永井元章『逃亡用迷路』と小林茂『幽界より』

  
永井元章『逃亡用迷路』(ふらんす堂 1995年)
小林茂『幽界より』(書肆山田 2006年)


 今はもう元気もなくなりつつありますが、以前は、古本屋や古本市で、名前を知らない著者の場合でも、タイトルに気を惹かれれば手に取って適当なページを読んでみて、少し面白そうなら買うことにしていました。今回は、そうして買った本のなかで、異界がテーマになってそうな詩集を選んで読んでみました。両作とも、面白く読みましたが、とくに『逃亡用迷路』が出色。


 『逃亡用迷路』は、奇想に溢れた不思議なテイストの詩集。前回読んだ寺山修司の『棺桶島を記述する試み』と似ているところもありますが、それよりも詩的でファンタジックな美しさがあるように思います。

 冒頭、いきなり警察官に追われて、列車に飛び乗る場面から始まります。どうやら私は殺人を犯したらしいのです。ところが次の節になると、一転、部屋で老紳士からお伽噺のような不思議な湖の話を聞く場面となり、次に本が本を生むという図書館に移るあたりから、奇想を軸とした架空の町譚であることが判明します。著者の巧みな所は、各節が独立した奇譚でありながら、各節のなかのある部分が別の節に登場するなど、ストーリーとしての脈絡も何とか維持しているところです。

 例えば、架空の町で、逃亡生活に疲れて入院している私が、医者や居ないはずの看護婦とやり取りするのがいくつかの節に描かれる一方、湖の魚、白鳥、図書館、レストランの太った男、捜査を担当している老紳士、湖の絵を描く少年、中華料理店、日出観察人と日没観察人夫婦などが、複数の節にまたがって登場して、それぞれ別々の挿話を形成しています。2節目で老紳士が語った湖の喋る魚が、別の節で白鳥に食べられ、さらに別の節でその白鳥を私が食べるという具合に。また図書館だけ例にとっても、3節目で話題となった図書館に、別の節で太った料理人の身体を脱ぎ捨てるようにして出てきた女が行ったり、また別の節では、病院が消失した跡から図書館の本が多数発見されたり、さらに別の節で、老紳士が図書館司書から捜査の進展具合を訊ねられたりと、つながっていきます。

 「『ざまあみろ』と言ったつもりだったのだが、実際に口から出た言葉は『ではお元気で。いってきます』というものだった」(p3)とか、「『何をするんだ』と叫ぼうとしたのだが、口からは『にゃあお』という言葉しか出てこなかった」(p15)という類似のシチュエーション、図書館で規則を破ると姿を本に変えられてしまい誰かに読んでもらわない限り元には戻れない(p9)とか、男が中年女の心臓を一突きにすると床には死体ではなく空になったビニール製のビンが転がり底にわずかに青い液体が残っていた(p13)とか、中華料理店の回転テーブルの上であぐらをかきながら物理学の実験を繰り返す博士が洗面器に大量の数字を吐いたり(p49)など奇想のオンパレード。「老紳士は高らかなホルンの音色のいびきをかき始めた」(p7)は、寺山修司の「彼は大きなサキソフォーンのような嚏を一つした」(『棺桶島を記述する試み』p15)という表現とよく似ていました。

 この本は、また牛尾篤という人の挿絵が味を添えています。八木忠栄と安原顯の推薦文が栞として付いていて、安原顯が城侑の詩に似ていると書いていたので、城侑という人の詩をぜひ読んでみたいと思っています。


 『幽界より』は、斬新ないろいろなタイプの詩の形が試みられているのはいいのですが、それぞれがばらばらの印象があり、詩集としてのまとまりに欠けるのが疵。全体としては、茫洋とした雰囲気があるような気がします。なかでは、暗闇を支配している夢に狙われていると感じて、夢を処刑するが、その死体が夢なのかやはりぼくなのか、暗闇の中では分別できない、いやもしかするとぼくという存在自体が夢なのかもと煩悶し、ゆらゆらと揺れ動く「暗闇の中から」が傑作。

 次いで、出自のよく分からない冥という人物が消息を絶ったあと不思議な珠を残したことを語る「幽界異聞」、さらには、こころのなかからたえずしたたりおちたましいのおくのだれもしらないまっくらやみにつみかさなりゆくという「しずく」、一本の綱のはしに何千年もぶら下がっている「そらの男」、つらい労働に明け暮れる男たちが一日だけ訪れるのを許されその後の心のふるさとになるという「桃源郷」、からだをそっとぬけだしたたましいがもどるべきからだをみうしなう「たましいはよるおとずれる」、うらしまろうじんのまくらのあなからひとすじのしろいけむりがたちのぼっていく「ゆめのまくら」といったところでしょうか。

 小林茂というのは、もしかして、『フランス幻想文学傑作選3』で、ロニー兄の「吸血美女」を翻訳している人ではないでしょうか。