:JEAN MISTLER『Le bout du monde』(ジャン・ミストレール『この世の涯』)


JEAN MISTLER『Le bout du monde』(GRASSET 1973年)
                                   
 今回は300ページ近い本なので長くかかりました。相変わらず分からないところはいい加減に飛ばし読みしましたが、前回読んだPaul Févalの不必要なごてごてした文飾に比べると、文章に落ちつきがあり整っていて読みやすい感じでした。

 ミストレールの小説は、これまで『Gare de l’Est(パリ東駅)』『Ethelka(エテルカ)』『La maison du Dr Clifton(クリフトン博士の家)』『L’ami des pauvres(貧者の友)』の4冊を読んできましたが、ミストレールには、『クリフトン博士の家』『貧者の友』のような幻想的味わいの濃厚な作品と、『パリ東駅』『エテルカ』のような郷愁に満ちた自伝的長編小説の二つの路線があるようで、この『Le bout du monde』は後者に属します。

 『パリ東駅』ではフランスの北東部が中心に描かれ、『エテルカ』ではハンガリーが舞台となっていましたが、今回は、フランスの南西部が中心です。フランスやドイツの地名がたくさん出てくるのが、旅好きとしては嬉しいところです。昨年、トゥールーズカルカソンヌと旅して、その近くが中心だったので親近感がわきました。

 フランス南西部のソレーズという町に生まれ、自然や家族と親しんだ子ども時代に始まり、カルカソンヌの学校へ転校し、その後パリのアンリⅣ世校に合格、大学受験勉強中に第一次世界大戦が勃発し、ドイツの前線へ動員され、終戦後、無事大学を卒業し外務省員となってハンガリーに赴くところまでを描いています。そのそれぞれの時期で、学校や寄宿舎での生活、近所の友だちと遊んだ思い出、先生の思い出、初恋を始めとするいろんな女性との交遊が語られます。この物語のあとを『エテルカ』が引き継ぐ形になるのでしょう。

 『エテルカ』の場合は、純然たる小説として書かれている分、いろんな登場人物の視点があり、物語も複雑で、結末に向って凝縮されていく感動がありましたが、この作品は実名で書かれた自伝そのもので、自分の成長を時系列に沿って述べていくというひとつの視点しかなく、若干だらだらした印象が否めません。

 本人も「若い頃の思い出で注意しないといけないのは話が細かくどんどん長くなることだ。それは幼い心には小さな出来事が大事件と同じぐらい印象に残っているからだ。」(p77)と書いているように、少し冗舌というか詳細に書き込み過ぎているように思います。

 しかし逆に、それがこの物語の魅力とも言えます。細かいエピソードそのものがとても豊かで、懐旧の感情に彩られたちょっとした光景や、詩情あふれる自然描写、学友たちと起こす滑稽な事件、そうした短い挿話が織り重なってひとつの大きな物語を作っているといった感じです。

 結末、故郷を再び訪れて祖父に別れの挨拶をする場面では、不覚にも涙しました。学生生活から実業生活へ入っていくところで終わるこの最後の一節を読んで、この物語全体が、失われていく黄金時代への一種の鎮魂歌のような作品だということが分かりました。それがタイトルの「Le bout du monde(この世の涯)」に表われているのだと思います。

 「この世の涯」というのは、ソレーズでの幼い日に親から行くことを禁じられた谷間にある土地のことです。幼い主人公は、妖精の国が地下にあって、クリスマスの深夜12時の鐘が鳴ると扉が開くんじゃないかと妄想をふくらませますが、大きくなってから小さな工場に過ぎないことが分かります。最後の場面で、列車の窓から「この世の涯」を垣間見るところが印象的です。

 そのような子どもの王国が随所に描かれており、それがミストレールのいちばん書きたかったことに違いありません。この作品の中でも、失われてしまった王国の喜びを再発見できる物語として、「『モーヌの大将』の最初の50ページ、『ゲスタ・ベーリング』のいくつかの章、『青い花』や『くるみ割り人形』の冒頭」(p94)などをあげています。

 エピソードのなかで、アンリⅣ世校で、同級生が上級生のいじめに会わないように机ごと隠れたという場面では、私の学生時代も授業をさぼるために机ごと居なくなる奴がいたので、どこの国でも学生は似たようなことをするなと感じましたが、学校の掲示板に偽の通知を張り出し、口頭試問をすると言って、偽試験官に成りすまして、いたずらをするような大掛かりなことはありませんでした。

 また成長の過程で影響を受けた作家や音楽のことが多く語られています。作家では、ウォルター・スコットジョルジュ・サンドミシュレアンデルセンジュール・ヴェルヌに始まり、ラマルティーヌ、ユーゴーミシュレ、ドーデー、フロベールルメートル、ネルヴァルらの名前が出てきました。音楽は、1913年頃コンセール・コロンヌ、サルガヴォー、コンセルヴァトワール・ホール、聖ジェルヴェ教会、聖クロティルド教会などの音楽会へ盛んに行き、いくつかの初演に立ち会った様子が報告され、従軍中のヴィスバーデンでもシューリヒトの演奏を聴いたりしています。

 ミストレールの一家が音楽家の家系で、祖父も父もヴァイオリン弾き、父親がローデンバッハの『死都ブリュージュ』を暗誦していた (p22) というのも、うなずけます。

 この作品は、時代の証言としても貴重で、例えば、アンリⅣ世校でアランの授業を受けたことを紹介した文章(p153〜159)や、モンパルナスのカフェ、ロトンドやドームでの藤田画伯の様子を描いた文章(p277)がありました。ソレーズのミステリー・サークルの記述までも (p14)。Joë Bousquet(ジョー・ブスケ)とカルカソンヌの中学で一緒だったというのも驚き(p108)。