ボードレール論二冊

f:id:ikoma-san-jin:20200216151639j:plain:w152  f:id:ikoma-san-jin:20200216151659j:plain:w150
ゴーティエ田邊貞之助譯『ボードレール論―附・ゴーティエ論』(創元社 1948年)
アルベエル・チボオデ笹森猛正譯『ボオドレエル論』(白水社 1941年)

                                             
 本国の人たちによるボードレール論。ゴーチェはボードレールと10歳上で親交があり、『悪の華』の献辞も受けている文人、チボーデは20世紀初頭の文芸評論家。ゴーチェは浪漫派の巨匠であり、高踏派への道を切り開いた詩人だけあって、豪華絢爛な美文体で、詩そのものに対する評価にページを割いているのが好ましく、チボーデはいかにもフランスの批評家らしい洒落た語り口で、引用は適切、論旨もはっきりしていました。


 ゴーチェの本では、いくつかの言及が目に留まりました。
①フランスの詩の歴史のなかで、ボードレールが登場した意義を、当時、詩のテーマがマンネリ化し、かつ近代生活の精神が前時代的な詩では表現できないという状況にあって、最後の溜息に似たラテン頽廃期の老熟した芸術の技を用い、またベルトランが古代生活を描写するのに使った散文詩という形式を近代生活に適用し、新たな表現を生み出した点に見ていること。

ボードレールの詩の特徴について、既往の作とは愕然となるほど違った印象があると前置きした後、郊外のささやかな田園風景よりも奇怪で優美な樹木が繁茂する熱帯的景観に執心し、癩病のような家々が陰気に立ち並び快楽の亡霊がさまよう不潔な迷路や、悲惨と醜悪と邪悪との穢わしい群集を描いていることに注目。が一方で、金属と大理石と水からなる鏡のように光っている人工的な世界や、清澄な哀愁と明朗な静けさと東方的な安息を描いた詩篇もあり、女性の姿でも半裸体であったり気高い幻だったりさまざまであることを指摘。また薫香についての鋭敏な感覚があり、酒が脳髄にかもしだす陶酔を描いたりもしたことなどを述べている。

ボードレールの詩は、時には簡潔で甲冑のようにテーマを包んでいるので、初めて読む者には晦渋に見えるとしたうえで、洗練された巧緻な構造があり、詩の技法上の特徴として、浪漫派が編み出したさまざまな技法を受継ぎながら、独自の音韻の技法を付加したことを指摘している。具体的な詩の例がないのでよく理解できなかったが、例えば、初めの脚韻の反響を遠く響かせて末尾に再び繰り返したり、末尾の脚韻を強く響かせることにより最後の音調を長く引かせるようにしたこと。特別に調子のよい一行を交互に繰り返して想念を揺すったり、ある種の子音を頭韻として規則正しく繰返して詩句の内部に調和をつくる工夫をしたこと。音綴が長く幅の広い言葉を好み、韻律を嫋々と長く引伸ばし広漠に見える詩句を作ったこと、など。
 こうした詩の技法についての指摘はこれから原詩を読もうとする身にとってはとても参考になりました。

ボードレールと直接交わった人ならではの貴重な証言がいくつかあり、例えば、「論理的な奇抜さは人の意表をつくものがあった。彼のジェスチュアはゆるやかで、稀で、控え目で、大袈裟に手を振ることがなかった・・・また冗舌を嫌い、イギリス風の冷ややかさを、よい趣味と信じていた」(p9)というのはなるほどと思うが、「悪に心酔し、堕落に共鳴する性質の持主のように思わせようとしているが、事実は、非常に高度に愛と賞讃の念を有する人であった」(p14)とか、霊感に対しては嫌悪すら感じ自らの創作においては技術や労苦を厭わなかったこと、同様に、ハシッシュの陶酔の力を借りて幸福を得ようとすることにも激しい嫌悪を示したことなどは意外な発見。

