:独仏文学者の書いたパリ滞在記二冊

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竹山道雄『ヨーロッパの旅』(新潮文庫 1964年)
阿部良雄『若いヨーロッパ―パリ留学記』(中公文庫 1979年)


 この二人は、竹山道雄1903年生まれ、阿部良雄が1932年と歳は離れていますし、片方はドイツ文学、もう片方はフランス文学が専門で、およそ共通点はありませんが、手元の本を読んだ順ということで。世代の差があるうえに、書いた時の年齢が竹山が50代前半、阿部が20代後半ということもあって、文章の調子も極端に違っています。竹山はいわゆる戦前の教養派らしく豊かな知識と落ち着いた雰囲気、阿部にはわれわれの世代に近い素直さが感じられました。強いて共通点を挙げるとすれば、二人とも外国文学者であるということと、ほぼ同じころ(1950年代後半)にヨーロッパに滞在しているということでしょう。

 『ヨーロッパの旅』には、イタリア、スイス、フランスの滞在時の話しか出てこず、ドイツがないのはドイツ文学者らしからぬ感じですが、幅広い教養を誇る戦前文学者らしい振る舞い。それにしても、旺盛な知的好奇心には感心してしまいます。イタリアでは、いろんな町を旅しながら地元の人と盛んに交流し、ほとんどだれも見物に行かないような辺鄙なロマネスクの教会を訪れたり、フランスには長く滞在して、フランスの一家族に深く入り込んで娘の縁談の相談に乗ったり、田舎町へ行ってあちこちの家に招かれ、こっくりさんを体験するなどしています。この本は、ほかにナチスユダヤ人虐殺と旧石器時代の洞窟壁画という大きなテーマを論じた二つの章があるのが特徴。

 竹山道雄というと、小中学生の頃に『ビルマの竪琴』を読まされた覚えがあります。大学生になってからは、右翼というレッテルを貼られていたので敬遠しておりました。いま読んでみると、とてもよく考え抜いていて、バランスの取れた人だと思われます。例えば、「戦時中の自国民の痴愚悖徳」(p88)という風に戦時を賛美するのでもなく、「人種とか血とかいうことが唯一の規準であり、絶対の価値であった・・・もしこの『血』を『階級』と入れかえたら、どういうことになるであろうか」(p167)と一つの観念を狂信する非人間的な姿勢を批判しています。

 ナチスユダヤ人の虐殺をノンフィクションのように追いかけた「妄想とその犠牲」はなかなかの力作で、虐殺の実態がよくわかりました。当初はユダヤ人をドイツから追放しようとしていただけなのに、他国を侵略するうちに追放する場所がなくなり、マダガスカルに全員輸送しようと計画したがそれがうまく行かなかったこと、そのことと精神病者や治癒可能性のない患者を安楽死させていたナチス優生学的思想とが結びつき、いつしか殺戮の道を歩み始めたということです。虐殺に関わっていた人々は、それが正義だと信じ、殺せないことは自分の心の弱さであり克服すべきものだと思っていたようです。はじめは銃殺だったが、撃つ側の精神的負担が大きいこと(ヒムラーという司令官自身が大量銃殺に立ち会ったとき、銃声を聞いたとたんに失神したように倒れかけたという)、また一般人に知られやすいことから、大型自動車で運びながら毒ガスを吸わせるようにしたが、能率が悪いので、大きなガス室を作ることになったということでした。

 いくつか印象に残る文章がありました。

私がおぼつかないフランス語を考え考え喋っているのを見て、やはり誤解した。―「東洋人はわれわれとちがって静かである。物をいうときにも一々瞑想する」/p51

もし罪があるとすれば、われわれすべてが人間としてあの事件(ユダヤ人虐殺)に対して責任があります/p88

「苛酷ナレドモ正当ナル」という言葉は、ナチスがよく使った・・・これは「理想主義」からおこったのであって、日本軍の占領地における破廉恥行為のように、だらしのなさからおこったものではなかった/p135

キリスト教が人間の獣性を醇化しえた成果は、われわれの歴史の中で仏教がはたしたものよりも、はるかに小さかった/p171

人々は、いま残っている光栄の姿がうたがいもなく自分のものだ、と思っている。「祖先から承けついだものを、わがものとすべく、獲得せよ」という自力の教えには、頭がむかない/p272

この想像力こそ道具を作った主体であり、文化の根源の問題は、何よりもまず想像力の根源の問題である/p413


 『若いヨーロッパ』は、阿部良雄がフランス政府給費留学生としてエコール・ノルマル(高等師範学校)の日本人初の寄宿生となって3年間パリで生活した時の記録です。前半は、エコール・ノルマルの生活について詳述していて、フランス人学生のものの考え方と日本人のそれとを比較しています。ほかに、30数か国から40数人と合宿する世界大学の体験、ヒッチハイクなどもしながらヨーロッパをあちこち回った時の話や、当時の思潮について語った部分もありました。

 文体に特徴があって、素直で本音を語るようなところもある一方、エコール・ノルマルで鍛えらえた思考法かもしれませんが、たえず反対意見を気に留めながら書いている用心深さ、臆病さのために、持って回った表現になり歯切れを悪くしているところがあります。

 フランスの学生の思考法では、次のような点を指摘していました。①思考法が論理的であって、例えば禅のようなものを考える際も、本来は非論理的なものなのに論理のはしごを掛けていこうとする、②知性を自分たちの存在理由にしているので日本のようにインテリであることの引け目というものがない、③自分の行動に距離をおいて自省する癖がありその延長線上で他人が信じていることにも冷水を浴びせる、ことなど。また、先生の指導では、説明のしにくい考えをイメージで直感的に表現するのは便利だが分析を怠けることの危険につながるから避けよという教えが印象に残りました。そして、エコール・ノルマルの神髄は試験勉強や高級な議論にあるのでなく、「カニュラール」という大掛かりないたずらにあると、その面白い例をいくつか紹介しています。

 当時のフランスの精神状況としては、ロマンチックな発想に対する反発から、あらゆる分野において神話的表現を避けようとする態度があり、政治でも美辞麗句的な表現が嫌われ、文学ではそれが「アンチ・ロマン」、「アンチ・テアトル」となって現れていると指摘していて、時代の雰囲気がよく分かりました。イヴ・ボンヌフォアの詩がその例のひとつとして挙げられていたのは、すこし違うような気がしますが。

 「文庫版あとがき」の最後の一行が衝撃的でした。文中で、著者がパリで日本語を教え将来は日本学者として有望だと自慢し期待していたユベール・マイス氏が東京で客死にしたことが知らされます。その一言がこの本全体を大きな余韻で包むかのようでした。