異界に関する本と漫画

    
恋田知子『異界へいざなう女―絵巻・奈良絵本をひもとく』(平凡社 2017年)
諸星大二郎『異界録―諸怪志異(一)』(双葉社 2007年)
諸星大二郎『壺中天―諸怪志異(二)』(双葉社 2007年)


 変な取り合わせになりましたが、たまたま読んだ時期が近いだけの話。「異界」を扱っているという以外に、無理やり共通点を探すと、『異界へいざなう女』は100ページほどの挿絵の豊富なブックレット、片や諸星大二郎は漫画で、ともにヴィジュアルが関係しているということでしょうか。恋田知子の本は、室町から江戸時代前期にかけて流行したお伽草子など種々の物語にまつわるいくつかのテーマを考察したもので、諸星大二郎の漫画は、中国の古典にヒントを得て、物語を独自に創作したものです。


 『異界へいざなう女』は四部に分かれていて、冒頭の一篇「異界へいざなう女」が、ストレートに異界と関連しています。お伽草子酒呑童子』に出てくる血で染まった衣を洗う洗濯女、『地蔵堂草紙』の法華経聴聞に訪れる美女、『道成寺縁起絵巻』の蛇になる女、『磯崎』の鬼面を被って取れず鬼になる女、『よみがへりの草紙』の地獄を経巡ってから蘇った尼、『稚児いま参り』の姫君を庵にかくまい姫君と稚児を救う尼天狗など、いろいろな女性登場人物を取りあげて、次のような視点から解説しています。

 ひとつは、異界への案内役としての女性。物語の冒頭に出てくる洗濯女や、三途の川の奪衣婆のような存在には、境界的・両義的性格があり、妖異の世界へ導く機能がある。また写経している僧を誘惑し竜宮という異界へいざなうのも、美女に変した竜女である。

 もうひとつは、嫉妬や執心に捉われやすい女の悪性を強調し、功徳によって救済するという女性教化のための物語がある。こうした物語を語り継ぐのに寺社が果たした役割は大きい。

 さらに、寺社と世間のあいだを渡り歩く尼御前や、俗化した存在である比丘尼が、当時の現実を反映して物語のなかでも活躍しているが、姫君を助ける尼というパターンが見られること、また尼が聖と俗を媒介する役割をしていることを指摘している。

 尼と同様な存在として、山神に仕える巫女としての山姥を取りあげたり、老いてさすらう小野小町が老女神として信仰されるようになったことにも筆が及んでいる。

 他の3篇は、源氏物語を書いて地獄に落とされた紫式部を救おうとする「源氏供養」の儀礼とその供養を物語化した『源氏供養草子』について述べた「源氏物語を供養する女」、室町後期から江戸中期に盛んに制作された彩色の絵入り写本である奈良絵本の制作者を探究した「嫁入り道具としての奈良絵本」、真盛上人という天台僧の三種類の伝記を比較し論じた「尼と絵巻」。

 「源氏供養」が宮中の女官や貴族女性を中心に営まれ伝承されていたこと、また奈良絵本は大名屋敷が嫁入り道具として発注したもので、恐らく京都の特定の工房で制作されていたらしいこと、同じような女性向けの物語草子が寺や公家のあいだで書写されていたことなどが書かれていました。日本の中世から近世にかけては、武家社会のことしか念頭にありませんでしたが、公家社会がある領域では大きな役割を果たしていたことを教えられました。

 全篇を通して、女性筆者ならではの女性目線で探究しているのが特徴です。


 諸星大二郎は、デビューの頃によく読みました。水木しげるとともに好きな漫画家です。いちばん印象に残ったのは、『異界録』に収録されていた「小人怪」で、鼠が小さな人物となって現実を模した世界を見せ、主人公が怒って蹴飛ばすと現実の人物が蹴殺されていたという異世界と現実が照応している不気味さ、『壺中天』「三山図」の、仙人が奇岩三山をくるくると地図のようにして持ち去る場面、そして、岩のかけらが破損したためその地図には穴が開いていたという怪。

 その他は、「犬土」の眼のない豚のおぞましさ、「異界録」の身体が裏返しになるという奇想、「妖鯉」の顔を削ぎ落としたら別の顔が現われるという怪異、「幽山秘記」の魂を掴んで土人形の胸におさめる不思議(以上『異界録』)。「盗娘子」の、切り絵が命を吹き込まれて大きく立体となって動き出すが未熟な技はすぐ見破られるというユーモア、「狗屠王」の、犬が術を掛けられて人間のように働く可愛らしさとその犬たちが人間に化けて復讐する恐怖(以上『壺中天』)、など。