古本報告の合間をぬって、最近読んだ本から面白かったものを紹介しますのコーナーです。
富士川英郎『西東詩話〜日独文化交渉史への側面』
富士川英郎は私の敬愛する文学者の一人で、いつも物静かな語り口で、読書の楽しみを充分に味わわせてくれます。
この本は、蘭学と医学の関係から始まって、江戸時代末期に流行したヒポクラテス讃の掛け軸の話、日本医学でのドイツ医学の優位の謎や、明治期のドイツ文化流入のあり方を西洋他国と比較した話、明治初期中心とした日本文学へのドイツ文学の影響、森鴎外の翻訳詩が口語自由詩に果たした役割、朔太郎をめぐるリルケ、ポー、老子との関係を論じた比較文学的論文、パンの会に出没したドイツ人の話、リルケと日本の関係など、全編にわたって比較文学的な視点が横溢しています。
とくに読後強く印象に残ったのは、中国詩のドイツ語への訳詩についての論考で、仏訳を介して広まった状況は「千夜一夜物語」にも通じるものがあります。
そのなかでマーラーが「大地の歌」を作曲するきっかけとなったベトゲの訳詩が紹介されておりましたが、そのフランス印象派的な繊細で華麗な色彩感覚の素晴らしさに嬉しくなってしまいました。と言っても富士川訳で散文的な訳し方なので本当の詩の理解とは言えないと思いますが。一部を引用するとこんな感じです。
月光を浴びて 幾千という小波がきらめき
明るい緑色の水が銀のようだ
それは流れに乗って海まで下っていく
無数の魚の群であるかと思われる私はひとり軽やかな小舟に乗って辷っていく
そして時おり私の櫂を操るばかり
夜とその寂しさが 私の心を
私の若い心を悲しみでみたしている月光のなかに幾千という蓮の花が見え
その巨大な花びらが まるで真珠のように輝いている
私が竹の櫂でそれを愛撫してやると
蓮の花はざわめいて まるでその倖せを語るかのようだ
またリルケの東洋的な詩想、俳諧との関係についての一文は、形而上詩や俳句、アフォリズム、禅語などに関心が高いところなので、興味をそそられました。あまりにも有名なリルケの一節ですが、嬉しくなって引用してしまいます。
私たちのなかを通りぬけて
鳥たちが静かに飛んでいる ああ わたしが伸びようとして
窓のそとをのぞくと すでに 私のなかに一本の樹が伸びている
長文になってしまいましたが、最後に
天地を籠めたる霧の白濁の中に一点赤き唇
斑駒の骸(むくろ)をはたと抛ちぬOlymposなる神のまとゐに
註文すわが心臓を盛る料に焔に堪へむ白金の壷
火の消えし灰の窪みにすべり落ちて一寸法師目をみはりをり
これらが誰の作品かお分かりになるでしょうか。
この鴎外の短歌の斬新さにも驚きました。