Jacques Sternberg『Le coeur froid』(ジャック・ステルンベルグ『冷酷』)

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Jacques Sternberg『Le coeur froid』(CHRISTIAN BOURGOIS 10/18 1973年)


 ジャック・ステルンベルグは、シュネデールの『フランス幻想文学史』でもバロニアンの『フランス幻想文学展望』でも取り上げられている作家ですが、いずれにもこの作品への言及はありません。

 現代(と言っても1970年頃なので公衆電話やタイプライターが出てくる)を舞台にした小説で、少しハードボイルド的な雰囲気もあります。主人公の男が一人称で語り、登場人物は主人公がGlaise(粘土)とあだ名した女性とほぼ二人だけ。二人が出会って別れるというストーリーで、物語の展開もほとんどありません。

 この作品の眼目は、Glaiseという謎の女性の造形にあります。名前もなく、身分証もなく、ほとんど何も持たず、着古したセーターで、男の前に現われます。現在の一瞬にしか生きておらず、過去の記憶がありません。自分の過去についてまったく喋らないだけでなく、少し前の出来事の記憶もなくなっています。日にちの計算もできず、ワシントンも知らず、アメリカすら知りません。知恵遅れの子どものようでもあるし、別世界からやって来た生き物のようでもあります。「ある植物の放つ毒汁の性質、鉱石の凍ったような凝縮性、ある種の動物の夢遊病のようなけだるさがあったが、人間であるのを否定することもできない」(p51)と書いています。

 突拍子もない行動をして回りをびっくりさせます。例えば、トラックに轢かれた死体を見て腕だけピンとしてるわと大声で言ったり、レストランでは隣の席の皿を覗き込み不快になった客が早々に立ち去ろうとするとまだ残ってるからポケットに入れて持って帰ったらとアドヴァイスしたり、列車で向かいの席に座った赤子を抱いた母親に、その子を針で突いて風船みたいにしぼむのを見てみたいと言ったりします。

 がその一方で、彼女は太い首、広い肩、真直ぐで引き締まった腰、すらりとした脚を持ち、眼差しは官能的で、「よく女性を猫に喩えたりするが、彼女の場合は虎だった」(p31)と、主人公の男は、息を飲むような不純な美しさに揺さぶられます。一緒に行動するうちに、主人公の心の奥底に潜んでいた軽蔑と破壊の情熱が目覚めてきます。男は何度も彼女を振り切ろうとしながら、離れると彼女の幻影が頭のなかに渦巻き、仕事も手につかなくなり、書籍卸会社の要職の地位を投げ捨て、持ち金がなくなるたびに、地方巡業の営業職についたり、顧客の苦情に返事の手紙を書く仕事についたりと、転々としますが身が入りません。

 彼女と相対していると間に厚い壁があるかのように思われ、眼を見ていると、夜の淀んだ色、藻や腐った葉のどんよりした色が反射する沼を思わずにはおれないので、Glaise(粘土)とあだ名しました。「グレーズからは性愛をほのめかす言葉は聞けなかった。精神面では5歳か6歳でしかなかった・・・が、それは私が勘違いしているだけで、彼女自身も目的を忘れているが、巧みな娼婦の手口だったのかもしれない」(p147)と述懐しています。                                  

 謎の女性が物語を牽引していく枠組は『ナジャ』を思わせ、女性に対して独り芝居をする男の悲哀を描いたという意味では『ロリータ』を思わせる雰囲気があり(50年以上前に読んだので違っているかもしれない)、魔女に滅ぼされる男と解釈すれば「つれなき美女」となるかもしれません。また、グレーズが雨水が好きで河をうっとりと眺め今にも服を脱いで飛び込みそうになる場面がありましたが(p21)、そうなるとこれはウンディーネ譚の変種ということになるでしょうか。

 いずれにせよ、一方的な男目線が充満していて、少々古い時代を感じさせ、女性の読者が読めばどんな感じがするのか気になります。同じことかもしれませんが、もうひとつ気になったのは、主人公がいともたやすく女たちに声をかけ夜を共にすること、また主人公はそうした目でしか女性を見ていないと思われることで、日本の小説風土との違いが感じられました。