関川左木夫『ボオドレエル・暮鳥・朔太郎の詩法系列』

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関川左木夫『ボオドレエル・暮鳥・朔太郎の詩法系列―「囈語」による《月に吠える》詩体の解明』(昭和出版 1982年)


 関川左木夫については、このブログで一度、書物趣味と、ビアズレーの日本への影響に関する二冊の本を取り上げています(2015年5月27日記事参照)。さすがに本の装幀について書いている人だけあって、この本の装幀もすばらしく、木口木版作家の栗田政裕の作品を表紙と裏表紙にそれぞれ配しています。
f:id:ikoma-san-jin:20200526125246j:plain:w150裏表紙

 この本では、ボードレールの詩が日本の近代詩の成立に大きく関与したということを、明治から大正にかけての日本の詩壇の情勢や海外からの文学移入の状況を踏まえて、展望しています。主張していることを簡単にまとめますと、ヴェルレーヌ色の強い白秋の象徴抒情詩の影響下に、日本で象徴主義的な詩の運動が乱立し、暮鳥、朔太郎、拓次、犀星らが抒情的詠嘆調から脱しようと模索するなかで、暮鳥がいち早くボードレールのコレスポンダンスの詩法を体得した。その詩法で生み出されたのが『聖三角玻璃』の「囈語」であり、その過程をつぶさに見ていた朔太郎がさらに受け継いで『月に吠える』の詩法を獲得した。ということになるでしょうか。

 気になったのは、盛んに「ボードレール詩法」と書いていますが、実際にボードレールの詩法が何を指すか、章も設けていませんし、ボードレールの詩作品を例を取った具体的な説明はありません。おそらく文章から察するに、万物照応を中心として、自然の発露や抒情的詠嘆からの決別ということのようですが、これは詩法と言うよりは、詩に対する姿勢とかテーマに近いもので、詩法という言葉は不適切。詩法と言うかぎりは、フランス語の原詩を題材にして、音韻や律動を論じなくてはなりません。日本の仏文界からはこの本はどういう評価を受けているのか気になります。

 悪口を書きましたが、しかし、在野の一介の研究者が、ある着眼点をもとに資料にくまなく目を通し、自分の能うかぎりの読み込みを行なって、筋道を立てて追究し、結論へと導いていく論証ぶりには熱がこもっていて、推理小説を読んでいるかのような面白さがありました。また海外の文芸思潮が日本に初めて入ってきた当時に、日本の文学者たちが切磋琢磨しながらそれを吸収しようとした雰囲気が生々しく伝わってくる点で貴重です。

 なかでいくつか分かったことを書いておきます。
ボードレールの受容には、明治から大正にかけて多くの詩人、文学者が参加していたとして、森鴎外上田敏蒲原有明永井荷風、岩野泡鳴、三木露風山村暮鳥大手拓次萩原朔太郎三富朽葉辻潤、相馬御風、ラフカディオ・ハーン芥川龍之介谷崎潤一郎らの名前が挙がっていた。当時は英訳で読むケースが多かったが、フランス語を知らないままフランス原典に挑戦した無謀な者もいて、例えば泡鳴が訳すのを有明が一字一句すべて辞書で引いて手助けし、また二人で象徴詩理解を深めるためにアブサンを買いに行ったというのは微笑ましい。

②著者は、暮鳥の「囈語」を中心に語っているが、「青春時に『月に吠える』に接して、目も眩むような異様に新鮮な感銘を受け」(p29)と告白しているように、最終的には『月に吠える』の詩語を解明しようとしている。

③暮鳥がボードレールに関心をもったのは、暮鳥が神学校を卒業後、布教活動を行なって上級聖職者と相容れず悩んでいた時期で、ボードレールの宗教的側面に打たれたということらしい。『巴里の憂鬱』の「エトランジェ」を文章が簡単なこともあって最先に訳出しているが、その詩の内容は信仰上の苦悶を解決してくれるものであった。

大手拓次も、熱を持ってフランス語原典からボードレールに接近した一人で、ボードレールの影響下に独自に近代詩の情感を形成していった。朔太郎も、『藍色の蟇』の「あとがき」で「私は実際、大手君の詩から多くを学んだ」と告白しているように、拓次から影響を受けたもののようだ。私はてっきり逆だと思っていた。

ランボオの「母音」の影響が思ったより大きかったこと。「母音」を手懸りとして白秋、暮鳥、朔太郎らが新詩体を模索している状況が、豊富な詩作品を例にして説明されていた。

⑥「囈語」という詩もやはり「母音」の影響を受けていて、漢字二文字の罪悪を表す名詞に続けて、無関係な事物を表す名詞を配した13行の詩だが、この上部と下部の名詞は主語と述語の関係ではなく、意図的な断絶がある。これはボードレールの詩法というよりは、「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘」のようなロートレアモン、あるいはシュルレアリスムのデペイズマンの手法というべき。

⑦この本では、暮鳥と朔太郎の詩を同列に論じているが、詩の味わいはまったく別のように思う。朔太郎が詩を書く上で警戒していたのは、安易な調子に引きずられて無難な詩を書いてしまうことで、内奥から生ずるリズムをもとに詩を書こうとした。そういう意味では、むしろ、暮鳥から朔太郎ではなく、拓次から朔太郎への系列を考えた方がいいように思える。

 最後にまた悪口を書くと、以前二冊の本を読んだときも、関川左木夫の文章はまわりくどく感じられましたが、今回も同様で、いわゆる文章の長い悪文で、意味が脱臼していました。とくに序論は意気込み過ぎたのか重症です。また、何かの雑誌に連載されていたのか、重複、繰り返しが多い。簡潔に書き下ろせば、分量は三分の一で済むように思います。