:森有正についての本二冊

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辻邦生森有正―感覚のめざすもの』(筑摩書房 1981年)
栃折久美子森有正先生のこと』(筑摩書房 2003年)


 引き続いて森有正関連で、今度は森有正について書かれた本二冊。辻邦生東京大学の学生時に、森有正の講義を聞き、その後フランス留学時に交流が深まった、いわば師弟関係にあった人。栃折久美子は元筑摩書房編集者からブックデザイナーとして独立したばかりの時に、森有正に出会って本を読み、心酔し、それからおっかけのようになって日本での集中講座に出席したり森の本の装丁をしたり、最後は秘書のような存在にまでなった人です。

 双方とも、森有正の日常の素顔を伝えていて、著作を読んだだけでは分からない人柄を知ることができました。共通するのは、森有正の座談がとても面白かったという証言で、ユーモアがあり、映像豊かな比喩、奇想天外なエピソードに満ちていて、ときには嘘も交えて話を面白くされたりしたようです。どことなく河合隼雄さんに似ているなと思ったりしました。

 お二人の著作の異なる点は、辻邦生が真正面から森有正の思考の後を追い、森有正の西洋体験の深層と歴史的な意味を問うているのに対して、栃折久美子は大学ノート23冊にものぼる当時の記録をもとに克明に会話を再現し、ノンフィクション的に森有正の姿を追っているところです。


 『森有正先生のこと』に出てくる面白いエピソードとしては、森有正が意外と大食漢で寿司を二人前食べたり、牛乳を毎日5本も飲むことや、森有正辻邦生について語った次のような言葉が印象に残りました。「わたくしは銀行の通帳を辻さんにあずけてあるのですが、一度だって入金の報告が来たためしはありませんね。そしてわたくしがそれをなじると大へん怒ります・・・実用的な人ではないですね、辻さんは。だからよい小説が書けます」(p18)。

 栃折氏は森有正が日本に滞在している間は頻繁に会い、パスポートの手配や出発前の衣類等の準備、本の手配から、口述筆記の相手など秘書のような役割を果たして、共同で事務所を持つ計画を立てる所までの深い関係になります。栃折氏は長文のラブレターもどきの手紙を書いたことがあると告白したり、先生から「風変わりなプロポーズ」を受けたように書いていたりして、微妙な関係だったことが窺われます。が肝心なところが書かれていないので実態はよく分かりません。最後はしばしば喧嘩している様子ですがこれも深い間柄だから起こることでしょう。森有正の横顔を描いていますが、一方で一人の文学好きの女性編集者の奮闘記とも読めます。時を経るにつれ、西洋の造本術(ルリュール)に目覚め自立し先生から離れていく姿を描いた一種の成長記録となっています。


 森有正になじられて怒ったその辻邦生の書いた『森有正―感覚のめざすもの』を読んで驚いたのは、文章が整然としていて、森有正本人が書いた文章よりも分かりやすく説明されていることです。見事としか言いようがありません。印象に残ったのは、日本人の西洋体験の一連の流れの中で森有正を位置づけて、次のような点を指摘しているところです。
①ヨーロッパに留学した日本人には、二つのタイプがあり、ひとつはヨーロッパの文明を理解し知識を獲得しようと努力した人たち、もうひとつは放浪者、生活者となって感覚的な体験をした人たち。前者は単なる観察者、後者は単なる生活者として終ってしまうことになる。
森有正は、ヨーロッパの文明をつくりだした原理に一体化しようとし、魂の中にヨーロッパの精神を取り込もうとしたところに特徴がある。
③ところが、森有正は日本にいた頃すでに、デカルトパスカル研究をものし、ヨーロッパでは学ぶものがないというくらいの高い水準に到達していたがゆえに、その詐術性が良心の痛みとして森を襲うことになる。
④それは、日本の近代が行なった詐術性と重なり、森を苦しめた。
⑤そして、森有正という存在は、日本の近代の詐術性を終焉させるための象徴的な人物としての役割を果たしたのではないかと結論づけている。それは明治以来の日本とヨーロッパとの関係、すなわち「〈教師+訳のわからぬもの〉対〈生徒+特殊な人間〉という図式」を「〈人間〉対〈人間〉の関係」へと変えるものであった。

 短絡的に考えれば、森有正は誰もが通過する青年期から大人になる際の自我の獲得を、西洋を相手に格闘したと言うことができるかもしれません。


 印象に残った言葉としては、
「人間がつくった名前と命題とに邪魔されずに、自然そのものが裸で感覚の中に入って来るよろこび」(森有正『木々は光を浴びて』よりの引用)(『森有正』p87)
「どんな厖大精緻な神学も、一介の田舎娘の素朴な祈りに如かない」(森有正『城門のかたわらにて』よりの引用)(同p99)
「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中をうしろ向きにしか進めないのです(森有正が引用したヴァレリーの言葉)」(『森有正先生のこと』p186)