:フランス詩対訳解説本もう一冊


田中淳一『地球とオレンジ―フランス現代詩を読む』(白水社 1980年)

                                   
 白水社の「ふらんす双書」の一冊。前回の『ミラボー橋の下をセーヌが流れ』もこのシリーズ。他に安藤元雄のフランス詩対訳本を読んだことがあります。

 この本の特徴は、エリュアール以降の現代詩19作品を取りあげていますが、なかでも戦後詩にかなりの紙面を割いているところでしょうか。前回『ミラボー橋の下を・・・』の時に、「現代に近づくにつれて、面白くなくなってくるような気がする」と書きましたが、それは、定型が崩れていくとともに、一行が長文になりまた行数が増え、また散文になるなど、詩の構造が複雑になって分かりにくくなることに原因があると思います。そういう意味では、現代詩を取りあげるのは、かなり語学の自信がなければできるものではないでしょう。

 著者は、かなりの手際よさで作品を解説していますし、できるだけ分かりやすく感じられるよう優しく語りかけるような文体を採用していますが、いかんせん元の詩が難解すぎるということがあるからでしょうか、しばしば作品に正面から向き合わず脇道に逸れたり、抽象的な物言いに陥ってしまっているように思います。それでこちらの理解が行き届かない分、不親切で独り合点に見えて、自分の文章に酔っているのではと不満がくすぶってしまいます。


 分からないなりに読み終えましたが、後半のイヴ・ボンヌフォワ、フィリップ・ジャコッテ、アンドレ・デュ・ブーシェ、ジャック・デュパンの作品がいちばん心にしっくりときました。著者によると、四人はたがいに親しい友人で『レフェメール』という詩誌のメンバーだそうですが(p219)、彼らの詩に共通するのは、言葉数が少ないこと、「樹木」「小舟」「夜」「火」「ランプ」「夏」「藁」「石灰」「雷鳴」など喚起力の強い語が選ばれていて、硬質で研ぎ澄まされた印象があることだと思います。ボンヌフォワは翻訳もあり読んでいる作品も多いですが、機会があれば他のメンバーの作品も読んでみたいと思います(デュ・ブーシェ詩集の翻訳は持っているがまだ読んでいない)。

 また、彼らに近い感じがしたのが、カナダの現代詩人たちで、文中で簡単に紹介されているだけでしたが、アンヌ・エベールの「絹の音」やフェルナン・ウェレットの「目覚め」は気に入りました。

 現代詩は定型を崩した自由詩になってから、音韻に注意を払うよりは、修辞的な技法のほうに関心が移って行ったと思いますが、それでも日本の詩のように無韻詩にはならず、どこかに音韻の意識が残っています。著者が「散文詩から小説などにいたるまで、思わぬ脚韻や畳韻がかくされていて、それどころかフランス人の七五調とも呼びたい十二音綴までがひそんでいて、文のリズムを支えているのに気づくことが少なくありません」(p58)と書いているのはまったく同感です。レーモン・クノーやミシェル・レリスの語呂合わせや言葉遊びなど現代詩特有の音韻的な技法もこの本で説明されています。


 修辞的な詩の技法については、解説のなかに関連する記述がたくさんあり、詩を読むにも作るにも有益に思えました。詳しく説明していると、長くなるので簡単に紹介しておきます。著者が技法として書いてなくてもこちらで勝手にそう捉えたのもあります。
①「大地はオレンジのように青い」(エリュアール)や「悔恨のように長い地虫がうごめく」(ボードレール)のような、比喩の屈折・逆転の手法(p16〜19)。
②同じ詩句を徐々に修正しながら反復してゆく技法。さらに、反復の行数と詩節の行数のずれを利用して眩暈を生む手法(p47〜49)。
③後の詩句表現を自然なものと思わせるように、事前に周到に語句を準備し伏線を張る手法(p50)。
④「なにものも不在のなかでしか成就しないだろう」「閃光が私に持続する」というような逆説的表現の持つ力を使う(p93、p128)。
⑤言葉の呪詛的呪術的な力を活用する(p114、p161)。
⑥神話的な原型や個人的な象徴体系を背後にもち、その一角が詩に表われてくるような書き方(p93、p181)。
⑦提示すると同時に消してゆくことで不在感を掻き立て朦朧とした状態を創りだす技法(p207)。
⑧反対物を同時に提示することにより暴力的な空間を生みだす技法(p194、p209)。
⑨さらに、論理的に矛盾しあうことを同時に提示することにより、現実とは別の世界を現出させる技法(p209)。
⑩反対物を均衡させるパターンの変種として、構築と流動を併存させる技法(p224)。
⑪身体のなかに外界を反映させることで詩空間を広げる手法(p224)。
 これ以外にも、ある種の言葉を限定的に使用したり、動物・植物などイメージの強い単語の使用、いわゆる色彩と音と匂いの交感などが技法として感じられました。


 著者は、詩を読んでいて「通りすがりの女」が出てきただけで詩の出来栄えなどは放りだして惚れこんでしまうと告白していて、アンソロジーを編んでみたいくらいと言っています。そして、ブルトンの「通りすぎる女」、ネルヴァルの小品「リュクサンブール公園の小径」、ボードレールの「通りがかりの女に」、アポリネールの「ロズモンド」をあげていますが、他の切り口のテーマも併せて、そういった感じのアンソロジーをぜひ実現させてほしい。