:GASTON LEROUX「La double vie de Théophraste Longuet」(ガストン・ルルー「テオフラスト・ロンゲの二重生活」)

///
GASTON LEROUX『ROMANS FANTASTIQUES Ⅱ』(ROBERT LAFFONT 1964年)


 生田耕作旧蔵書。648ページもある大部の本のうち314ページを占める大作。この本は他に「Le fauteuil hanté(呪われた椅子)」「L’homme qui a vu le diable(悪魔を見た男)」「Le coeur cambriolé(押し込まれた心)」が収められています。「Le fauteuil hanté」は以前読みました(2013年4月9日記事参照)。他の2作はまた別の機会に。

 マルセル・シュネデール『フランス幻想文学史』のなかで、ルルーの独創性が際だっている作品と紹介されていましたし、Jean-Baptiste Baronian『Panorama de la littérature fantastique(フランス幻想文学展望)』のなかでも、彼の最高作で、もし地下世界の描写が短ければ、フランス幻想文学の傑作となっていただろうと書かれていました(の筈)。

 前回読んだエミール・アンリオ作品にも名前がちらりと登場したカルトゥーシュという盗賊が大きな役割を演じています。少し長くなりますが、あらすじを紹介しますと:
 「ル・マタン」紙記者の著者のところに、ある男が遺言を執行しに来たと、紙束を届けに来た。財宝の隠し場所を血文字で記したらしき一枚の紙切れに目が留まり、内容が面白いので新聞に連載することにしたという前置きで始まる。テオフラスト・ロンゲが妻マルセリーヌと、共通の友人アドルフと3人で、パリの監獄を訪れた際、テオフラストが急に別人の声を発し、壁の隙間から血文字で書いた紙切れを引っ張り出した。翌日、階上に住む筆跡学のプティト氏から紙切れの文字はまぎれもなくテオフラスト自身のものと言われ、また紙鑑定の権威アンブロワーズ氏からは紙が1721年のものと特定される。1721年に監獄に入れられていた人物を探さなくてはと、図書館にこもる。

 別荘で、近所の人を招いて結婚記念日のパーティを開いている最中に、再びテオフラストが別人となって、18世紀の粗野な唄を歌い出し、会は滅茶苦茶となる。また別の日、ミフロワ警部をアドルフから紹介され、一緒に食事をした後払おうと財布を取り出すと、それが警部の財布で、他にもポケットから財布や腕時計がいっぱい出てくる。知らぬ間にいろんな人から金品を掏り取っていたのだ。一方、探求の末、アドルフはついに稀代の犯罪者カルトゥーシュの魂が乗り移っていることを探し当てる。

 夜、テオフラストが寝ていると物音がするので、隣の書斎を覗いてみると、猫の置物の位置が移動している。元へ戻して、また音がするので見てみると、猫がまた移動している。プティトが財宝のありかが書かれている例の紙切れを探しに忍び込んできていて、猫が鍵穴を塞いでいたので、プティトが猫を動かしていたのだ。カルトゥーシュに憑かれたテオフラストは隠れているプティトを見つけ両耳を削ぎ落す。

 アドルフとマルセリーヌ神秘主義の集まりで知り合った仲だが、共通の師エリファスのところへテオフラストを連れて行き、悪魔祓いをしてもらうことにした。テオフラストに催眠術をかけ、カルトゥーシュの魂を呼び出して殺そうという施術だったが、過酷を極め、カルトゥーシュの拷問をテオフラストが疑似体験することになる。脚を万力で締め付けられ、耳には煮え湯を注がれ、胸には焼け杭を当てられたので、歯はボロボロになって抜け落ち、髪はまっ白になった。カルトゥーシュが退治できたと催眠を解かれたが、脚はがたがた、胸は焦げ、難聴で虫の息の状態。だが2か月もすると散歩できるようになった。散歩でいつも立ち寄るのは肉屋だった。一方、新聞では深夜跋扈する白髪の怪盗の手口が200年前のカルトゥーシュと同様であることが報告されていた。

 何日か後、肉屋の主人は中庭で仔牛を屠殺していたが、妻が中庭の扉を開けると、仔牛が逃げ出して、代わりに屠殺したばかりの肉が吊り下がっていた。仔牛が2頭いたはずはないがと、桶を見ると夫の頭が転がっていて妻は卒倒する。仔牛の逆襲か。そんなことはない、カルトゥーシュが襲ったのだ。カルトゥーシュは死んではなかったのだ。カルトゥーシュは煙突を伝って侵入し肉屋を殺しまた煙突から逃げたのだ。その後、カルトゥーシュはプティトが財宝のありかを見つけたものと思い込み、列車に乗ったプティトを追いかける。その列車は小駅間の線路の途中で忽然と消え、貨物車両一両が線路上に再び現れた時、プティトが扉に首を挟まれた状態で死んでいるのが見つかる。その謎はカルトゥーシュにも解けない。

