:今橋映子『異都憧憬―日本人のパリ』、今橋映子編著『金子光晴 旅の形象―アジア・ヨーロッパ放浪の画集』

最近読んだ本シリーズ:
今橋映子『異都憧憬―日本人のパリ』
今橋映子編著『金子光晴 旅の形象―アジア・ヨーロッパ放浪の画集』
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 今橋映子さんの2冊です。『異都憧憬』は、出版直後から知っていましたが、書評等で半分は読んだような気になっていたこともあり、また大部で高価な本だったので、長らく買わずにおりました。平凡社ライブラリーに入ったのを2年ほど前に古本で安値で入手しておりました。『金子光晴 旅の形象』も同じ頃古本で入手しました。


 『異都憧憬』は聞きしに勝る労作と言えます。著者の言によると、異文化体験に対する素朴なテーマ設定から始まったものらしいですが、指導教授のアドヴァイスを経て、いろんな視点が加わり新しい研究成果も踏まえて、この種のテーマに関しては他著にない目配りの広い充実したものとなっています。


 逆に何でもかんでも詰め込み過ぎたところや事細かで几帳面な筆致が何かしら騒がしく、若干の欠点と感じられますが、それは処女作にありがちな意気込みによるものでしょうし、さらに私がいいかげんな男ということに起因するに違いありません。


 この作品の魅力は、巴里に憧れた外国人芸術家の貧しい暮らしを、19世紀ロマン派のボヘミアン神話につなげたところ、日本のボヘミアン先駆者として岩村透を取り上げ、その影響を海外の書物、とくにデュ・モリエの『トゥリルビー』に見出だしたところ、金子光晴の絵をベルギーのルパージュ一家所蔵品の中から発掘し適切に紹介したところ、ブラッサイ、ヘンリー・ミラー、金子光晴というそれぞれ分野の異なる3人に1930年代パリの共通点を見出したところなど、新しい着眼が溢れていることでしょう。


 他にも、成島柳北『航西日乗』の面白さについてや、高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」の文体にヴェルハーレンの訳詩の成果が反映していること、芸術家神話に関するいくつかの視点、藤村のシャヴァンヌ、セザンヌへの的確な鑑賞眼について、また大道芸によくある動かぬ彫像はパリの「四大芸術舞踏会」に淵源があるらしいことなど、新しく知るところが多くありました。


 次のエピソードなどは、いかに昔の教育者が偉かったかということを立証しています。

昭和の初め、警視庁が大学生や高専の生徒のバー、カフェへの出入りを禁止した時、東京美術学校校長和田英作が「美校教育の目的は芸術家の養成にある。酒と女に接することは生徒にとって必要なことである」と説いて例外を認めさせた。/p246


 この本にも、金子光晴がベルギー滞在時にお世話になったルパージュ一家に残されていた光晴の絵が紹介されていますが、『金子光晴 旅の形象』はその部分を大きく取り上げた本です。


 金子光晴が絵を描いていることはおぼろげに知ってはいましたが、こんなに本格的な絵描きだとは思いませんでした。はじめは絵描きになろうとして小林清親に弟子入りしたこともあったとは。


 その絵の独自かつ多様な味わいには感心しました。アールデコ風の洒落た構成の水彩画があるかと思えば、飄逸とした東洋画風の味わいのカットがあったり、ビアズレー風の細密ペン画、ルソー風のナイーブ画風のものもあるといった具合です。


「夜の精」L’Esprit de la nuit


 いずれは誰かが発掘することになったとは思いますが、今橋氏の努力によって陽の目を見ることになったのは大きな成果だと思います。


 この本はルパージュさんの金子光晴に対する接遇がひとつの柱となっており、ルパージュ一家という庇護者がいなければ金子光晴という存在はなかったと思えるぐらい心温まるものだったようです。2回目の短い滞在のあとのルパージュさんとの別れの場面では涙を禁じえませんでした。