:村松定史『日本におけるジョルジュ・ローデンバック』(芸林書房 1998年)


 実に丹念に調べています。書誌的論究というのはかくあるべきという見本だと思います。見逃しそうな雑誌や紀要も網羅しているのは素晴らしい。一般の読書人に比べて、大学や学会などの専門家間ではこうした情報は入りやすいのに違いありませんが。

 名前も知らなかった研究者によりローデンバックについての論文が多数書かれ、私の知らなかった雑誌に掲載されていることを教えられました。入手できるか分かりませんが、機会があればぜひ読んで見たいと思います。

 読み進むにつれて、明治大正期の文学者たちが、ほぼ同時代的に海外の文学動向を把握し紹介しようとしているのに驚きました。またローデンバックが日本の作家たちにもいろいろな影響を及ぼしていることを知りました。

 例えば、
ローデンバックの詩が三木露風の作品のいくつかに影響を及ぼしていること(p23)、これはありそうな話です。
永井荷風が『死都ブリュージュ』を粉本として中編小説「すみだ川」を書いたこと(p25)、またブリュージュを奈良に置きかえた小説の構想もあったこと(p29)、これはまったく知りませんでした。
ローデンバックの短編「鏡」江戸川乱歩「鏡地獄」に示唆を与えた可能性があること(p48)、
ローデンバックの短編「暗示」から梶井基次郎が小品「過古」の創作のヒントを得たこと(p47)、
三島由紀夫が小説『禁色』の主人公を『死都ブリュージュ』を翻訳した作家に設定(p56)、残念ながら『禁色』は読んでいません。
福永武彦の「廃市」への影響、福永武彦本人は北原白秋の「おもひで」序文から「廃市」という言葉を借りて来たと言っているそうですが、「廃市」は水路の走る古都そのものが主人公とも言える『死都ブリュージュ』と同族の小説だと著者は指摘しています(p61)。
服部まゆみの『時のアラベスク』への影響、「その小説『死都ブリュージュ』と実際のブリュージュ市とを主人公に置いたといってよい巧みな構想の推理小説」と著者は書いています(p72)、読んだはずですが、まったく覚えいてません。
『死都ブリュージュ』を翻訳もしている窪田般彌に「死都ブリュージュ」という詩作品があること(p73)


 森開社社主の小野夕馥が、浄明寺一晃というペンネームで、ローデンバック論を書いていることも知りました。

 そういえば、その森開社の発行している雑誌「L’ÉVOCATION VOL.Ⅶ《書物随筆》」(2008.12)に村松定史が「書架逍遥(ローデンバック)」という随筆を寄せていて、ローデンバックの原書購入や書誌的な追及の苦労話を語っています。同じく古書を買う者として、そのレベルの違いに唖然としつつ、羨ましさに身を捩られる思いがしました。