 ミフロワ警部は広場の店で懐中電灯を盗もうとした男がカルトゥーシュだと見破って追いかけるが、二人とも道路工事の穴から地下迷路に落ち込む。地下でカルトゥーシュはまたテオフラストの状態に戻っていた。ミフロワ警部が列車の謎を解き明かした後、二人は仲良くなって、地下迷路をどんどん奥に進むと、そこには14世紀にさ迷いこんだ一族の子孫が栄えているユートピアのような別世界があった。地下からまた地上に戻ったテオフラストは、再びカルトゥーシュの兆候を現わし、妻とアドルフが長年不倫関係にあったことを知り、妻の首を切ってセーヌ川に投げ捨て、アンブロワーズに手記を託して息を引き取った。

 散漫な梗概で分かりにくく何の面白みも感じられなかったと心配ですが、この物語のいちばんの妙味は、善良で小心なテオフラストが稀代の悪党カルトゥーシュになるという、人格が混ざり合って変貌していくところにあります。ジキル博士のように薬を飲んで豹変するのでなく、ふとしたきっかけで乗り移って来るので予測ができません。初めてそれが現れるところ、監獄を見学している最中に、急に聞いたことのない声で知らない人の名を呼びかける驚愕の場面は物語の予兆を感じさせて秀逸。また、パーティで会話をしているなかで、辻褄の合わない言葉が次々と出て来て次第に別人格に変身していく場面、悪魔祓いの施術で、カルトゥーシュに掛けられた拷問がテオフラストの肉体に現れる描写など、惹きつけられました。

 もう一つの特徴は、語りの重層性。初めに著者による前書きがあった後、テオフラストの回顧録を繙きながらの叙述が基本ですが、途中悪魔祓いではアドルフのメモ、カルトゥーシュの死の場面ではエリファスの学会報告、地下世界の記述はミフロワ警部の記録というふうに、次々と引用され織りなされて語られます。誰が語っているのか、何度か読み返さないといけないぐらい入り組んでいました。著者自身も訳が分からなくっておかしな書き方をしているところがあって、例えば、ミフロワ警部の記録なのに、なぜか物語がありきたりになるのを怖れたり(p574)、「ゴーチェがここに居てくれたら」と書くなど(p602)、思わず作者の本音が出てしまっています。最後の章では、テオフラストも死に、アドルフも不在なのに、どうして知りえたのかというような情景が描写され、著者が創作しているということがバレバレになってしまっています。

 小説ジャンルから言えば、この作品は明らかに大衆小説で、その理由の一つは、作者がつねに読者に対して語りかけようとしていることです。また江戸川乱歩などの探偵小説にもあるように、何度も繰り返して同じことを確認しながら話を進めて行くのは若干冗漫な感じがしますが、これはおそらく新聞連載小説だったためで、連載一回分の分量を調整しているからと思われます。主人公カルトゥーシュの性格の造型も、被害者に対する慇懃で貴族的な振る舞いなど、怪盗ルパンを思わせるところがあります。

 推理小説怪奇小説SF小説の三つの要素が交じり合ったような風合いで、肉屋が鍵のかかった屠殺場で殺される密室殺人事件や列車が忽然と消えまた貨車だけが現れる謎、宝の隠し場所を暗示する詩などは、推理小説の定番ですし、カルトゥーシュの魂が乗り移るという二重人格の設定やエリファスという神秘主義者の登場、ポーの「ヴァルデマール氏の死の真相」にヒントを得たらしき悪魔祓いの施術の場面などは怪奇小説的。叙述の仕方もどこかアレクサンドル・デュマの怪異譚を思わせます。テオフラストとミフロワ警部が地下迷路で遭遇するユートピア的世界の部分は、進化論的な学説を援用し科学的な装いをこらすなどSF的で、眼がなく豚のような鼻をし14世紀のオイル語を話す女性が登場します。

 また、ユーモア小説的な所もいくつかあり、深夜、テオフラストの家に忍び込んだプティトが鍵穴の前に置かれた猫の置物を移動させるが物音に驚いていったん逃げ、寝ていたテオフラストが気がついて元の位置に戻すと、また忍び込んだプティトがそれに驚きまた移すがまた物音がして逃げ、テオフラストがまた猫が移動していたので恐怖を感じ元の位置に戻すと、もう一度忍んできたプティトが猫の置物が自ら動いたと勘違いして恐れおののくという具合に、果てしなく繰り返されるやり取りは、恐怖の中にもどことなく滑稽味を感じさせますし、「警部と一緒に居てスリに会うことはないからご安心を」と笑っていたミフロワ警部が、当の相手のテオフラストからハンカチや財布をスリ取られて困惑するなど、面白い場面がいくつかありました。