 付録として、ボードレールの書いたゴーチェ論が収められていますが、「死の喜劇」、「ある夜のクレオパトラ」、「死女の恋」、「山々を越えて」(後に『スペイン紀行』に収録)、「イタリア」、「移り気とそぞろ歩き」を傑作としていることや、バルザックを高く評価していること、それ以外にも、いくつか新しく知り得たことがありました。ゴーチェとボードレールが同じルイ・大王中学の同窓生であったこと(チボーデも同窓生)、ゴーチェの『金羊毛』の主人公はゴーチェの親友のネルヴァルだったこと、ゴーチェにポール・フェヴァルとの合著があること(ということは交流があったということか)、娘ジュディット・ゴーチェに追想録『日々の頸飾』というのがあり、ゴーチェの生前の姿が報告されていること(ぜひ読んでみたいと思いました。ひょっとしてジュディットに失恋した若き日のジャン・ロランの姿が活写されているかも)。

 田邊貞之助の時代は日本ではまだあまり有名でない人についての情報が少なかったと見えて、註釈でいくつかの間違いや不詳が目につきました。例を挙げると、「ピモーダン・・・パリのロワイヤル広場に近いドワイエンネの袋小路にある」(p102)としていますが、ドワイエンヌ小路はネルヴァルらが住んでいた場所で、ピモダン館はシテ島の中。アンヌ・ラドクライフ(ママ)らと並んで神父マテュラン猊下というのが出てきて、それを「マテュラン・レニエを言う」(p112)としているのは、どう見ても『メルモス』のマチューリンのことだし、クロードやフューズリを「不詳」(p175,6)としているのは、クロード・ロランと「夢魔」で名高いフューズリのことでしょう。


 チボーデの主張は、およそ下記のとおりです。
ボードレールは近代の都会を初めてテーマにした作家で、『悪の華』と『散文詩集』ともに、「巴里図絵」というタイトルをつけてもよいぐらい。生粋のパリっ子で、幽邃な急湍とか、神々しい湖水(みずうみ)のようなものには縁がない代わりに、都会を歌った。

②都会は詩歌が避けるようにしていたテーマ。都会詩のジャンルは、ローマ時代のsatira(諷詩)に始まり、17世紀には、都会の詩興を白眼視した古典主義の中で、ポワローの絵画趣味やサンタマンの都会趣味に細々と脈づき、次の浪漫主義の時代でもやはり都会には背を向け、かろうじてヴィニーとゴーチェの二人がボードレールに導く二つの径路となっていたが不十分だった。ボードレールに至って、初めて詩の背景が自然から石と肉とに移った。ほとんど同時に世に出た『悪の華』と『ミレイユ』は、ともに浪漫主義的自然を否定したが、ボードレールは都会へ、ミストラルはアーリア的自然へと正反対の方に向かった。

ボードレールが都会に見出した「行きずりの女性」の美、舗道の一瞬の火花は、それまで誰も予想できなかった魅力である。また彼は女性の美として人工と脂粉とを愛したが、これこそパリの生命であり、パリの存在と本質を同じくするもの。

ボードレールには、義父へ憎悪に見て取れるように、明らかにエディプス・コンプレクスがあり、恋愛の恐怖、愛欲に対する厭悪など恋愛能力の喪失が見られること。そのため守護天使であり聖母だったサバティエ夫人を色情的に愛することを不倫の一種と考えた。

ボードレールの韜晦的要素は、反対に彼の真摯の証拠であり、もし過去の世紀に生まれていたなら修道士となっていたに違いない。「私は有用な人間となることをいつも醜怪極まるものと考えた」というような言葉は心に住む修道士が言わせたものである。原罪の観念を16世紀の基督教徒と同程度に持っていたのは、19世紀の詩人中ただボードレールのみである。

⑥陳腐な表現や蛇足に満ちていて、ボードレール程下手な詩句を書く者は他に見当たらないが(唐突で根拠が書かれていないのは疑問)、19世紀でもっとも愛読されている詩集は『悪の華』だ。というのは、「詩歌は霊と感覚とに呼び掛ける生き物であって、その魅惑は恋愛のそれに似ている(ビュフォン)」(p127)からである。詩歌の魅惑は音楽のように内心の波動を捉え、読者の血肉にその血肉を交えて霊(たましい)の琴線をゆり動かし、心の底深く沁みいるものなのである。

 巻末の年譜が、各作品の初出年、掲載誌を記すなど詳細で、参考になります。