:Jean Lorrain『CONTES D’UN BUVEUR D’ÉTHER』


Jean Lorrain(ジャン・ロラン)『CONTES D’UN BUVEUR D’ÉTHER(エーテル中毒者の物語)』(marabout 1975)

 ページ数が少ない割には、字が詰まっていることもあり、時間がかかってしまいました。フランス語の本は何が書いてあったが概要をつけるようにしていますが、短編集は一篇ずつ作業することになるので、そのことも時間がかかる原因です。

 何度も同じことを書いていると思いますが、出来事を語る部分は比較的軽快に読めるのに、抽象的な議論が始まると途端に難渋してしまいます。こんなことでは評論は読めるはずがありません。

 この本はベルギーの出版社の「marabout」の「bibliothèque excentrique(奇想叢書)」の1冊で、1891年から1900年までの小説集から集めた22の短編が収められています。『Sensations et souvenirs(印象と記憶)』より10篇、『Un démoniaque(悪魔つき)』より6篇、『Histoires de masques(仮面物語集)』より3篇、『Buveurs d’âmes(魂の吸引者)』より2篇、『Sonyeuse(ソニユーズ)』より1篇、既訳は『仮面物語集』の3篇だけだと思います。

 短編集ですが、同じ登場人物が複数の作品に出ていたり、同じ居酒屋が舞台になるなど、連作短編の趣きがあります。

 恐怖小説集と言えばよいのでしょうか。この本のなかには、動物に侵犯される恐怖、冥界から侵入される恐怖、自分が無になってしまうという恐怖、他人の顔が変質して見える恐怖、犯罪を目撃してしまう恐怖、荒涼とした海の恐怖、深夜の乗り物の恐怖など、いろんな種類の恐怖が出てきます。

 J・ロランの時代は犯罪が脚光を浴び出した時代だったせいか、犯罪に対する興味が根底にあるように思います。

 J・ロランとしては珍しい古典的な怪談も含まれています。話としては単純なものですが、季節感や建物や部屋の様子、物音や匂いなど、語り方が詩的で、怪異を美しく包んでいる感じがします。その予感や余韻だけで怪異がたとえ起こらなくても鑑賞に耐えうる作品になっています。

 J・ロランは詩人として出発したようですが、小説も初期のものは散文詩のような印象があります。

 とくに印象に残った作品を簡単にご紹介します。(ネタバレが嫌な方はここでストップしてください)

○LE CRAPAUD(蛙)
 叔父さんの領地で夏休みを過ごした幼い頃の思い出をもとにした散文詩。それまでごくごくと飲んでいた美しい池のおいしい水が、目の前の蛙の出現により一瞬にしておぞましい悪魔の腐った水になる恐ろしさ。


◎NUIT DE VEILLE(徹夜した夜)
 17歳のとき深夜母親の看病をして怪異を見る話。コウノトリが何度も外の階段から部屋に入ろうとする恐怖。足音のリアルさが何とも言えない。前夜庭師の妻が亡くなっていた。夜じゅう死者が彷徨っていたのだ。


◎LA CHAMBRE CLOSE(閉ざされた部屋)
 古典的怪談だが語り口が素晴らしい。主人公がある洋館に泊まるが、深夜隣の部屋から女性の歌声と「連れてって」という搾り出すような声が聞こえる。その開かずの部屋は30年も前旦那に気違い扱いされ幽閉されて28歳で亡くなった侯爵夫人の部屋だったと言う。「怪異を体験した翌朝、濡れた花弁と長細い茎の一本の薔薇が部屋の埃のなかに落ちていて、埃には5本の指跡が残されていた。」という最後の数行がドキッとさせる。


