古東哲明『瞬間を生きる哲学』

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古東哲明『瞬間を生きる哲学―〈今ここ〉に佇む技法』(筑摩選書 2011年)

 

 知らない人でしたが、同世代で、テーマも面白そうだし、文章が分かりやすかったので購入。文章のやさしさはどこかで読んだことがあるなと思っていたら、内容、書き方ともに森本哲郎によく似ています。最近読んだ河本英夫もそうでしたが、最近の哲学者は理論を説明するだけでなく、問題に対する具体的な処方も同時に書くのが流行のようです。この本では、多忙な日常を生きるなか、瞬間を得る8つの技法が紹介されていました。

 

 論旨はおおざっぱに以下のとおりです。現代に生きる人は、「いま」を生きることをせず、将来のために学業や仕事に克己努力するというように、なにかの「タメに生きる習慣」があたりまえになっている。とくに資本主義経済システムは、世俗化した禁欲精神が基本にあり、今ここに沸き上がる歓喜をガマンし、未来の利得や成果をあてにし将来の幸福に備える備蓄思想である。この近代特有の「先へ前へ競わせ駆り立てる仕組み」が現代の生活を慌ただしくしている。また遠くの世界とつながるラジオや電話、さらにはテレビジョンの登場が、いま・ここでない二重性のなかに生きる生のスタイルを形作ってきた。

 

 「速度」が重要になっている現代では遅刻はもってのほかとされるが、近代以前の社会は時間にルーズであった。いいかえれば、効率的で時間厳守的な人生より、もっと重要なことがあるという人生観を持っていた。日本人は時間を守り勤勉だと言われるが、そうした態度も、昭和に入る頃にかろうじて本格化したものであり、小学校の修身の教科書などで、何も知らない子どもたちの脳味噌に摺り込まれたものである。

 

 プルーストが、「現実というものの表面にはすぐに習慣と理知の氷が張ってしまうので、けっして生の現実を見ることがない」と考え、過去を過去として思い出す通常の「意志的想起」ではなく、かつて「生きられた瞬間」であった過去をそのまま現在に蘇らす「非意志的想起」という技法を編み出し、小説作品においてその実践を試み「真の生」を取り戻そうとした、という例を紹介し、現在をしっかり経験する機会としては、芸術作品に接することだとして、俳句を例にとり説明する。最後にインドで悟りを開いたような少女との会話を紹介しているが、この最後のインドの少女との会話がいかにも創作らしく、そのあたりが森本哲郎と似ているところです。

 

 一元論的思考になっていて、見る角度や持ち出される例はあれこれ変わりますが、結局同じことばかり書かれているので冗長な印象があります。この瞬間を生きることを忘れて非現実的な観念に振り回されてあくせくしている現代人や、そうした構造を作り上げている現代社会は間違っているというのが主張のようですが、では、その問題をどうすれば解決できるかということに関しては、個人レベルでの芸術鑑賞や瞬間を生きる技法の実践を薦めているだけで、社会に対しては何の提言もありません。われわれが学生の頃は、ヒッピー運動というのがあって、人間らしい真の生活を目指して、社会から隔絶してコミュニティを作ろうとする人たちがいましたが、失敗に帰しました。社会全体としてはもう後戻りができない所まで来ているということでしょう。

 

 貴重な現在を未来に投資するなと言っても、70歳の老人と5歳の幼児ではまったく立場が異なります。幼児に対して現在にだけ留まれというのは酷で、未来に対する教育というものが必要でしょうし、逆に老人は放っておいても現在のその時々にしか生きられないものです。また競争に駆られてあくせくした現代人と一言で言っても、学問の研鑽や激しいビジネスの最先端にいる人たちは、切磋琢磨しながら生の燃焼を瞬間的に感じているのではないでしょうか。そもそも「あくせくした現代人」といった設問自体、ニーチェがどこかで書いていたように、生を喪失したところから発せられているのです。

 

 本人も、最後に、「四六時中、瞬間を生き、真の生に見開かれている必要なんかない」(p252)と書いているので、自覚していると分かりましたが、たまに美しい瞬間が訪れるから輝くのではないでしょうか。真の生に溢れた瞬間ばかり連続したのでは疲れてしまって、逆に習慣的で惰性的な日常にゆったりと浸りたいと思うのではないでしょうか。また著者自身が一人で瞬間を楽しみたいという気持ちは分かりますが、それを他人に説教するのはどうかという気がします。

 

 最後に本書で紹介されている瞬間を生きる技法をいくつか引用しておきます。

①1分間何もせずに瞬間を味わうこと、眼前の光景、あるいは物音に集中すること

②自分の体をつねること。痛みの感覚は瞬間の感覚である。

③瞬間に身投げするかのように沈むにまかせる。すなわち意志的主体を放棄するということ。すると自然に浮き上がってくる。

④超スロー歩行。右足を7秒ほどかけて15センチほどの高さまであげ、同じ秒数で降ろす。左足も同様。二歩目はさらに倍のスロー歩行。三歩目はさらに遅くし、次に方向転換してまた三歩かけて戻る。

⑤三度の深呼吸をする。1回の呼吸は20秒。ゆっくりと吸い、気がかりや欲念のすべてを吐き出す。息を引き取る最後の呼吸だと思うこと。