:Maurice Pons『Douce-amère』(モーリス・ポンス『甘苦茄子』)

             

Maurice Pons『Douce-amère』(DENOËL 1996年)

                                   
 Maurice Ponsの初期作品を続けて読んできましたが、今回は中期から後期にかけての作品。11の短編が収められています。全体の印象としては、『la maison des brasseurs(ビール醸造業館)』や『Rosa(ローザ)』の重厚な幻想と比べて、やや軽い恐怖譚、幽霊譚といった感じ。文章はいたって平明で読みやすく、私にすれば速いスピードで読むことができました。

 初めの短編「Le fils du boulanger(パン屋のせがれ)」は『Rosa』を思わせる語り口と、神隠しのような不思議な現象が惹きつけます。何かとても奇妙な出来事が最初に起こり、その謎が物語を引っ張っていくというパターンは、他にもいくつかの短編に見られました。「Le fils du boulanger」では父親の突然の失踪、「Au secours!(助けて!)」では深夜にかかってきて「助けて!」と言った途端に切れた電話、「La petite Chinoise(中国の少女)」では離陸直前の飛行機で主人公の横に突然座りにきた中国の少女といった具合。

 もうひとつの特徴は、超自然的な符合がテーマになっていることです。符合するなかで、わずかな違いが恐怖をいっそう駆りたてます。「Au secours!(助けて!)」では、電話がかかってきた時刻と娘が死んだ時刻の一致(しかし家には電話がなかった)。「Un voyage à Londres(ロンドン旅行)」では、ロンドンで見知らぬ部屋から聞こえてきた歌手の声とパリでのその歌手の死。「Propos d’ivrognes(酔っぱらいのたわごと)」での酔っ払いのたわごとがそのとおり実現する話など。

 これまで読んだいくつかの情景が思い出される場面がありました。「Un fusain de Kirchner(キルシュナーの木炭画)」で女性がスケートをしながら遠ざかっていくイメージは、『la maison des brasseurs(ビール醸造業館)』の「Les Experts blancs(白い鑑定家)」のワンシーン、「Sous le magnolia(木蓮の下)」の溺死体は、『Mademoiselle B(マドモワゼルB)』の最初の死体発見を思わせられました。


 以下各短篇を簡単にご紹介します。(ネタバレ注意)           
Le fils du boulanger(パン屋のせがれ)
神隠しのように居なくなった父さんの姿が、1周年毎に現われるようになる幽霊譚。12年後に骨が発見されたことにより、謎が残されたまま物語は終わる。パン屋の従業員が母さんと共謀して殺したのか。もしかして息子である主人公が殺したのかも。


Au secours!(助けて!)
深夜に電話が鳴り、出てみると、「助けて」の一言で切れる。次の日心当たりをいろいろと聞いて回るが、見つからない。夜になってそのうちの一人の女性の父から娘が前夜、電話とまさしく同じ時刻に救急車で運ばれ死んだことを告げられる。昼間訊ねた時は娘が別居していたので分からなかったのだ。ただ不思議なことにその女性の家には電話はなかった。最後の一文が効いている恐怖譚。途中でどう落ちをつけるのかなと少々不安になっていたが、この結末はあざやかだ。不安に陥れたまま終わるというのが恐怖小説の要諦だろう。


○La petite Chinoise(中国の少女)
飛行機で中国の少女にあなたの娘なのと言われ懐かれる中年男。空港で少女を迎えに来た女性がいて、その少女と翌日会う約束をして別れるが、翌朝ホテルの部屋に突然警察がやってきた。どうやら少女の誘拐犯人と間違われたようだ。数日後少女の死体が国道のごみ箱から発見された。


○Un voyage à Londres(ロンドン旅行)
怪異譚。コンサートの切符を友人に譲ってロンドンの友人宅のパーティに参加した主人公は、ひょんなことから同じ建物の別の部屋の住人を訪ねることとなる。いくら呼び鈴を押しても誰も出てこず、ようやく「開けられない」という声だけがしたが、なんとそれはパリで行われているはずのコンサートの歌手の声だったのだ。だがベランダから回って部屋を覗くと誰もいなかった。電話で確認するとコンサートは突然キャンセルされており、パリに戻ると、その歌手が死んでいたことが分かる。


Propos d’ivrognes(酔っぱらいのたわごと)
酔っ払いのたわごとがそのとおり実現する超自然の符合がテーマ。地下駐車場で8分半にわたる暴行シーンのある映画に出演を承諾していた看板女優が、すべての準備が整った後契約寸前で降りた。台本作者とその相方が憤懣やるかたなく、二人でべろべろに酔っ払って彼女を呪い、映画の暴行シーンのように彼女をやっつけるんだとくだまいた。翌日代りの俳優の交渉のため赴いたロンドンから帰ってくると、新聞にその女優が二人が呪っていたとおりに殺されていたことが出ていた。


○Un naufragé(遭難者)
幽霊譚。路上で倒れていた酔っ払いを警察に引き渡して家に帰ると、寝室の入口にその男が倒れていた。毛布を掛けたが翌朝その男は居なくなっていた。警察にあの酔っ払いがどうなったか訊ねると、あの後病院へ運んだとのこと。病院へ行ってみると、運び込まれた時すでに死んでいたと言う。少し謎が残る。夜寝室に現われた酔っぱらいの右手薬指には血がこびりついていたが、翌朝語り手の右手薬指からも血が出ていた。この符合は何を意味するのだろうか。


La chambre des glycines(藤の見える部屋)
怪異譚。家に滞在していた自殺未遂の若い女を病院に運び込んだつもりが、その女性は車から忽然と姿を消していた。彼女の来ていた服と同じものを後日古物市で見つける。若干ストーリーが不自然で無理なところがある。


Un fusain de Kirchner(キルシュナーの木炭画)
肖像画にまつわる怪異譚。亡き妻を描いた木炭画をガラスで覆ってきれいに額装してもらったが嵐の夜に落ちて割れてしまった。今度はしっかりと掛け直したが、しばらくして落ちもしないのにガラスだけが割れていた。どうやらガラスに閉じこめられるのを嫌がっているのだ。時がたち、墓を掘り返して見ると、中は空っぽでガラスの破片が散乱していた。


L’enterrement d’Agathe(アガトの葬式)
葬式に遅れて行くと、葬られているはずの死者が参列しているのを見る幽霊譚。


La Barcarolle(舟歌
主人公の眼が見えなくなるのと同時に、盲者の眼が見えるようになる奇跡譚。リゾート地に白内障の治療を受けにきた初老?の男が、若い盲目の女性ピアニストと束の間の逢瀬を楽しむ。男の夢を直截に語っているお伽話のような作品だが、最後の奇跡は話が極端すぎる。


○Sous le magnolia(木蓮の下)
いつも川縁の公園の散歩で暗い感じの女性と出会うが、ある日彼女が主人公のステッキを取って川の中を探る不思議な動作をする。翌々日同じ場所に散歩に出かけると、人だかりがしていて、水中から8週間前に失踪したという車が引き上げられるところ。中からあの女性が遺体となって出てきた。これまで会っていた女性は幽霊だったのか。会っていた時サンダルの片方の房飾りがとれていたが、引き上げられたサンダルは両方とも房飾りがついていた。わずかな異同が恐怖を煽りたてる幽霊譚。