Pierre Gripari『Le gentil petit diable』(ピエール・グリパリ『善良な悪魔の子』)


Pierre Gripari『Le gentil petit diable et autres contes de la rue Broca』(Gallimard 1983年)


 読み終わってから、これを書こうとネットを見ていたら、なんと、この作品を訳したらしき『ブロカ通りのコント』という本が朝日出版社から出ていることを知りました。訳されている本はなるべく読まない方針だったので、愕然。でも子ども向きの本で、単語も1頁に1語引くかどうかという程度、文章もいたって平明だったので日本語を読むのとあまり変わらずに読めました。この本は、国内のネットオークションで買ったもので、Puig Rosadoという人の楽しいイラストが入った子ども向きのfolio juniorシリーズの一冊。初版はLa Table Rondeから1967年に出されています。

 グリパリも、シュネデールの『フランス幻想文学史』で知った人。バロニアンの『Panorama de la littérature fantastique de langue française』でも4ページにわたって紹介されていました。バロニアンが、マルセル・エーメの系譜に位置づけているのに対し、シュネデールは、珍妙極まる言葉の才能、くすぐりの多い手法や鬼面人を驚かす点でマックス・ジャコブとしています。マックス・ジャコブも子ども向きの本を出しているようなので、読んでみたいと思いました。

 幻想小説と言うよりは、ユーモア小説のジャンルに入れるべきもので、非現実的なことが起こったり幽霊が登場しても、さらりとしていて、劇的な驚愕や恐怖感をいっさい感じさせない筆致です。お伽噺・童話の文体と言えばいいでしょうか。また、アメリカ流のほら話の影響か、悪魔の子が天国へ行って神さまから読み書き算数のテストを受けたり、ポテトがアラブの富豪と結婚したり、神さまの子が画用紙にクレヨンでいたずら書きをしたのが天地創造だったりと、スケールの大きなほら話になっています。

 細部のエピソードに、ユーモアや機智を感じさせられました。例えば、悪魔の親が、子どもをしつけるのに、学校へ行くなとか友だちを殴れとか普通とは逆だったり、ポテトが富豪と結婚する経緯を週刊誌のゴシップ記事風の見出しで語ったり、皇子が魔法をかけられて姿そのままの切手に変えられたり、父親が子どもに何か異常はないかと聞いて、姉が魔女に攫われ弟が奪還に行ったと答えても「それだけか、おやつにしよう」(p87)と言ってみたり、悪さをした子豚の背中に切り目を入れて豚の貯金箱に変えたりします。また、天国に入ることができる歌の話になったとき、「教えてくれって言っても、知ってたら私も今頃はここに居ないよ」(p19)と、読者を揶揄うような言辞があるなど、語りに余裕があります。

 恒例により、各短篇を簡単に紹介しておきます(ネタバレ注意)。
〇Le gentil petit diable(善良な悪魔の子)
親がいくら悪を教え込んでも善良になりたい気持ちを捨てない悪魔の子が、地獄から人間世界を経て、神の世界へと至る。神の世界の入口では、読み書き算数のテストを受けることになるが、機智と勇気で切り抜けるお話。数字が生き物になって動きだす場面が面白い。

Roman d’amour d’une patate(ポテトの恋物語
屑籠に捨てられたポテトがゴミ処理場で壊れたギターと出会い、それぞれ生い立ちを喋り合っていたら、その会話を耳にした浮浪者にサーカス団に売り飛ばされる。が、独り奏でるギターと歌うポテトの二人組で一躍スターにのし上がり、世界中のテレビを賑わした結果、ポテトはアラブの富豪とめでたく結婚するというナンセンスほら話。

〇La maison de l’oncle Pierre(ピエール叔父さんの家)
怠け者の金持と勤勉な貧乏の兄弟が居て、貧乏が金持ちの家に、夜9時以降は2階に上がることを条件に住まわせてもらっていた。金持ちは夜1階で人に見られずに金を数えたいからだ。その金持は、急死した後も自分が死んだことに気づかず幽霊として出没し金を数え続ける。が、あることをきっかけについに幽霊だと自覚する話。

Le prince Blub et la sirène(ブリュブ皇子と人魚)
人魚に恋した皇子は、人魚との結婚に反対する父王の奸計で離ればなれにさせられたが、水のある所ならどこでも人魚を呼び出せるという呪文を教えてもらっていたのでびくともしなかった。が皇子は司祭から魔法をかけられ切手にされてしまう。宮殿が火事になったとき、父王は自分の過ちに気がつき、切手の上に涙を落とすと、皇子は人魚となっていた。父王が敵国の艦隊から攻められた時、人魚の皇子は海を波立たせて国を守る。

〇Le petit cochon futé(抜け目のない子豚)
神の子が画用紙の上で世界を創世した。天と地、太陽と月、そして次々に獣、魚、鳥。そして星座を作るのに、みんなに呼びかけたが、ドングリに夢中だった子豚だけが聞いてなかった。怒った子豚は曙光が星を袋に入れてしまうのを手伝う振りをして北極星を飲み込み、居酒屋の地下に隠れてしまう。船は航行不能となってしまった。が、太陽が機智を発揮し、お腹の光っている子豚を探し出して北極星を取り戻し、子豚は貯金箱にしてしまうという大ぼら話。

〇Je-ne-sais-qui, je-ne-sais-quoi(誰か知らない者、何か知らない物)
3人兄弟がいて、末弟は愚か者で皆から「運逃し」と馬鹿にされていた。父親は、3人それぞれに金と船を与えて、商売して来いと言った。兄2人はそれぞれ毛皮、蜜を買うが、末弟は、いじめられていた猫を子どもたちから買い取る。3人である島に行くと、そこは鼠が跋扈していて毛皮も蜜も台無しになったが、逆に猫が高額で売れた。その島に住みついた末弟は、島の王から難題を吹きかけられるが次々に解決し、最後に、どこか知らない所へ行き、誰か知らない者を見つけて、何か知らない物をもらってくるようにと命じられたが、それもクリアする。お伽噺の典型的パターン。