:ガストン・バシュラール饗庭孝男訳『大地と休息の夢想』

                                   
ガストン・バシュラール饗庭孝男訳『大地と休息の夢想』(思潮社 1970年)

                                   
いよいよ四元素をめぐる想像力の書の最終巻。


 この本の裏表紙に神戸六甲の宇仁菅書店のシールが貼られていて、昔神戸へ仕事に行った帰りによく立ち寄ったことを懐かしく思い出しましたが、あちこちのブログの情報では、最近店主がお亡くなりになり、この3月末で閉店したとのことです。ご冥福をお祈りします。


 四元素のイマージュを扱った本のなかではこの本が一番難解でした。飲み会が続いていて頭が回らなかったせいかもしれません。家や洞窟の具体的イメージのところは読みやすかったですが、冒頭の内密性云々や最後の「根」のところはとくに難しく感じられました。バシュラールの本はいつもそうですが、難渋してもう投げ出そうと思っていても、例えば「ミイラとは、まさしく人間のさなぎである(p183)」とか「根は生きている死者なのである(p290)」というようなフレーズに出くわすと気を取り直して、また読み進めるということもしばしば。

 大地に関する研究の第一部となる前作『大地と意志の夢想』では、大地の要素の外に向かう力動的な面が中心でしたが、この本は物質の内面に焦点を当てて内部での休息のイメージを扱っています。


 序論の後、事物の内部を見ようとする視角について論じる第一章、第二章があり、そこでは内部に入れず表層にとどまる懐疑的な想像力から、小さい内部に大きなものを見る想像力、蕾の中に未来の葉や花を見る想像力、外と内が反対の様相を呈している想像力(牛乳の秘かな黒さ)、驚異の内部を見る想像力(くるみの実に祈る子どもの手を見たり、前作にもあった石の中に風景を見る)、奥へどんどん沈降していく想像力など、様々な想像力の様態について述べています。第三章では、打って変って、想像力においては対象よりも主体の参加する役割が大きいこと(過度な想像力など)について指摘しています。ここまでが内面についての概論。

 次の第四章から第七章までは、内部の具体的なイマージュについて、家(第四章)、動物の腹の中(第五章)、洞窟(第六章)、迷宮(第七章)をとりあげ、内密に閉じられた母胎への郷愁や、それが死の母性へとつながっていくこと、安寧としての洞窟に対して困惑の運動を強いる迷宮など、それぞれの特徴を描いていきます。

 第八章と第九章は蛇と根をそれぞれ扱っていますが、「蛇は動物化された根(p263)」であると書かれているように、この二章は密接につながっています。蛇が厖大な伝説に彩られていることから、伝説に由来しない一つのイマージュに限定された神話学というものを提唱したり、また根というあり方の不思議さについて、生を支える隠れた力、穿孔性の力、地下へ向かう樹、サルトルマロニエの根など、いろんな角度から検討が加えられています。

 最後に、錬金術で鉱物的な液体である水銀、金の塩化物溶液、動物的生の液体である血、植物的生の液体である水など、液体の様態を並べ立てたうえ、葡萄酒が金と水と人間とを結びつけるものであり、金の象徴である太陽と土壌からなる自然の錬金術の産物であることを想起させ(第十章)、この葡萄酒への讃歌で四元素の探索を終わります。(バシュラールは酒飲みだったのか)


 今回バシュラールを通読して感じたことは、あまりにも文章が夢見がちで、いわゆるフランス美文調に多弁に滑っていくところがあり、悪く言えば言葉誑しの山師、もう少しましな言葉でいえばソフィストのように思えてくるところがあります。バシュラールのもう一方の業績は科学哲学についての著作と言われていて、この方面の本はまだ読んだことがありませんが、この詩的なイマージュを語り継ぐ探索と、科学的な探索、言いかえると山師的なバシュラールと、科学哲学者としてのバシュラールはどう折り合いをつけていっているのでしょうか。


 以下印象に残った文章を引用。

染色が深さの真理であるのに反して、色彩というものは表面の魅力であることに気づくのだ/p43

文学批評家というものは観念を観念によって・・・観念によって夢を・・・説明するのである。・・・彼は、夢を夢によって説明するという欠くべからずものを忘れているのである/p56

もし、孤独な歩みで、夢見ながら、石造りの軸のまわりのその高い石段を巻いている、狭く、仄暗い階段をとおって、深みをもった家の中に下りてゆく場合には、すぐに、過去の中に下りている、と感ずるものである。ところで、われわれにとって、われわれ自身の過去の味わいを与えないような過去というものはないものだ/p132

かまどの中で完成される錬金術的物質、大地の腹腔の中で再生を準備する太陽、鯨の腹腔の中で休息し、育つヨナ、ここに表面的に共通なものは何もないが、しかし、そのいずれもが、相互の隠喩の関連の中で、無意識の同じ傾向を表現する三つのイマージュである/p151

文学的イマージュとしての蛇の研究は、きわめて明らかに、神話の研究と向かい合う・・・神話的価値の研究に着手すれば、その資料はあらゆる方向から集められる。蛇のイマージュが伝説的イマージュになったということ・・・一つのイマージュに限定された神話学が確立される/p262

隠喩は近代的な魔法である/p263

蛇は人間の魂のもっとも重要な古態型の一つである。それは動物の中でもっとも地上的な動物である。それは、実際、動物化された根であり、イマージュの秩序の中では、植物界と動物界をつなぐものである/p263

形態と色彩の想像力にまさる物質的想像力の優位性/p277

人間の自由の真の力となる文学的想像力/p277

私は、空の中で渇望して水を飲んでいる根としての葉の繁みを、そして大地の下で歓びにふるえている見事な枝としての根を考える(ルケンス)/p292

ハイデッガーの人間存在のとらえ方が、世界の中に投げ出され、はずかしめられた存在としてあらわれているとすれば、バシュラールの人間存在のとらえ方は、・・・「家の揺籃」の中にいた幸福な存在としてあらわれている(あとがき)/p364