分身テーマの短篇小説集二冊

  
マイケル・リチャードソン編・柴田元幸/菅原克也共訳『ダブル/ダブル』(白水社 1991年)
角川書店編『ドッペルゲンガー奇譚集―死を招く影』(角川ホラー文庫 1998年)


 海外と日本の分身小説のアンソロジーを読みました。『ダブル/ダブル』のほうは、編集のリチャードソンという人が眼力優れた人のようで、分身の概念を幅広く捉えて、いろんな種類の分身・替玉の話を収集しているのに対し、日本のものは編集者の能力のせいか、凡庸な分身譚が多い。レベルの差が歴然です。もしかして日本には、もともと質の高い小説がないのかもと思ってしまいそうになります。

 『ダブル/ダブル』に収められているのは、影が独立して本人と対立したり(アンデルセン「影」)、そっくりな二人の女性に二股をかけて悲劇が起こったり(R・レンデル「分身」)、シャム双生児の苦悶であったり(J・バース「陳情書」)、瞬間に人物が入れ替わったり(P・ボウルズ「あんたはあたしじゃない」)、そっくりな双子が居たため殺人犯の目撃証言が無効になったり(G・グリーン)、替玉ロボットを作って自分の人生から逃避しようとしたり(S・ソンタグ)、二重の生活を送ろうとして同じパターンの人生が繰り返されたり(A・モラヴィア「二重生活」)、二人の人間が一つの身体に同居して喋るのも書くのも二つずつであったり(E・マコーマック「双子」)、時空を超えたところに居るもう一人の自分を感じたり(コルタサル「あっちの方では」)、彼女と二人で居るつもりが他人からは自分一人しか見えなかったり(ブラックウッド「二人で一人」)、死んだ恋人が恋敵の嫉妬心が作る幻影となって現われたり(ビオイ=カサーレス「パウリーナの思い出に」)など、多種多様な作品。

 なかでも出色は2篇あり、ひとつはトンマーゾ・ランドルフィの「ゴーゴリの妻」。ゴーゴリと同時代の伝記作者がゴーゴリとの交友を通しての見聞を語るという卓抜な設定で、ゴーゴリの妻は女性でも人間でもなくゴム人形だったこと、そしてゴーゴリがいかに彼女を愛していたかを微に入り細を穿って描写し、あげくは彼女が不貞を働いたと妄想を抱き空気を入れ続けて破裂させてしまうことを語る。最後にゴーゴリが隠すように何かを暖炉で燃やしたが、それは妻との間にできた子ではなかったかという。グロテスクな奇想に満ちた一篇。

 もうひとつは、ブライアン・W・オールディスの「華麗優美な船」。デンマークスウェーデンのあいだにかかる吊り橋の上で現代人二人が会話するという設定で、家畜運搬船に乗ったという体験談が語られて行くうちに、どうやらそれが嵐のなかを航行するノアの箱舟の物語だと分かる。そのスケール感の大きさに圧倒されるとともに、嵐のなかで、架空動物を満載した豪華船ときわどくすれ違う場面のリアル感が凄い。大ぼら小説。

 編者の巧みさを感じさせられたのは、この本は斬新な作品ばかりを集めたので、古典的な分身小説を読みたい読者のために、この本自身のドッペルゲンガーをお見せしようと言って、次のような理想的な書物を語っているところです。巻頭には、ロゼッティの絵「彼らはいかにして自分に出会ったか」と、ミュッセの詩「12月の夜」が掲げられ、本文には、ホフマンの「分身」、モーパッサン「オルラ」、ポー「ウィリアム・ウィルソン」、ホーソン「加賀美氏の生活」、マーク・トウェイン「並外れた双子」、チェスタトン「大法律家の鏡」、メルヴィル「書紀バートルビー」、コンラッド「秘密の共有者」、クライスト「拾い子」、H・ジェームス「懐かしの街角」が配されるというものです。

 編者は、他にも、今世紀(20世紀)の作家たちは、影という概念に憑かれているとして、ナタリー・サロートの『生と死の間』や『幼年時代』を挙げているほか、レスリー・フィードラーの『セカンド・ストーン』、ハワード・ネメロフの『フェデリーゴ』、ブライアン・ムーアの『マンガン・インヘリタンス』という聞いたこともない作品名を列挙し、さらに、アイデンティティの探求に沿ってドッペルゲンガーを再考したとして、ナボコフの『絶望』、『目』、『青白い炎』に言及していました。

 分身に関する評論では、ロバート・ロジャース『文学における分身―その精神分析学的研究』、カール・F・ケプラー『第二の自己の文学』、マサオ・ミヨシ『引き裂かれた自己―分身の文学概論』、ジェームス・B・トウィッチェル『恐ろしい愉しみ―現代恐怖小説の解剖』が紹介されていましたが、これもいずれも聞いたことがありません。


 『ドッペルゲンガー奇譚集』では、かろうじて、筒井康隆の「チューリップ・チューリップ」が海外の諸篇と対抗できるレベルにあると思いました。タイムマシンで過去へ戻ろうとした男が、機械のショートで、スターターを押す前に戻ったため、2人が同じ時空に存在することとなり、再チャレンジでまたショートして、4人となり、最後は16人となって大混乱に陥るハチャメチャSF。

 次に面白かったのは、生島治郎の「誰…?」で、作家としての苦しみを告白した前半の真摯さに共感できる一方、物語としても、作家としての不安が作品に批判的な分身を生み、それがどんどん力をつけて来て、最後には本人と分身が入れ替わってしまうという恐怖を描いて出色。