お粗末な話ですが、なんとなくデュシャンと間違えて20世紀の人と思っていたら、19世紀真ん中の人だったんですね。ゴーチェやネルヴァルなど、ちょうどロマン派の時代の回想だったので、慌てて読みました。(今頃遅いという声もありますが)
フロベールが中心で、文学史ぐらいしか出てこないブイエや『不思議な長靴』という幻想物語を書いたらしいポワトヴァンらとの交友が描かれていますが、若き学生時代特有の昂揚がよく伝わる文章です。
ネルヴァルのことも結構出てくるんですね。2〜30ページ分ぐらい占めています。ネルヴァルが首を吊った最後の夜のことやボードレールがワインを2本がぶ飲みした逸話、ゴーチェが印刷所の騒音の中で原稿を書いていたことなど、ネルヴァル、ゴーチェ、ボードレールが生きて動いている感じがするのは、こうした回想記の醍醐味です。また当時の東方熱もよく伝わってきます。
気に入ったフレーズを2、3紹介します。
「何の意味もない美しい詩句は、何らかの意味を持つこれと同じくらい美しい詩句よりも優れている。」(フロベール)
→時代を先取りしていますね。
「私たちが愛し、そして失った人々は、もう彼らが生前いたところにはいない。彼らはつねに私たちとともにいる。私たちがどこに行こうとも。」(デュマ・フィス)
→これは「千の風になって」よりも正しい認識ではないでしょうか。「つねに」を除けば。
「彼(フロベール)の精神には何か拡大鏡のような力があって、それが遠くにあるものを彼に大きく見せていた。彼がいったんそれを手にすると嫌悪を感じてしまうのは、掌中に収めたときにすでに対象は矮小化されて本来の姿に戻っているからである。」(デュ・カン)