:立田洋司『唐草文様―世界を駆けめぐる意匠』(講談社選書メチエ 1997年)


 学生時代にW・カイザーの『グロテスクなもの』を読んでグロテスク文様なるものがあることを知り、その後ウフィッツィ美術館かフィレンツェ市庁舎かの廊下の天井に、びっしりと描かれたグロテスク文様を見て感激したことをよく覚えています。以来グロテスク文様に強い関心を抱いていましたが、その変形が唐草文様につながっているということをどこかで知って、唐草文様にも興味を覚えていました。


 この本は大胆にも、古代のクレータ文明から、ギリシア、ローマを経て、西はイベリア半島、東は、ペルシア、インド、中国、日本へと、世界中に見られる唐草的なものを踏破して、唐草が伝わって行ったルート(とくに西から東へ)と、様式の変化について考察したものです。

 「いったいどこからどこまでを唐草として捉えればよいのか」(p6)と著者が言うように、範囲を自力で特定していかなければならないことと、また残された資料が少ないこともあり、飛躍した考えが要求されるのかもしれません。そういう意味で、かなり大胆に推論を展開しています。

 冒頭、なぜ唐草かということに始まり、渦巻文様との関係を解き明かしていきますが、「『唐草的』という言語の意味の重心が、『造形的に絡み得る可能性』に存する」(p23)というような理屈っぽいところや「帰らざる線」など独自の用語を作る癖があって少し分かりにくいところがあり、また本当かなと若干の不安を覚えたのも事実。しかし独断でどんどん考えを進めてゆく力は凄い。

 「人間が情念の深みにはまるということは、心の奥にこういった渦ができたことの謂いである」(p14)というような表現を見れば、学者というよりは情念の人という印象。他にも、「唐草的気分も匂い立って来る」(p43)とか、「この形態の中に、唐草的資質が濃密に詰まっている」(p84)とか、なかなか味のある書き方です。


 何故草か、私も著者にならって考えてみました。自然に目に付くものでは他に、雲、星、波、川、石、動物の斑紋などが思い浮かびますが、なかでもいちばん装飾的だからではないでしょうか。また砂漠化した土地に住む人々にとって太古の肥沃な土地への憧憬があったのではないでしょうか(と考えていたら著者も後のほうで同じようなことを指摘していた)。

 また、図柄ではなく、音楽に置き直して考えてみると、ファドやアラブ音楽、民謡に見られるいわゆるコブシは渦巻き的、あるいは唐草的だと思い当たりました。


 恒例により、印象的な文章を引用しておきます。

植物文様誕生の前史に「生命体が蠢動する」という概念を転写する古代人の意識現象が潜んでいた/p8

絡んだ草は自然界に存在するが、それを造形化するには、自然の秩序を人工の領域で構成しなおさなければならない。つまり、何らかの秩序や法則が再現性を支持するところに、文様の本質が存在しているということだ/p8

渦にしろ螺旋にしろ閉じていない形態は、人間にとって不可知的存在であり、心理の深層に恐怖を呼び起こし得る魔的なものである/p14

木蔦などのいわゆる蔓延性の植物は、それが人間の手で写し描かれたその時から、すでに一種の連続植物文、すなわち最広義における単純な唐草文の部類に入りうるものであった/p70

この時期のギリシア世界で、唐草の成立に対して、もっとも大きな意義を投げかけていたのが、いわゆるシンメトリーという概念であったように思われる/p73

これ(サン・ピエール修道院の彫刻群が非現実的姿態をしていること)は、図像学で解釈できるものではなく、むしろ、「ねじれ」、「絡み」、「縛り」といった造形の論理から理解する方が筋道/p154

ロマネスク美術における装飾様式の大きな特色は、・・・人間・動物像をデフォルメさせながら、あらかじめ想定された枠内に服従させようとする傾向にあった/p159

中国人は、往古から、自然はすべてが生きて呼吸をしていると信じていたのであろう。彼らにとっては、水流の渦も、火焔も、自然という大きな生命体の放つ息、すなわち「気」の表象にほかならなかったようだ。彼らは、生きている自然のシンボルとしての渦を重要視し、その形象を造形物のなかに積極的に取り入れた/p212

唐草が唐草たる所以は、・・・それが純然たる植物文様でないところに存する/p227

法隆寺夢殿の救世観音像の光背の意匠・・・ここには唐草がはるばるたどってきた道程が濃密に詰め込まれている/p237