松田修『日本逃亡幻譚』


松田修『日本逃亡幻譚―補陀落世界への旅』(朝日新聞社 1978年)


 日本における異界概念の種々相を追った書物。松田修は、大学時代に集中講義で、『雨月物語』と『好色一代男』を2年続けて受講したことがありました。まともに出席した数少ない授業のうちのひとつです。先生が単位をつけ忘れたか、それとも故意に落としたかは分かりませんが、卒業の際、当てにしていた単位が足らなかったので、電話して単位をもらったのを覚えています。

 歯切れのいい凝縮した文章で、漢文交じりの文章や古文が頻出して、読みにくいと言えば読みにくい。しかし思考の道筋が明瞭に示されていて、全体として、ばらばらなテーマを扱いながら、「出離、遁世、逃亡、逃竄、脱出、亡命」という一本の流れにまとめあげた問題意識の強さと並々ならぬ博識には、驚嘆しました。

 著者は、異界を幅広く解釈して、いろんな様相のもとに見出しています。
①古代人においては、ヤマもウミもともに、死者=デーモンの国であり、その界線は、サカであり、ウナサカであり、またハシであった。またオキとは澳、奥であり、奥津城ということばがあるように、死者・霊魂に属する空間である。

イザナギノ命の黄泉訪問においても、よもつ平坂のサカが現実と非現実の接点として機能している。男の好奇心―破約―逃亡という図式は、その後の文学・芸能における男女関係の原型をなすもの。

③死者に出会えるというみみらくの島に言及する文章や歌は数多い。遣唐使が最後に日本を離れるときに船出をした五島列島福江島にある三井楽であるとされるが、現実の島ではなく、異次元の島、幻の島であるからこそ、死者に出会えない嘆きが歌われたとしている。

④吉野や、『今昔物語』に酒の湧き出る泉があると書かれている大峯山は、古代より桃源郷と見なされ、隠れ里として政治的脱落者を吸収する役割を果たしてきた。

⑤大陸から渡来した仏教の南方補陀落浄土がなぜ日本に定着したか。日本の始源的ユートピアが南方海上常世としてあったからである。『日本書紀』にすでに、少彦名命が熊野の御碕から常世郷に行ったという記述がある。補陀落のイメージは、水上に浮かぶ聖なる島、聖なる宮殿という一種の山上ユートピアである。

聖徳太子少納言信西平重盛畠山重忠源実朝加藤清正という系譜が考えられる。彼らに共通するのは、知性の卓抜さであり、自らの滅亡、子孫断絶を予見しつつ生きたということで、民衆のヒーローになった。彼らは達観し、滅亡という名の未来へ逃避したのである。

⑥中世では、朝鮮が異国として一種の逃亡地の役割を果たした。足利義教を暗殺した嘉吉の乱のあと赤松左馬助が国外脱出をし高麗国で名を上げたり、橘正通がやはり高麗国で宰相までなったり、壱岐守宗行の郎党が新羅に行って虎退治をしたり、朝比奈三郎義秀が朝鮮で大木を根こぎにし神として祭られたなどの物語がある。

⑦浦島譚でもっとも重要なのは時間の要素であり、匣を開けてはならないという禁忌を犯したことによって、一切の時間が無になり、同時に常世も消えてしまったことにある。

茶の湯は、マリファナのような一種の精神刺激剤であり、回し飲みという似た集団享受法を持っていた。また茶室と遊郭は、茶庭のくぐりや廓の大門を一歩入れば別次元になるところが共通している。芝居の木戸、風呂屋ざくろ口にも同様の一貫したイメージがある。

⑨五百石積以上の大船建造は、江戸時代の寛永14年以降禁止されているが、大名たちは、危険と知りつつ、造船を行なった。陸上支配の有限性の自覚が、海上支配に向かったということだろう。一方、飛ぶ船、飛行する車や籠が物語られるのは、それらの乗り物が異界に通じる手段として幻想されていたということである。

⑩琴にまつわる伝承に共通するのは、琴が人間と人間ならざるものの間を結ぶ役割をしていることである。船がある地点とある地点を結ぶものであると考えれば、船と琴とは同じ機能を果たしている。

 このあと、秋成の物語のなかの異界、明治以降の異界としての外国体験についてなど、いろいろ考察がありましたが長くなるので省略。


 本筋のテーマとは別にも、面白い指摘や文章がありました。
①信仰の向かう先が、清水寺から長谷寺、そして熊野と、距離が大きくなり続けたのは、労力困難を支払うことによって、霊験の確実性を信ずることができたからである。ここに信仰と苦痛の関係が見られ、苦行修業の意味がある。たやすく得られるものには価値がないということ、そして得られるものよりもその過程が重要ということである。

②日本のジャーナリズムに、パターン化した自責性・自虐性が認められるが、これを国民性・民族性と見ることも可能である。孝や忠の倫理的徳目にも自己犠牲的・自虐的性格があり、他国に類例を見ない「心中立て」は、愛し合う者が、髪切り、指切り、入れぼくろ、そして究極の愛対死(あいたいじに)と、自らを傷つけるのは異様である。→ジャーナリズムの自虐性についてはかなり早い時期の指摘であると思う。
 
③吉野の地が到達した一つの新しい美は、「花と刀」との共存というあり方である。

④異界へ発つのとは逆に、異界から現世へ来る神のケースも多い。『国性爺合戦』には、浜辺に流れ着いた船の中に、やつれてはいるが若く美しい女性を見出す例があり、これは神なるもの、霊なるものの流離往還の一形態である。

⑤飛行幻想は、役小角以来、修験道関係においては多くの例があるが、飛行の「具」や、「具」による飛行譚は、あまり語られない。

⑥『日本霊異記』の話で、広達という僧が、橋から悲鳴が上がっているのを聞き、木のなかに仏を見出して、その木を彫って阿弥陀・観音・弥勒の像を造ったという。

⑦『春雨物語』の「二世の縁」の怪異譚。学問好きな当主が深夜鐘の音がするので、ここと思う場所を掘ってみると、大きな石があり、その下に棺があった。蓋を取ると、鮭のように痩せ、膝まで髪の毛を伸ばした男が手にした鉦を打っていた。昔入定した僧であろうと思い、湯水をすすらせると、50日ほどで潤い体温も上がってきた。がつがつと魚を骨まで食べるようになったが、入定前の記憶はまったくなく、今は下衆下臈となって、後家のところへ婿入りしたという。

 他にもいろいろありましたが、長くなるので。