる筆致と明確なる比喩とに依って浮彫したテオフィル・ゴオチエ、普羅曼(フラマン)の野より飛び出でた神秘の花粉、悲哀の喜戯に狂う特異なる蝶フランスア・コッペ」(p93)。

 以前にも書きましたが、ギイ・シャルル・クロスの「遺言に代えて」という詩が「千の風になって」の歌詞とよく似ています。少し引用します。「私が死んでも、墓の上で/お経や弔辞(とむらい)おしゃべりはして下さるな/・・・/それから私の灰を風に吹かして下さい/流れゆく雲の王者の風の奴にやって下さい」(p213)。


 都合により、ブログをしばらくお休みします。