:Amelie Nothomb(アメリー・ノートン) 『Stupeur et tremblements(呆然自失)』

ikoma-san-jin2008-05-30

アメリー・ノートン『呆然自失』

昨年から、覚束ないフランス語の本を長い時間かけて読んだりしていますが、何冊読んでも年のせいかなかなか読むスピードが上がりません。同じ単語ばかり何度も引いてわれながら情けなくなってきます。

今回読んだAmelie Nothomb "Stupeur et tremblements"はすでに翻訳が出ている作品です。(アメリー・ノートン『畏れ慄いて』作品社)。
これまでは翻訳があるなしはそれ程気にしていませんでしたが、ミクシイに書くからには翻訳のないもののほうがよいでしょうね。次回から翻訳の出ていないものを読むことにしよう。

表紙の写真がどうやらノートン本人のようですが、少しエキセントリックな感じを受けるとおり、作品も誇大妄想的なつくりになっています。

ノートン本人と思しき若い女性が、日本の企業(住友を思わせる弓本)に就職して、翻弄される話。
森吹雪という背の高い美人の直属上司、背が低く醜い上司の斉藤、偉そうな肥満巨漢大持副社長、神様のように人物のできた羽田社長など、戯画化された人物が次から次へと登場、いじめとも思われるような無理難題を吹きかけられ、またノートン自身も最低な仕事ぶりを発揮して、双方で無茶苦茶な展開になっていく・・・どたばた喜劇のうちに、日本の企業文化のおかしさを誇大的に描いています。

ひところの日本企業によくあった男尊女卑的で非合理な世界が大げさに描かれ、またそれに対抗して張り切りすぎる女性社員も典型的な姿で描かれています。ノートンの実際の体験がベースになったものと思われますが、最近のメールのみ激しく飛び交って無駄口を叩く暇もない会社の実情からはすこしはずれていて、ここに描かれた会社にはむしろほのぼのとしたノスタルジーを感じてしまいます。

とくに印象に残ったのは、主人公がダナオスの樽(底無しの樽)に水を汲むような仕事を命じられオールナイトの残業を強いられる場面で、突然無人のオフィスで全裸になってなぜか逆立ちをするところです。(読み違えかも知れない)

主人公が頑張ろうとする底流に、幼い頃に関西で過ごした美しい日々の想い出があることが、関西生れの私にとっては嬉しいことでした。
Kansai! C’est là que bat le cɶur du vieux Japon.