:旅の本つづき『放浪旅読本』

種村季弘編『放浪旅読本』(光文社 1989年)

                                   
 いろんな旅の記録を集めたのを読んでみました。といっても「放浪旅」というのがテーマなので、普通の旅とは少し違っています。「放浪」というからもう少し呑気なぶらぶら旅を予想していましたが、力いっぱい出し切るような旅ばかり集めています。本人はのんびりしているつもりでも、はたからはそう見えるような旅ばかりです。

 戦後の闇市での暗闘、ペテン師の流浪、やくざの立ち回り、追剥団からの逃避行、無謀な無銭旅行、狂気に満ちた徘徊、無法な越境、漁師の冒険、南洋の生活、歌人の漂泊、奇怪な学業の旅など。

 編集している種村季弘氏の心性にはなにか狂躁を求めるところがあるみたいです。本人も晩年旅のエッセイをたくさん書いているようです。私は読んでいないのでよく分かりませんが、ご自身はこんな凄まじい旅はしていない筈です。自分にはないものを書物に求める傾向があるのでしょう。

 そうした冒険旅行や無銭旅行では、何よりも食と便とが重要であることが分かります。面白い文章がいろいろあったので引用します。「よろこびながら、仰いで口中に卵を受くるに、臭鼻を突き味舌を刺す。驚きて吐き出すに腐れたるなり。漱ぎて漱げども胸わろし。」(幸田露伴「突貫紀行」)、「古井は、大便がしたくなって跼んでした。新聞紙に包んで、それを持って走った。」(高橋新吉「なめとこ」)、「凹みのあるところが見付かったので、そこで耐え切れずに下痢してしまった。しかし、どうやらそこは煙出し口であったようで、その真下には鍋が置いてあったらしく、鍋の中に便の落ちる音がした。」(多田等観「チベット滞在記」)

 初めて読んだ(と思う)島尾敏雄の「摩天楼」は集中の最高作。夢のなかで市街を探索するようなシュールレアリスティックな作品。他に印象的だったのは、「布製リュックと小さなショルダーバッグ」の組合せが便利と、きわめて具体的な旅のアドバイスをしてくれる高田宏「リュックの中味」、語学や宗教の修行に励む学徒たちが女性の色香にころりとまいる坂口安吾「勉強記」、文章に妙な味わいのある武田百合子「浅草花屋敷」、放浪絵師の伯父を寸描した池内紀「売り絵師の話」、次々に他人と間違えられる経験を綴った長谷川伸「學校といふ浮浪者」、戦後のドヤ街の素直でいられない女性を素描した色川武大「陽は西へ」、パリへの途上金が尽きマレーシアでさすらう金子光晴「世界放浪記―マレーの巷」、文豪も若い頃はずいぶん無謀な冒険をしていたことが分かった幸田露伴「突貫紀行」、暢気至極なブラジルの暮らしぶりを紹介した堀口九萬一「ブラジル生活の早取寫眞」、自らの来歴を語りながらいつものように途中で脱線しまくる南方熊楠「履歴書」。

 細川周平「遅れてはきたけれど」では、人と時間との関係のあり方の三つの類型説を紹介していました。①どんな時間もすべて星の定めに従っているとする運命論者、②タイムイズマネーと言い、時間は人とは対立的で、互いに奪ったり奪われたりという戦いだとする戦闘者、③時間の隙間に自由を楽しみ、想像力を働かせて、遊びの時間を楽しむ契約者。どれがいいかと言われれば③ですが、どうやらこの理論の発案者は③を称揚しようとして敢えて前の2例を持ちだしたもののようです。時間をスケジュール的に捉えているのがやや浅薄な印象があります。時間とはもっと内部に沈潜するような奥深いものであるはずなのに。