○DOLMANCE(ドルマンス)
 大嵐に閉じ込められた客人たちに主人が「ドルマンス」という館の話をする。「館主は、ボタン穴に薔薇の花を挿し、水頭症の額に老女のような出で立ちの奇怪な人物。館には、羽根のある子どもの骸骨の頭蓋にミルトの枝を巻きつけたものなど気味の悪い物品が溢れ、伝説の囚われの王子を思わせる美しい子と、部屋の薄暗い片隅でうずくまりながら妙に品を作っている雌猿が居た。ある日、木工職人が召喚され子供用の柩作りを命じられる、そしてその夜から子どもも雌猿も姿を見せなくなった」という内容。皆が怖いねと聞き入るなかで主人が放つ最後の言葉「この館が実はドルマンスなんだ」 客人一同の呆けた顔がありありと浮かんでくるようだ。


○UNE NUIT TROUBLE(大変な夜)
 とても寒い夜、暖炉から侵入してきた水かきのついた足と蝙蝠のような大きな羽を持った鳥と格闘する話。火箸で叩き殺して暖炉に押し込めいったんホッとするが、今度は別の2羽の鳥が窓ガラスを突こうとしていた。暖炉の火箸で撃退しようとしたら、死んだと思っていた鳥が実は気絶していただけで突然襲い掛かられる。翌日、暖炉の煙突に3匹のふくろうの骸骨が発見された。


◎RECLAMATION POSTHUME(死後の要求)
 自分の作り変えた彫像が足だけの幽霊として訪れる怪奇譚。メリメの「イールのヴィーナス」を思わせる。「二つの足がドアカーテンの下にあった。あきらかに女性の魅力的な足だ。ドアカーテンがあたかも女性の体があるかのように窪みと膨らみの形に波打っていた。」というシーンが何ともエロティックでよい。


○UN CRIME INCONNU(未知の犯罪)
◎LES TROUS DU MASQUE(仮面の穴)
 この2篇は既訳があるので省略。


○LE VISIONNAIRE(幻視者)
 荒涼とした海と物憂い気持ちを歌った散文詩的作品。冒頭の詩が素晴らしい。嵐のなかの荒涼とした海にぽつんと淋しく浮かぶ人形がリアルに描かれる。


◎LE POSSÉDÉ(取り憑かれた人)
 すれ違う他人の顔が不気味に見えてくる妄想に取り憑かれる男の話。乗り物の中で全員が悪意を持った顔つきに見え、だんだん昂じてきて鼠や蛇や鮫のような動物の顔に見えるようになってくる。バルトルシャイテスの「アベラシオン」に出てくる想像力の驚異を感じさせられる。またこれはボードレール「群衆の中の孤独」を一歩進めたものだろう。


◎LA MAIN GANTÉE(手袋をした手)
 「列車の照明のもとでは顔が死体のように青く見える」と列車に乗るのが怖い男が、深夜の最終列車の中で、ゴヤの悪夢の絵に出てきそうな顔を発見する。「西洋梨のような形をした大きな顔で、顎がとても大きく額は髪の毛に隠れて小さく、眠っているのに白眼が見える。膝の上に黒い手袋をした不自然な長ぼそい手を置いていた。」 男は終着駅で黙って暗闇のなかへ消える。次に私も降りたが軟らかいものにつまずく。「かがんで見ると、あの手袋をした手だった。手はすでに冷たく、引きつっていた。それは切断された女の手だった。」


○LE DOUBLE(分身)
 奇妙な振る舞いをする新人が訪ねてくるが、どうやら一緒に幽霊を連れてきたらしい、という経験を語る。


○LA MAIN D’OMBRE(影の手)
 亡霊を見た友人が凶兆を感じそのとおりのことが起こる。友人の描いた亡霊の絵姿が友人の知らない過去のある人物とそっくりだったという不思議、ブラウスに落ちた薔薇の花びらが友人だけには血と見えたという怪異が語られる。同じものが別のものに見えるというのもアベラシオン的な想像力だろう。「影の手」と言われる交霊術が紹介されている。


○L’UN D’EUX(仮面の孤独)
 既訳があるので省略