:渡邊一民『フランスの誘惑―近代日本精神史試論』(岩波書店、95年)


 今橋理子さんの『異都憧憬』に続いて、日本とフランスをテーマにした本を読んでみました。

 この本は、日本人がフランスへどういう思いを持っていたか、日本とフランスとの精神的な関係を明治期から戦後の60年代ぐらいまで追いかけています。今橋理子さんの本は、美術や文学の世界を中心に、細部にこだわった新発見で成果を上げていたのに対し、この本は時代区分を明確にしながら、政治経済戦争など社会の動きも含め、全体の流れのなかで、大きな俯瞰を行なっているところが特徴だと思います。

 簡単に概要を記しますと、

 明治初めには日本から見て英米と互角な位置にあったフランスが、普仏戦争で負けたことによりドイツに大きく水を開けられ、「腰ぬけか助平」(金子光晴の言葉)しか行かない国になってしまっていたが、明治の終わり頃から、荷風をきっかけとして画家や文学者が次第にフランスへ行くようになり、強い憧れの対象となっていった様子がはじめに紹介されます。

 次の章では、第一次世界大戦により、パリにいた日本人は潮が引くように減るが、そのなかで滞在していた小牧近江にスポットを当て、彼が紹介したフランスの反戦思想が日本に与えた影響を紹介。

 その次の章では、第一次世界大戦後、フランスの文芸が次々に紹介されその翻訳文体が日本の文芸に与えた影響と、各大学に仏文科が次々に創設された事実を述べ、林芙美子を例にフランスへの信望者が生まれる様子を描きます。

 円高でフランスへの渡航者滞在者は2000人と急増しますが、大恐慌の影響で円安になると激減し、そのまま第二次世界大戦を迎え全員帰国を余儀なくされます。フランスへの幻滅と西洋に追随した日本への嫌悪から、伝統的な日本への回帰という当時の精神状況の構図を指摘しています。

 第二次世界大戦後は、戦前の仏文科を卒業した文学者たちの活躍に支えられたこともあり、再びフランスへの関心が高まります。留学生も急増し、そのなかで特徴的な二人の留学生、人種や人間の残酷さを描いた遠藤周作と、それまでの自分の知識が観念(詐術)でしかなかったと反省しフランス永住を決意した森有正を取り上げます。また55年頃に日本で高まった日本人論の担い手が海外からの帰国者だったことを指摘し、加藤周一の「雑種的日本文化論」と森有正の「私的二項方式(日本の共同体的在り方)」を取り上げます。

 そして、日本と西洋の異質さを初めて融合させることに成功したと辻邦生を評価した後、60年代後半から留学の形自体が変質して新しい局面が生まれてきたことを指摘して終えます。

 全体を通して、フランスへの一方的憧れ、幻滅などを経て、日本がフランスを同化していく過程が描かれていると大雑把に言えると思います。

 歴史的な事実関係や日記、旅行記などによる説明は具体的で説得的でしたが、文学作品を例に挙げて主人公の心の動きなどを説明しようとしているところでは、その本を読んでいない者にとっては全体像が頭に入りづらく、よく分からないところもありました。

 円高、円安を受けて、フランス滞在者渡航者が極端に増えたり減ったりしていること、戦争期には滞在者がほとんど居なくなったことなど、個人の活動が経済など社会の安定した基盤にあることを痛切に感じました。

 「近代の超克」シンポジウムで、あれほどフランスに憧れたり西洋文明を追いかけていた人たちが、短絡的に急に神国日本などと言い出した不思議もそれと同じような構造だと感じられます。うまく言えませんが、美意識や欲望は社会基盤の変化によって急変し、論理的な説明はそれに応じていかようにでも捏造することができるということ、シンポジウムの席で小林秀雄のように言葉を濁したものだけが真実を語っているということではないでしょうか。