:CLAUDE FARRÈRE『Histoires de très loin ou d’assez près』(クロード・ファレール『とても遠い話とても近い話』)

                                   
CLAUDE FARRÈRE『Histoires de très loin ou d’assez près』(ERNEST FLAMMARION 1923年)


 生田耕作旧蔵書の一冊。タイトルに惹かれて購入しました。ファレールの海外体験がもとになったと思われる異国小説集ですが、なんということのない話ばかりで、前に読んだ『L’autre côté...―CONTES INSOLITES(彼岸―奇譚集)』の不思議な物語群に比べると期待外れでした。

 全部で十三篇収めていますが、一篇はほぼエッセイのようなもの(植民地でのフランス娘の生態を描いた「Mariage Colonial(植民地での結婚)」)、一篇がどちらかというと散文詩的なもの(前を歩いている女を見て妄想に耽る「Paradoxe à propos d’une bague(指輪のパラドックス)」)で、残りの十一篇が小説です。


 このなかで、私の愛好する幻想風味の物語としては、「L’Ile au Grand Puits(大井戸島)」という中編、それに阿片を吸う話が出てくる「L’Autre Côté de la Terre(彼方の国)」があります。阿片が出てくるのは他に「Le Missionnaire(宣教師)」という、中国の僻地に30年以上も住み母国語もほとんど忘れ、信者も少なく、唯一の楽しみが寝る前の阿片の一服という変わった伝道者の物語がありました。

 作品として一番まとまっていたのは、「L’Autre Côté de la Terre(彼方の国)」で、中国の家に住み現地の召使にかしずかれ束の間の滞在を楽しむ西欧人が主人公。動乱が起こった様子で外で西欧人の虐殺が繰り広げられているらしい物音が響くなか中国人召使の忠誠に探りを入れつつ阿片に耽溺する場面が描かれています。召使が本当のことを言っているのか確信と疑念の境界に揺蕩う、退廃的でマゾヒスティックな感じが不思議な一篇です。

 この本のなかでもっとも長大な(160ページに及ぶ)「L’Ile au Grand Puits(大井戸島)」は、無人島に昼食を食べに上陸した一行が、嵐のせいで沈没したせいか急に船が見えなくなり取り残されてしまうという波乱にとんだ冒険譚で、絶壁に取り囲まれ、入江から急勾配の絶壁をのぼると高台の中央に洞穴がありそこに果てしなく深い井戸があるという情景とともに、始めはどうなることかとわくわくさせられましたが、物語の主眼は男女のもつれた関係にあるようで、単純で少し通俗的な印象、しかもあっさりと船が嵐を避けて退避していただけということが分かり興醒め。幻想味というのは、深い井戸から真実の神の幻影が登場するシーンですが、その役割もおざなりです。

 他に若干の幻想味を持つというか、こちらが勝手に思い込んだ短編としては、「L’Aventure Espagnole(スペインでの冒険)」「Trois Femmes(三人の女)」があります。

 「L’Aventure Espagnole(スペインでの冒険)」は、教会のミサで偶然隣り合った少女の手を握り、少女も嫌がる様子がなかったので教会を出た少女の後をつけて行きますが、アヴァンチュールを期待させたところで、教会の敷石にあった人生のはかなさを喚起する墓碑銘を思い出して断念する話。少女が墓石の奥から現れた亡霊かとこちらの読み過ぎで一瞬わくわくしたのですが。

 「Trois Femmes(三人の女)」も、祖母、母、娘の三代の女性が一緒の家に住んでいるというのに、誰も二人以上を同時に見たことがないという噂に一瞬不気味な味わいを感じましたが、それだけで終わってしまい、単なる近親相姦の物語になってしまっているのが残念。

 それから変わったところでは、日本の人形が出てくるそのものずばりのタイトルの一篇「La Poupée Japonaise(日本の人形)」がありました。若い恋人同士が人形への嫉妬から喧嘩別れする場面を描いた話で、日本の人形は素材としてしか出てきませんが、ファレールの日本の芸者への尊敬の念と日本人の謎めいた微笑への慈しみが伺える短篇です。

 山のなかで通行人から金を取っていたアフリカの原住民の悪党が賃貸マンションを建て、大家になって賃料を取り立てるようになる「Histoire de Brigand(悪党の話)」は、原住民が近代に目覚める話として読めますが、逆に読めば賃貸マンションの大家は近代以前の悪党が姿を変えたものとも読めます。