:松尾邦之助の三冊

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松尾邦之助『巴里』(新時代社 1929年)
松尾邦之助『現代フランス文藝史』(冨岳本社 1947年)
松尾邦之助『巴里横丁』(鱒書房 1953年)


 引き続いて松尾邦之助の三冊。前回と合わせると、執筆の順は『巴里』『フランス放浪記』(1947)『現代フランス文藝史』『巴里横丁』『巴里物語』(1960)となります。『巴里』は前の所有者が製本し直したらしく頑丈ですが図書館本のような体裁、『現代フランス文藝史』はシンプルなフランス装風、それに対して『巴里横丁』はモンマルトルらしき絵を表紙にした味わいのある装幀となっています。

 本の性格もそれぞれ違っていて、『巴里』は、他の本が20年近くにわたる巴里生活を終えてから書いているのに対し、パリ生活6年目に、父危篤で日本に呼び戻された時に書いたもので、自分の体験は極力抑えて、フランスの思潮の紹介に重きを置いています。時流の影響か文章が新感覚派的で、読みにくい。

 『巴里横丁』は『フランス放浪記』に書き洩らしたものを続編の形で出版したもので、パリ生活、パリ社会についてのレポートという感じ。パリの酒、パリの芸術家、パリの女、パリの生活費、物価までも報告しています。パリの娼館の詳細が語られているのは、松尾氏ならでは。

 『現代フランス文藝史』は、ロマン派から戦後文学までの詩人、作家、劇人、批評家を紹介したもの。多数の作家を網羅紹介していますが、名前のオンパレードで文学事典の趣き。以前読んだ廣瀬哲士『新フランス文学』、梶浦正之『現代仏蘭西詩壇の検討』に似ています。ジャン・ロランにまったく触れられておらず、アルベール・サマン、ローデンバック、メーテルリンクも名前が出てくる程度なのは残念。また第一次世界大戦文学作品のなかに、ジャン・ミストレールの『Gare de l’EST』が抜けているのも不満。


 前回読んだ2冊と共通するテーマがいくつか出てきました。一つは現代文明批判に連なるもので、
①「世界美人競争だ、女の足の美の競争だ、カフェーの飲みっこだの、酒のみ競争だのと、何でもレコードを作り出そうという趣味が、善か非か、兎に角世界的な現象となって来ている」(『巴里』p102)→すべてを比較し競わせる近代的精神の是非。
②「現在、地方色とか特殊性とかが漸次破壊されて、混血的な世界色とでもいうようなものに、いつとはなく染められてゆくのは、世界全体に共通な現象である」(『巴里』p266)→20世紀初めにしてすでにグローバル化が進行していた。
③「西洋人は・・・よく発明した。然しながら・・・感情の美を失ってエゴイストになりきった機械化した人間の群を、西欧人自らが愛想づかししているではないか」(『巴里』p249) といったもの。


 もう一つは東西文明を対比したもので、「フランス人は生活の苦悩を・・・率直に訴えて悲しむことを怖れ避けている・・・日本人は悲哀と寂寥をそのまま歌い、その哀調を誇張し、詩化しようと努めている」(『巴里』p158)と、パリのどん底生活者の楽天的な生き方と、日本の「芸者の唄」に見られるような不遇者の諦めきれない態度を比較し、差異を指摘しています。


 また富者と貧者を対照させたテーマでは、
①「堅気のブルジョアどもは、彼らを『放浪者』『ごろつき』などと蔑みながらも、内心この放浪者の自由を羨んでいる」(『巴里横丁』p36)と、金と幸福を天秤にかける考え方をここでも開陳していました。


 前回の本では気づかなかったテーマとして、ラテン文明とアングロサクソン文明の対比がありました。
①「ラテン民族の精神とアメリカ人の精神とは、今日地球上最も相反したものである」(ピエール・ブノアからの引用)(『巴里』p255)
②「労働神聖説を唱えたのはキリストの清教主義であり、その影響が波及したのは英国の北部と中央部、アメリカなどであろう。この清教主義は中世期に於ける中流階級が・・・面白くもない労働を鞭撻するために考えた『格言』である・・・フランスやイタリアの人民は、芸術家的なラテン精神で育ち、享楽的な面を重要視する率直な人間であるだけに、『労働神聖』などという専制者のペテンになかなか騙されない」(『巴里横丁』p130)
③「正直なところ、ドイツがパリを占領した当時、ドイツ人は欧州文化の代表者となり、独・仏の協力によって英国が孤立にされ、世界はこの独・仏の文化で色どられ、アメリカとの対立時代がつづくかのごとき印象を与えた(『巴里横丁』p193)→それが今日のEUに蘇っているのでは。


 新しく知り得た情報もありました。
堀口大學にレニエの訳詩集(赤い本)があること(『巴里』p150)。
②日本でも最近「赤ちゃんポスト」として話題になったのと似た「メーゾン・マテルネル」という私生児を密かに生むシステムがフランスにはすでにあったこと(『巴里』p114)。
③巴里に「クリュブ・ド・フォーブール」という一般人が参加できる議会があること(『巴里』p239)→NHKのテレビ討論会のようなものか。


 ずっと松尾邦之助を読んできて、同時代の仏文学者への言及は、かろうじて後藤末雄、井上源次郎の名前があったぐらいで、内藤濯辰野隆鈴木信太郎らに触れられていないようなのはなぜか、彼らのパリ留学と重なっているようなのに、交流はなかったのか、正当仏文学者たちは松尾のようなジャーナリスティックな人間を遠ざけていたのかと、いろいろ疑問に思っていましたら、松尾自身が『現代フランス文藝史』の序文で次のように書いていました。「これまで日本のフランス文化の紹介者の大部分は、教職にある人々で、私に率直に云わせるとフランス文化の真髄を衝くと云うよりむしろどこかディレッタントとして、幾分学者風と倫理臭で遠くからフランスを観賞していた傾向(かたむき)が無かったとは云えない」(『現代フランス文藝史』p2)