『どこにもない国』と『地図にない町』

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S・ミルハウザーほか柴田元幸編訳『どこにもない国―現代アメリ幻想小説集』(松柏社 2006年)
フィリップ・K・ディック仁賀克雄編訳『地図にない町―ディック幻想短篇集』(ハヤカワ文庫 1976年)


 「どこにもない」とか「地図にない」とか幻の町がテーマと思しきタイトルの本を続けて読んだら、偶然アメリカの作家が揃いました。ヨーロッパの作家と違って、現代の身近な生活が感じられる作品が多いような気がしました。というか日ごろ私の読んでいるヨーロッパの作家たちが古色蒼然とし過ぎているだけかもしれませんが。

 『どこにもない国』の編者の柴田元幸については、以前からスティーヴン・ミルハウザーの日本への紹介者として敬愛していて、期待を持って読みましたが、「過去20年くらいにアメリカで書かれた幻想小説のなかでとりわけ面白いと思うものを選んで訳した」(p303)と「編訳者あとがき」に書いている割には、玉石混交の印象があり、若干失望しました。

 とくにひどかったのが、ウィリアム・T・ヴォルマンという人の「失われた物語たちの墓」で、ポーの作品名がぞろぞろと出てきますが、いったい何を言いたいのかさっぱり分からず、私にしては珍しく途中で放り出してしまいました。ついで、いかれたヤンキーが超能力者として登場するジョイス・キャロル・オーツ「どこへ行くの、どこ行ってたの?」、カルヴィーノ『見えない都市』の劣悪な商業主義的パロディであるケン・カルファス「見えないショッピング・モール」、ゾンビの嗜好をマーケティング・リサーチするという馬鹿さ加減のケリー・リンク「ザ・ホルトラク」。彼らに共通するのは、アメリカ文化の劣悪で軽薄な部分が突出しているところ。

 悪口ばかりではいけません。やはり何といっても、群を抜いて素晴らしかったのはスティーヴン・ミルハウザーの「雪人間」で、これはすでに『イン・ザ・ペニー・アーケード』でいちど読んでいましたが(そのときも◎をつけている)、雪ダルマが次第に繊細な造型を獲得し現実世界のなかで自己主張していく様が描かれ、奔放な想像力が躍動していて、ひとつの世界を浮かび上がらせる小説の力を感じさせます。雪に覆われた白一面の世界から、突如として色が戻ったときの色彩感覚の鮮やかさが印象的です。

 次に惹かれたのは、ニコルソン・ベイカーの「下層土」。たまたまいつもと違う宿に泊まったために起こった悲劇。通された部屋のクローゼットの中に顔に見立てたじゃがいもがあるのを見て気持ち悪くなり、食事のスープがじゃがいもで、食後そのじゃがいもの貯蔵庫を見せられ芽が異様に伸びているのに恐ろしさを感じ。すると夜、じゃがいもの芽が部屋の中にまで入りこんできて、ゾンビのように主人公に襲い掛かって身体の中に突き通り、最後は、初めに見たと同じ皺くちゃのじゃがいもにされてしまうという話。何気ない日常に徐々に異変が忍び寄ってくるという恐怖の盛り上げ方が実に巧みで、グロテスク小説の傑作と言えましょう。

 いろんなものが非物質化し消えて行く現象(認知症の寓意か?)を愛によって阻止しようという不思議な世界を描いたピーター・ケアリー「Do You Love Me ?」、『見えない都市』の発想を地下牢に移し替えたしたようなエリック・マコーマック「地下堂の査察」、鎧をまとった女戦士(イデオロギーの寓意か?)の鎧の下には虚無しかなかったという鮮烈なイメージのレベッカ・ブラウン「魔法」も面白く読めました。

 ちなみに、ピーター・ケアリーはオーストラリア生まれの作家ですが、先日読んだ『迷宮都市』の解説で、「ボルヘス的な色彩の濃い作品を書く」と紹介されていたのを思い出しました。


 『地図にない町』のフィリップ・K・ディックは恥ずかしながら読むのは初めてだと思います。訳者も筆力やテクニックを高く評価しているように、読んでいて楽しい。宇宙船や地球外天体などSF的な設定のある物語と、現実の社会を舞台にした話に大きく分類できると思いますが、私は、日常のなかに異常な別世界が出現するという後者の方に魅力を感じました。

 最高作は、タイトルにもなっている「地図にない町」。7年前の州議会で1票差で採決されなかった議案が採決された場合の並行世界が現実世界に浸蝕してきて、奇妙な現象を巻き起こすのを巧みに語っていて読ませます。「名曲永久保存法」と「万物賦活法」の連作も、名曲を器械に入れると動物になったり、靴を器械に入れると生命を持って動き出したりするという奇想もさることながら、生き生きとした描写が素晴らしい。

 また「クッキーばあさん」は一種の吸血鬼小説であり、ばあさんに若さを吸い取られた少年が力尽き、自宅の玄関前まで来て扉をノックしたものの灰色の塊と化し、風に吹かれて雑草の塊のように転がって行ったという場面は凄絶。ほかに童心に溢れた「おもちゃの戦争」、平穏な生活が突如として戦乱の中に置かれるという訳の分からなさが衝撃的な「薄明の朝食」(おそらく朝鮮戦争の諷刺)、現代版ノアの箱舟とも言うべき「あてのない船」が出色。

 この時代のアメリ幻想小説をもっと読みたくなってきました。