:木原孝一の詩についての本二冊

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木原孝一『日本の詩の流れ』(ほるぷ出版 1975年)
木原孝一『人間の詩学―詩の発見と創造』(飯塚書店 1977年)


 日本の近代詩史について、まとまったものを読みたいと思い、たまたま手元にあった読みやすそうな木原孝一の本を手に取り、そのついでに木原孝一の別の本も読んでみました。木原孝一については詩もまともに読んだことはありませんが、古本市で『星の肖像』という詩集を見てとても気に入ったけど高くて買えなかった思い出があります。


 『日本の詩の流れ』は、明治以前のオランダ通詞の詩の翻訳から始まり、1970年に入る頃までの詩史を辿っています。戦前までは何とか幾筋かの流れとして捉えられており、全体像がよく分かったように思います。

 キリスト教と社会思想、恋愛観などそれまでの日本になかった思潮を、西洋詩の主流である十数行の改行詩に盛り込むという形で、西洋の影響を大きく受けながら発展して来たこと。なので、森鴎外高村光太郎堀口大学西脇順三郎といった、いずれも海外留学の経験者が、日本の詩を先導していったこと。萩原朔太郎中原中也なども海外に憧れたという意味で予備軍と考えられると思います。モダニズム、ダダ、シュールレアリスムに至っては、ほぼ海外と同時代的な進行をしていたことが分かります。

 よく言われることですが、『新体詩抄』よりも讃美歌や小学校唱歌が日本の詩に与えた影響の方が大きかったこと。私にとって新しい知見は、『梁塵秘抄』の発見が明治後半にあり、その影響で抒情小曲がたくさん作られたということです。

 ほかに、雑誌の投稿欄が河井酔茗、伊良子清白、横瀬夜雨、三木露風北原白秋らの詩人を育成していったこと。また出版社の役割が非常に大きく、厚生閣書店や第一書房、戦後は岩谷書店、昭森社書肆ユリイカ思潮社など抜きには、詩の発展は語られません。それに準じるものとして、詩のグループやグループのまとまりとしての同人誌の役割が大きいということ。

 同時代の歴史を語るのは難しいと言いますが、「荒地」に参加し「詩学」の編集を手がけ戦後詩の全貌をよく知っているはずの木原孝一ですら、戦後の部になるともう全体像を把握できるところまではいかずに、編年的な視点と、雑誌グループごとの紹介で終わっているのが残念です。厖大な詩作品を読む時間と能力が必要になりますが、できれば詩のかたちや理念から、戦後詩の流れを俯瞰してほしかったと思います。また戦後になってからの海外詩の影響についてはほとんど語られていません。ビート詩人などがもたらしたものは大きいと思いますが。

 この本を読んで、あらためて感じたのは、私がはじめて詩に触れた1960年代は、今から思うと戦後詩の繚乱期だったということです。当時は、鮎川信夫とか田村隆一吉岡実谷川雁石原吉郎らの大御所が現役で活躍し、清水昶佐々木幹郎など新しい書き手もどんどん登場していました。あの時代をピークに、どんどん現代詩はマイナーな存在になってきたことが分かります。

 この本で牧野虚太郎という詩人をはじめて知りました。「ランプをあつめれば/あなたの喪章につづいて/哀しい鏡と/静かにおかれた影がある/ことさらの審判に/私のナイフはさびて/つづれをまとふた影がある/誰もゐないと/言葉だけが美しい(p157)」この引用された遺作の詩の一節には心惹かれました。神保光太郎も名前は知ってましたが、詩は読んだことがありませんでした。メルヘンチックな味わいの詩を書いています。

 巻末には厖大な年表がついていて、何か調べ物をする際にはとても便利だと思います。


 『人間の詩学』は、萩原朔太郎の『詩の原理』などを意識しているのか、詩の発生について考察したり、実際に詩を書くときの心構えから、詩というものが何かを探ろうとしています。前半部若干力が入り過ぎで、また逆に後半部は散漫な印象がありました。

 冒頭、いきなりラスコーの洞窟壁画から始まり、紀元前3000年のウルや、中国古代殷王朝、エジプト王国、「リグ・ヴェーダ」、旧約聖書などの古代の世界を転々と渡り歩き、言葉の発見、文字の発見から説きおこしています。

 全体をまとめるには、いささか私の能力の手にあまりますので、いくつかの印象深かったポイントだけをあげてみますと、

1)詩の重要な機能として記憶に着目していること。想像力も記憶のはたらきによるもので、自分自身の内部やはるか彼方の人々や事物にたいする細部の観察が詩を支えていること。

2)詩を成立させる条件は、外部のものごとを自分自身の内部に取り込んで、自分の内的経験に移しかえられているかどうかということ。現実にはないものを想像することも、内的経験からしか生まれない。

3)暗号として現われる外部の実在の個々の暗号を結びつけ、そのなかに意味を発見することすなわち秩序を見出すことが詩を書くということ。

4)各行に使われているメタファは、その部分において生きていると同時に、この詩の他の部分においても生きているということ。メタファには詩の世界をつくる大きな力がある。

5)詩が難解だということは、私たちから詩を遠ざけるものではなく、むしろその距離を近づけるものだということ。

 この本では、「―身のまわりには夥しい破れた扇の骨がじっさい散っていた。そのなかには昔の鬼の白い歯もまじっていた。・・・」という菱山修三の「鬼」をはじめ、中桐雅夫「ちいさな遺書」、吉野弘「I was born」、西脇順三郎「眼」、原民喜の詩などが印象に残っています。

 『万葉集』のなかに、難解な歌が収められていて、それは意味のない歌をつくる懸賞があってその時の作品というのを知りましたが、シュールレアリスムのさきがけのような味わいがあります。