佐藤正彰『ボードレール雑話』(筑摩書房 1974年)
佐藤正彰『ボードレール』(筑摩書房 1956年)
これまで読んで来たボードレール関連本がどちらかと言えば全体像を概観したものであったのに対し、この二冊は主として研究史的な視点から書かれています。『ボードレール雑話』は、日本のボードレール受容史、フランスでの研究史、ボードレールの韻文と散文の関係、ボードレール詩評釈の理想、フランスの百科事典でのボードレールの紹介のされ方などの論考を集め、『ボードレール』のほうは、ボードレールの5つの詩(うちひとつは散文詩)を取り上げ、フランス本国の註釈を網羅し紹介したものとなっています。
『ボードレール雑話』で知ったのは、日本のボードレール受容では、『悪の華』よりも『パリの憂鬱』の方が先で(明治23年~30年)、これは散文詩というジャンルに当時の文学者たちが光明を見出そうとしたこと、昭和初期の東京大学文学部で、仏文科のみが文学を中心とし(英文、独文は語学が中心だった)、なおかつフランス官学では末流詩人に位置づけられていたボードレールの研究から始まるという世界的に異常な現象を起こしていたこと、フランス本国の仏文学者(国文学者?)は外国の仏文学者に対して狭量で業績を認めたがらないこと、など。
私の大学時代、すでに作品研究が主体で、伝記研究は過去のものという感じでしたが、著者の時代かその少し前あたりで伝記研究の偏りに対する批判の眼が出てきたことのようです。Edition critiqueという言葉もその頃よく聞きましたが、著者の時代はそれが最先端の現象だったという雰囲気が伝わってきました。また、著者は「肉筆を読むというような仕事は特殊な知識と技術を要し・・・外国在住の研究者等にはこの種の現物主義の批評版編纂などほとんど絶望的」(p139)と書いていましたが、吉田城の「プルースト草稿研究」がこの障害を乗り越えて本国から高く評価されるまでになったのは、隔世の感があり感慨深いものがあります。
いくつか興味深い指摘がありました。
①ボードレールがいち早く大都市をテーマにした詩を書けたのはパリだったからで、当時、ベルリンもウィーンもロンドンもいまだ田舎の大都会にすぎなかった。
②ロマン主義時代まで、速成多作が大詩人の条件だったが、ボードレールにより、量や所要時間などは作品の優劣とは無関係というあるべき姿に戻った。そうして、寡作のマラルメが登場することができた。
③ボードレールの用いる形容詞は、「美しい」「奇妙な」「独特の」「未知の」など漠然とした語を使って、どのように美しいのか、どんな風に奇妙なのかは読者の推量にまかせられているが、これは読者を創造行為に参加させることになり、読書を高度の精神活動に変えるもの。→小学校の作文で、「美しい」と書くと、何がどう美しいか書けと指導されたものですが、ボードレールクラスになると、こういう解釈になるようです。
④『パリの憂鬱』のなかには、脚韻はないものの正規の詩句と同様の律動のある句が散見される。これは散文のなかの韻文調という問題である。
筑摩書房文学大系『ポオ・ボードレール篇』月報に日本のボードレール文献の目録が掲載されていること、矢野峰人の「日本におけるボードレール」という論考があること、三好達治に『悪の華』の部分訳、三好達治と小林秀雄の共訳で『悪の華』の冒頭3篇が訳されていること、三富朽葉に『パリの憂鬱』の部分訳があること、まだまだ知らない資料がたくさんあることに気づきました。また大正10年に早稲田大学で「ボードレール誕生百年記念祭」が開催され、吉江喬松が「ボードレールと象徴主義」と題して講演したとのことで、そう言えば、来年生誕200年になりますが、フランス本国では何か催しがあるのでしょうか。
『ボードレール』は、「旅のいざない」詩と散文、「秋の歌」、「露台」、「沈思」を例に、フランス本国の評釈を紹介していますが、さすが本国の文学者だけあって、他の詩人との比較などを交え、語句の使い方や韻律に関する克明、詳細な分析があり、よく分からないなりに、詩の世界の奥深さを知ることができ、とくに「秋の歌」など詩の味わいが一層深まりました。
専門的なことはともかく、いくつか印象に残ったのは、
①ボードレールがデボルド・ヴァルモールの詩を愛好していて、「旅のいざない」の5+5+7の音綴は、ヴァルモールの「La petite pleureuse à sa mère」(『一家の天使』所収)と同じ形式であること。
②「旅のいざない」はゲーテの「ミニョンの歌」を直接の典拠としているが、行先である「かの国」はオランダを指していること。
③ボードレールのこの海港の詩情は、ベルナルダン・ド・サン・ピエールの『オランダ雑記』の記述に感銘を受けて生まれたもの。
④「秋の歌」の真の主題は薪の音であり、「語の裡に響くものは、落ちる薪の響よりも更に広大な音であり、遍き喪の反響、恐るべきdies iraeの反響」(p69)であり、また「落ちる薪の音を云うのみならず、又無声長音の語尾を持つよく響く詩句を以て、過ぎ逝く時と動かすべからざる墓との宿命をも云っているのである」(p73)。
⑤「露台」の回想のテーマは、浪漫詩人の常套詩材で、ラマルティーヌの「湖」、ユゴーの「オランピヨの悲しみ」、ミュッセの「思い出」にも見られるが、ボードレールならではの茫洋とした音楽的趣きがあること。
⑥「秋の歌」はフォーレの作曲が有名だが、モーリス・ロリナも作曲しており、「沈思」にはリラダンの作曲したものがあるという。