:フィリップ・ジュリアン志村信英訳『1900年のプリンス―伯爵ロベール・ド・モンテスキュー伝』(国書刊行会 1987年)


 このところ強く惹かれているジャン・ロランやローデンバックの近くに居た人の評伝なので、読んでみました。

 いきなり冒頭の第1章で、固有名詞の洪水に見舞われ魂消てしまいました。その前の「感謝の辞」で延々と人名が羅列してあり、これは外国の受賞風景でもよくあることで仕方ないとあきらめていましたが、その調子を本論まで引き摺るとは思いませんでした。このエネルギーは何なんでしょう。フランス人だからでしょうか。細かく羅列していく冗舌さ、隙間を作らないようにびっしりと空間を埋めていこうとする情熱と似たものが感じられます。

 それと目に付くのは素直でないまわりくどい気取った表現。これもフランスのなせる業か。処女作というから若書きもあるのかもしれません。
 これを訳すのはさぞたいへんだったことと思われます。翻訳を決意された訳者の非凡な能力には頭が下がります。

 F・ジュリアンは、モンテスキューの人物と作品を描くのに、周りの人たちとの関係や、その人たちのモンテスキューに対する評価を描くことで、浮き彫りにしようとしています。そのために多数の人物が登場し、多数の発言、論考が紹介される要があったわけです。

 その成果のおかげで、何となくモンテスキューの人となりが分かったような気がします。名門の家柄に生まれ、多くの文学者と交わり、座興としての詩の朗読や気取った発言が人を惹き付け影響力を持ちながら、自らの作品は多産のわりにパッとせず、古美術商かとまで言われた社交界の人。若輩のプルーストなどがどんどん文学的評価を受けていくなかで、後世からみれば結局文学史の周縁に居た人物なんでしょう。

 しかし引用されている詩を読む限りでは、象徴主義的な暗喩に満ちた詩句がなかなか魅力的で、代表作集ぐらいは編まれても良いのではないでしょうか。

 晩年、華やかな社交の世界が遠ざかり流行から見捨てられ、ごく少人数の親しい人たちの間で零落して生きることとなりますが、皮肉なことに、その様子こそが、高貴なものが崩れ落ちる世紀末の雰囲気を漂わせています。

 社交界へデビューした直後から、ユイスマンスの『さかしま』のデゼッサントのモデルとして見られ(これは口の軽いマラルメが原因のよう)、そのイメージとの乖離に悩まされますが、分かり易い極端な生き方はモデルになりやすいのか、他にも、ジャン・ロラン『フォカス氏』のフォカス氏(作品中の彫刻家イーサルはホイッスラーがモデル)、プルーストのシャルリュス男爵、アンリ・ド・レニエ『深夜の結婚』があるようです。

 いろんな作家、画家と親交を結んでいますが、ボードレールヴェルレーヌマラルメプルーストをはじめ、ブールジェ、ゴンクール兄弟、ドールヴィイ、エレディア、ジャン・ロラン、レニエ、シュオブ、グールモン、ピエール・ルイスヴァレリー、ローデンバック、ジッド、レーモン・ルーセル、ルイ・クーシュー、モロー、ヘンリー・ジェイムス、ホイッスラー、バルビエなど、当時のほとんどの人が名を連ねていると言っても言い過ぎではないでしょう。

 当時は何かと言うとすぐ決闘をしたものと見えて、モンテスキューは、ジャン・ロラン、レニエ(このときモンテスキューは手に負傷する)、またプルーストはロランと決闘しています。

 モンテスキューが晩年に親交を結んだ一人、レーモン・ルーセルは、音韻の繋がりをもとにして想像を広げる手法で作品世界を創り上げていますが、その着想のもとに、モンテスキューのダジャレ詩の手法―一例を挙げると、峰の上の幽光(リュウル・シュル・ラ・シーム)と鑢(やすり)の上の汗(シュウル・シュル・ラ・リーム)―が多大な影響を与えていることが分かりました。

 恒例により印象に残ったフレーズ

モンテスキュー自身が一行の詩も発表しないうちに、その小説は彼を同時代のこのうえない注目の的とした。/p80

ワグナー、スウェデンボリー、ユイスマンス・・・これらあの80年代に影響を与えた霊性はみな北方に由来する/p102

微塵貝、硬玉、鮑貝、象牙/罅ある玳瑁、蝶貝、白い割貝。//無数の詩的で突飛なイマージュをもたらしたこの日本/p119

若い画家ジャック=エミール・ブランシュは彼に深い好意を抱かせた。・・・ブランシュの父親は、ネルヴァルやモーパッサンが通院した精神科医/p126

彼が実に頻繁に、ボードレールよりも多く援用したゴーティエはモンテスキューの真の師匠であった。/p198

極世紀末の趣味には屍体愛的一面があるのだ。/p278

この狂気はロココという大世紀の新美術を想起させるに充分であろう。しかし18世紀の貝殻装飾、レース、支那趣味は、表層を可能な限りに快く覆おうとしただけであった。アール・ヌーヴォの源泉はもっと重大で深いものである。ガレやオルタ同様ウィリアム・モリスには、ケルト起源の曲線の絡み合いとスカンジナヴィア起源の旧い形態の再湧出が見出されるのだ。/p279

アール・ヌーヴォのまた別の源泉は霊界である。/p280

 印象に残った詩句

極楽鳥が来てとまる。/私の腕は竪琴形に開かれている。/p195

空は色を変えつつ/銀色に昇らせる/月 青白く/蛋白石(オパール)に似て。/p196

黒い、激しいまでの黒さの青鷺の羽根が/白貂のうかがわせる白をさらに際立たせる。/p198

さてガニュメデスはその杯を手にし、/杯からは王女の死が滴り落ちる・・・/p219

竪琴が呻く静寂から、言葉はでき、/薔薇の生命絶えた薫りで息は花咲き、/視線は万象の死んでいった神秘から生まれ、/或る友の唇に 言葉は途切れる。/p223

諧調みつる指は鍵盤を悩まし/鍵盤は彼の凍れる心の戦慄を受ける。/p253

モーヴの薄片みてるガレの壷は/千鳥草のように口を開け/モーヴの薄暮のめぐる洞窟となる。/p276

紗の逆流にほかならぬ波/緑玉髄の炎にほかならぬ光/p277

楼閣が建つ、そして波にあらがい、/朝に夕に、荘重に美しく聳え立つ。/でも突如、音もなく、崩れ去る。/その《隅石》は墓より採ったものゆえに。/p347

極上の灰色の蜜を作りつつ、悲しむ蜜蜂。/月がその蒼白さで、冷ややかな花のなかに迸出させる/真珠母のような灰色の蜜。/p423

しかし彼らが、目に見えぬ秘法をさがしもとめて神聖な台座から彼女をおろそうとしたとき、掌のなかに捕らえた蝶が羽ばたくよう、肉体はさらさらと燦めく灰と化して指のあわいをながれおちた。/p430

 つい引用が多くなってしまいました。