:MAURICE RENARD『LE VOYAGE IMMOBILE SUIVI D’AUTRES HISTOIRES SINGULIÈRES』(LES ÉDITIONS G. CRÈS ET Cie 1922年)(モーリス・ルナール『動かない旅―奇譚集』)


 生田耕作旧蔵の1冊。
 ルナールの名前はよく耳にしますがまだ読んでいませんでした。『フランス幻想文学傑作選③』(白水社)に二篇収められていますが、これも置いてあるだけです。

 冒頭の一篇を読み始めるや、冒険小説のような波乱に富んだその語り口のうまさに引き込まれてしまいました。先月読んだフランツ・エランスのもやもやした抽象的な語りに比べて、何とすっきりして分かり易いことか、と思ったら、後の短編ではかなりてこずった所も出てきました。

 この短編集は、科学の知識に触発されて書かれたものが集められているようです。地上の一点で停止して地球を一周する宇宙船、光の反射を利用し鏡を通り抜ける話、蓄音機からヒントを得た貝殻のなかの太古の音、古生物学、催眠術。十九世紀は科学の世紀だったのを思い出しました。ただし偽科学の臭いが芬々としますが。

 ネットで調べると、ルナールはH・G・ウェルズの信奉者で、多大な影響を受け、S・Fや幻想小説、活劇小説を書いているようです。

 「Les Vacances de M. Dupont.(デュポン氏の休暇)」では恐竜が登場します。1905年にすでに恐竜物語が書かれているとは思いもよりませんでした。

 作品としては、最後の「Le Rendez-vous(あいびき)」が凄い。前半は催眠術にかかった女性が、さながらゴーチェ作品の妖艶な幽霊のように魅力的に描かれ、後半は一挙に怪奇小説の雰囲気が立ち籠め、最後はジェイコブズの「猿の手」のように終わります。「猿の手」では扉を死者がノックするところで終わり、恐怖は読者の想像力に委ねられていましたが、この作品では死者が完璧に姿を現してしまいます。どちらが良かったのでしょうか。


簡単にご紹介します。(ネタバレ注意)

○Le Voyage immobile(動かない旅)
SF。隕石のようなものが落ちて、海に浮かんでいる男を救助した。その男が語り始めたのは空中の一点に留まり地球を一周しようとした驚愕の宇宙船の話だった。前半の語り口のうまさは抜群。後半SFの悪い面が出て若干荒唐無稽。作中ジュール・ヴェルヌが出てくるがかなりヴェルヌを意識した作品。日本も通過する時名前だけ登場する。


◎La Singulière destinée de Bouvancourt(ブヴァンクールの奇妙な運命)
マッドドクターもの。光学を利用して鏡を通り抜ける話。難しくて分かりにくいところが多々あったが、鏡のなかの世界という魅力的なテーマでぐいぐいと惹きつけられた。鏡の中に入ったが途中で効力が切れて鏡のなかに閉じ込められてしまう恐怖。二つのものが同じ場所に存在可能という思想が開陳される。


○La Mort et le Coquillage(死と貝殻)
蓄音機の音を礼賛する作曲家が貝殻のなかに記録されている音を聴こうと手に取る。貝殻のなかの響きが次第に太古の魔女の歌声となり、その声に麻薬のように取り付かれ、最後は耳から毒が染むように死んでしまう。文章が難しく正直半分ぐらいしか分からなかった。マッド音楽家の名前がNervalというのも面白い。


◎Les Vacances de M. Dupont.(デュポン氏の休暇)
恐竜小説。前半恐竜が姿をあらわすまでの経緯がゆっくりしていて、ゴジラ第一作と同様、草創期の恐竜物語のワクワクした感じがある。地震によって甦った恐竜が草食動物のイグアノドンだと思って高を括っていたら、暗闇の中から突如肉食恐竜が現れるところは最大の盛り上がりシーン。古生物学の薀蓄が鏤められている。


◎Le Rendez-Vous(あいびき)
手紙形式で語る物語。美術学校時代友人の婚約者に恋してしまった主人公が、友人の新居を設計した縁で足しげく通いながらチャンスをうかがい、ついに愛を告白する。彼女は拒否するうちに偶然催眠状態になったので、これ幸いと催眠術の助手の経験を生かして、彼女に愛人になって毎週火曜日家へ来るよう催眠術をかける。彼女は火曜日やってきて別人のように激しい情熱を披露するが、度重なるに連れ次第に窶れついに死んでしまい埋葬される。恐ろしいことに次の火曜日扉を叩く者が・・・最後に絶叫で終わるが、絶叫を手紙に書く余裕があるというのが矛盾を感じさせる。